第17話 暗中の駆け引き

 遠く離れたルヴィナのところにもリムアーノ隊の喧噪が聞こえてきた。


「珍しく予想が外れたわね、ルー」


 クリスティーヌが軽口を叩いてきた。まだまだ余裕はあるらしい。


「……戦場には色々な人間がいる。全員が素直に従うとは、限らない」


「真っ暗だけど、動く?」


 クリスティーヌは問いかけているが、周りを見ると臨戦態勢に入っており、多くの兵が出る気満々である。


「……分かった」


 積極的に、というよりは押し出されるような形で承諾を与える。


「ここにいると相手が狙う可能性がある。少し動いて、様子を見る」


「了解」


 ルヴィナの言葉がすぐに伝わり、瞬く間に準備される。


「北に展開して様子を見る」


 言葉と共に指揮棒を動かし、それに応じてシンバルが鳴る。


 程なく部隊は速やかに北上を開始した。


「ここで思い切って仕掛けてみるとか、どう? 六年前みたいに」


「……六年前は高台にいて、敵味方の動きが全て分かった。シールヤは平坦だから分からない。さすがにリスクが高い」


 ルヴィナは慎重な姿勢を崩さない。




 戦場にシンバルその他の楽器の音が聞こえること。それすなわちルヴィナ・ヴィルシュハーゼの部隊が動いているということである。


「……すごいプレッシャーだな……」


 レファールは苦笑いを浮かべて、東の方を見た。敵軍が大々的に動いている様子はない。そうであれば、馬蹄などが聞こえてくるはずだ。


「聞こえないように動いていたりするんでしょうか?」


 ボーザが首を傾げる。


「金色の死神というだけに、そういうこともありえないではないな。ただ、恐らく想定外に戦闘が始まったので、少し移動して様子を見ているのかもしれない。同じ場所でぼけーっとしていると、相手が狙ってくるかもしれないからな」


「なるほど……。こちらはどうするんで?」


「……暗闇の中で戦うのはリスクが高すぎるが、偶発的な出来事が起きないとも限らない。少し前進して、ヴィルシュハーゼ隊の動きによっては抑えに回るしかない。良くも悪くもあの部隊は音を出してくれるので場所は掴みやすい」


「松明はどうします?」


「置いておこう。明かりが欲しいのはやまやまだが、明かりを持ったまま移動すると相手にこちらの位置を教えることにもなるからな」


 レファールは指示を出し、部隊を北東へと進める。


 ヴィルシュハーゼ隊は移動を終えたのか、音はしない。


「……音がすると恐ろしいが、しなければしないで不気味だな。どこかで虎視眈々と睨んでいるのではないかという感がある」


「大将、怖いことを言わないでくださいよ」


 ボーザが泣き言を口にする。


「大将、前から別の音がします」


 前線にいたオルビストが舞い戻ってきた。


「別の音?」


 耳をすませると、確かに前方から馬蹄の音が響いてきた。重い圧力がレファールの胸にのしかかってくる。


「さっきの音とは別の場所だな……」


「そうですね。楽器音は北の方に移動したと思います」


「ということは……」


 どうやらルヴィナとは別の恐れ知らずが突進してきたらしい。




 ルヴィナも南側を走り抜ける音に眉をひそめた。


「一体誰だ? この暗い中、無暗に駆けるのは」


「馬に乗っているとなると、ガーシニーしかいないんじゃない?」


「……奴はこの暗闇でも見えるのか?」


「明かりを狙っている、とか?」


 クリスティーヌが肩をすくめながら、遠くにある松明の方に視線を向ける。


 もちろん、そこに松明があることはルヴィナにも分かる。しかし。


「……相手はナイヴァル。この夜間に戦いが始まり、呑気に松明のところで待っているほど間抜けではないだろう」


 あまりにも安易ではないか。ルヴィナは首を傾げる。




 果たして、前進をしているのはガーシニー・ハリルファ率いる三千人であった。


 ただし、ガーシニーは最初から突撃を敢行しようと思っていたわけではない。当初、全軍騎乗したうえで待機して様子を見ようとしていたのであるが、ルヴィナ隊の楽器の音に馬が驚いて前進を始めてしまい、他の馬も続いて前進を開始したのである。ワー・シプラスでのジュスト隊の状況に近い。


 それを押しとどめることはもちろん可能であった。しかし、この段階でガーシニーは「これも一つの運命かもしれない。この流れに身を任せるのもアリではないか」と思った。


「ユマド神が前進を望まれている! 我々はこのまま敵軍まで突き進むぞ!」


 ガーシニーはそう叫び、一気に前進を開始したのである。


「だ、大丈夫なのでしょうか?」


 副官がさすがに心配そうな顔で言葉をかける。


「サポートもないようでございますが」


 楽器の音は北に動いたきり聞こえてこない。ソセロンでもルヴィナ・ヴィルシュハーゼの部隊のことは聞いている。音がないのに勝手に動くような真似を、ルヴィナはしない。


 ということは、ガーシニー隊だけが単独で動いていることになる。確かに敵がこちらの姿をはっきり補足することはないだろう。ソセロン軍は黒装束に身を染めているので、尚更である。


 しかし、こちらからも相手ははっきりと見えないのである。


「分かっている。進むが仕掛けることはない。ただ素通りするだけだ」


「素通り?」


「我々が大声をあげて敵軍のいるあたりを通れば、敵も反応せざるを得ない。うまく行けば敵同士が殺し合いをする可能性もある」


「つまり、我々は声をあげて通過するだけでいいと?」


「そうだ。明日以降はどちらも夜は警戒するだろうが、今は警戒していない可能性が高い。うまくできるとしたら、今日しかない。敵はこの歓声で松明からは離れているはずだ。つまり、明るいところを点々と動き、その後大きく西に抜けて北に回れば、敵とは衝突しない」


「分かりました!」


 副官をはじめ、周りにいる者もガーシニーの意図を理解した。


 彼らは気合の声をあげて、前進速度を速めていく。




「……変だな」


 近づくにつれて敵の声は大きくなってくる。その様子にレファールは首を傾げた。


「何が、です?」


「これだけ暗いのに、敵はわざわざ自分達がここにいるぞと言わんばかりに叫んでいる。妙だと思わんか?」


「馬鹿なんじゃないですか?」


 ボーザの身もふたもない言葉にレファールは苦笑する。


「その可能性も否定できないが、相手が真っすぐ突き抜けた場合、こちらが同士討ちをしてしまう可能性がある」


「……なるほど。ただ、思い切ってシェラビー様とかクンファ陛下の後ろを襲う可能性もありませんかね?」


「そうだ。だから、おまえが今から伝えてこい」


 ボーザが「えっ?」と声をあげる。


「状況をよく分かっているし、おまえの顔は大体の者が知っているだろう。私は責任者として持ち場を離れるわけにはいかない。行ってきてくれ」


 ボーザは「とほほ」と声をあげ、「言うんじゃなかった」とぼやきながら本陣へと向かっていった。




 ガーシニーの部隊は猛然と通過していき、ジュスト部隊の松明の方向へと向かった。


 ジュストも変に手出しすることで同士討ちになる危険を悟り、そのままガーシニーの部隊を見送る。



 結果として、この夜のガーシニー・ハリルファの突撃は空振りに終わった。

 しかし、「暗闇の中、敵陣まで猛然と突っ込んでくるとんでもない奴」という印象を連合軍に強く植え付けることとなった。

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