第16話 夜襲

 7月8日、夜半。


 夕方頃には両軍の布陣が終わり、それぞれが夕食を取りおえ、休息に入っていた。


 明日の午前中には開戦する、そうした空気が満ちており、緊張して眠れない者、最後の夜かもしれないと不安に思う者、それぞれの時間を過ごしている。



 ただし、全員が全員、殊勝な思いを抱いているわけではない。


 事実、一人、全軍の方針を全く無視しようとしている者が、ここにいる。


「だ、大丈夫なんですか?」


 今、まさに出撃のための指示を出そうとしている男に幕僚の一人が不安そうに問い掛ける。男は呆れたような顔を向けた。


「大丈夫もクソもあるか。相手と並んで、『はい、始めましょう』なんてそんな礼儀の良い戦い方をする必要がどこにある」


「し、しかし、今、動いても単独行動になるのでは?」


「それなら、それでいいんだよ。景気づけに、な」


 男は兵士達を一瞥した。指示があるので、この部隊だけは全員臨戦態勢である。


「全員、箱を持ったな!?」


 男の呼びかけに兵士達が揃って頷く。満足そうに笑い、男は大声を張り上げる。


「太鼓を叩け! 出撃だぁ!」


 指示の下、太鼓が鳴らされ、歩兵隊が東へと前進した。



 突然の太鼓の音に、連合軍側は仰天した。


 レファールも例外ではない。就寝しようと考えていたところに聞こえてきて、飛び起きて様子を確認する。


「誰だ!? 勝手に動いているのは?」


「ど、どうやら、フィンブリア・ラングロークが動き出しているようです」


「あいつか……」


 レファールは唇をかみしめた。


 全体の方針など従うつもりもない男であったということを今更ながらに思い出す。


 とはいえ、レファールは舌打ちする。フィンブリアは勝手な男だが、我欲で動いているわけではない。非常に厄介なことに、彼の判断は全体的に見て理にかなっていることが多い。


(こちらも相手も決戦ということで慎重になっている。その逆を張って、いきなり仕掛けるというのも有りと言えばありなのか……)


 のんびりと考えている時間はない。


 フィンブリア隊に引きずられるようにラドリエル隊が動き出す。そうなると、後方にいるネオーペ隊も動かざるを得ない。


「……仕方ない。方針はそのままだ。奴が何かしでかすのに期待しよう」



 フェルディス側も相手側が突然動き出したことに驚いた。


「まさか夜半に攻撃してくるとは……? 大胆な連中はこちらの方が多いと思っていたが」


 リムアーノが毒づきながら応戦の準備をする。


「突出しているのは、あいつか……」


 日暮れ前に大体の布陣は確認していたから、前進してくる松明の火で見当はつく。


「フィンブリア・ラングローク、ホスフェの問題児か……」


「何も考えずに真っすぐ向かってきていますね」


 ファーナが不思議そうに首を傾げる。


 シールヤ平原は平たんな場所しかないので、夜間に真っすぐ進んだとしても地形に阻まれるとか、転倒する恐れは少ない。


 しかも、フィンブリア隊の前進は、夜半の奇襲というにはあまりにもゆっくりとしている。まるで攻撃してくださいと言っているかのようにリムアーノには感じられた。


「弓矢隊を前に出せ」


「分かっています」


 相手が何も考えずに進んでくるのなら、ある程度近づいたところで矢の雨を見舞いすればいい。先制打として悪くない結果が出るはずだ。



 フィンブリアの視界にもそうした様子が見える。


「ハハハ、奴ら、俺達が近づいたところを弓矢で迎撃しようと考えているな」


「どうしますか?」


「気にするな、向こうの視界は悪いから狙撃はできない。盾を上に構えてしばらくは我慢しろ」


「分かりました」


 フィンブリアの指示を受け、歩兵隊は右手で箱を抱えながら、左手の盾を上に構えて前進する。


 程なく、パラパラと矢の雨が降り注いできて、次第に雨足が強くなっていく。不運な者が何十名か、盾と盾の合間から矢を受けるが、フィンブリアの言う通り相手も狙いを定めて射ているわけではない。致命傷にまで至るものはほとんどいない。



 両者の距離が150メートルほどまで迫ってきた。


「よし、今だ! 箱を落とせ!」


 フィンブリアの声とともに兵士達が右手の箱を一斉に落とす。あまり強靭に作っていたわけではない箱は簡単に壊れ、途端に騒音のような羽音が広がった。


「行けぇ!」


 フィンブリアの指示を聞いたのか、聞いていないのか。黒い霧のようなものが騒々しい音をたててリムアーノ隊へと向かっていった。


「俺達も急ぐぞ!」


 フィンブリア隊自身も速度をあげて前進を始めた。



 騒音はもちろん、リムアーノ隊からも聞こえる。


「何だ? あの音は?」


 と、思わず暗闇から聞こえてくる騒音に目を凝らす。ややあって、黒い霧のようなものが見えてきた。それが猛スピードで自分達の方を目指している。


「な、何だ!?」


 誰かが叫んだ。


「蜂だ!」


 と叫ぶとともに悲鳴がこだまする。


 リムアーノ隊へと飛んできた蜂が、松明などに反応して飛び込んでいく。その周りにいる兵士が払おうとしたりすると、それに刺激を受けたか攻撃を始める。鎧を身に着けているとはいっても、全身を覆っているわけではない。


「リムアーノ様!」


 ファーナが血相を変える。リムアーノも由々しき事態が発生したことは承知していた。人間相手を想定していたら、蜂が飛んできたのだから当然である。


「松明を捨てろ! 一回、下がるのだ!」


 蜂に戸惑っているところを攻撃されたのでは一たまりもない。リムアーノはやむなく後退の指示を出す。


 松明が投げ捨てられ、一部が乾いた草に反応して燃え始める。そこに蜂が大量に突っ込み、羽音は大分少なくなる。


 ほぼ同じタイミングでフィンブリア隊が突っ込んできた。迎撃できた者もいるが、反応できずに、あるいは弓では抗しきれずに、倒れていく者も少なくない。



 フィンブリア隊は前日までのうちに夜間、明るいところに群がりたがる大量の蜂を捕まえていた。


 そのうえで、蜂が嫌う匂いのもとを自分達の鎧にたっぷり振りかけておき、リムアーノ隊に近づいて一斉に放ったのである。解放された蜂は明るいところに向かいたいが、フィンブリア隊からは嫌いな匂いが漂っている。結果、彼らはリムアーノ隊に殺到することになったのである。

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