第10話 ソセロン軍出撃

 ミベルサ大陸北東部。ソセロンの中心都市ラインザース。


 先だって起きた大地震により、ソセロンは本格参戦こそ叶わなくなっていたが、それでも軽騎兵三千を動員してフェルディス側に送ることを約束し、その動員を完了していた。


 指揮官のガーシニー・ハリルファが教主イスフィート・マウレティーに報告する。


「明日にでもフェルディスに向けて出発できる状況です」


「うむ、毎度任せてすまないが、よろしく頼む」


「とんでもございません。全て、我が教義のために」


 ガーシニーはそう言って頭を下げる。イスフィートは再度「頼んだ」とその肩に軽く手を置いた。


 それで主従の挨拶は済んだと考えたのであろう、イスフィートは手を離して数歩後退した。ガーシニーが別れの挨拶をして退出するのを見守っていたが、案に相違してガーシニーはその場を動かない。


 少しの間、逡巡し、ガーシニーは顔を上げた。


「一つだけ、質問させていただいてもよろしいでしょうか」


「何だ?」


「バービル・カドニアをどうするつもりなのでしょうか?」


「ふむ……」


 イスフィートは顎をさすった。


 バービル・カドニアはソセロンが後押しして勝たせたオトゥケンイェルの元老院議員である。本来なら首都オトゥケンイェルの代表の一人として、親ソセロン的な主張をさせるつもりであったが、執政官の暗殺によりホスフェ全体が親ナイヴァルへと変わる中、沈黙を余儀なくされている。


「今は耐える時であろう。奴も変に輪を乱すことはあるまい」


「不満を持っていることはないでしょうか?」


「不満?」


「執政官を暗殺したのが、タスマッファの一味であるということを知っているのではないかと……」


「……」


 イスフィートは腕を組んだ。


「何故、そう思う?」


「タスマッファに近い連中が口にしています。ホスフェの執政官は神の怒りに触れたと。執政官を殺害することで、バービルの発言力を強くしようとしたというまことしやかな話も流れております」


「……」


「教主様、いかがなのでしょう?」


 答えを聞くまでは引き下がらない。ガーシニーの態度は明らかであった。


 イスフィートは溜息をついた。ガーシニーは何も不満があるから文句を言っているわけではない。単にバービルが不満を抱いていた場合、ソセロンのためにバービルをどう扱うべきかと本気で気を病んでいるだけである。


 ガーシニーの忠誠の厚さを誰よりもそのことを知っているだけに、この回答をしないことには先に進まないことは、イスフィートも承知していた。だから正直に回答する。


「俺が関与したことではないが、タスマッファからの報告はあった」


「……となりますと、計画は見事に裏目に出てしまったということになりますな」


 執政官を暗殺することでオトゥケンイェル派の中でバービルの地位が浮上する、そう目論んでいたのであろうが、結果としてオトゥケンイェル派全体が埋没してしまい、バービルも含めてナイヴァル派へと鞍替えしてしまった。ソセロンにとっては大きな誤算である。


 ただ、ガーシニーはこれについても、批判するという風ではなく、事実を淡々と述べているだけである。


「そのうえで再度お伺いいたします。もし、バービルからこの件について問われた場合、私はどう答えればいいのでしょうか?」


「ソセロン教団の者がオトゥケンイェルの元老院施設に入れるはずがない。全くの事実無根の話である。そう答えればいい」


 ガーシニーは首を傾げた。


「それで納得するでしょうか?」


「しないのなら、それでも構わん」


「それは、タスマッファ師を擁護するためでしょうか?」


 ガーシニーの表情には不満が満面に浮かんでいた。


 とはいっても、タスマッファに対する敵意でこういう顔をしているわけではないことをイスフィートは理解している。ガーシニーが不満なのは、ソセロンのためにならないことを仕出かしたにもかかわらず、擁護されていることである。「タスマッファの功績は功績として、損失となりかねないことを仕出かした時には処罰されるべきではないか」という素朴な感情が現れていた。


 イスフィートは大きく息を吐いて、再度ガーシニーの肩に手を添える。


「おまえの言いたいことは分かる。今回の件、確かにタスマッファはやり過ぎたと思っている」


「それでも処罰はなしであると?」


 引く気配のないガーシニーの頑固さに、イスフィートは苦笑した。


 今は中々厄介であるが、この頑固さこそがソセロンの基礎であると、イスフィートは理解している。


「少し休憩しよう」


 イスフィートはそう言って、従者に飲み物を持ってこさせた。




 休憩をした後、イスフィートは指でテーブルを突きながら、ガーシニーに尋ねる。


「執政官の殺害の件について、他に何かないか?」


「他ですか? さて……」


 問われた趣旨が分からない。そういう顔をしていた。


「殺害そのものについて何か思うところはないか?」


「殺害そのもの……。下手人は誰にも見られることなく、執政官を暗殺したということですが……」


「そうだ。タスマッファが言うにはある呪術師を通じて、殺害をなさしめたらしい」


「ほう……、呪術師ですか……」


 ガーシニーはまた不機嫌そうな表情を示す。


 当然であろう、このソセロンにおいてイスフィートこそが神の代理人という建前なのである。呪術師に頼んだとなると、イスフィートの権威を否定することに他ならない。


「おまえの考えていることは分かるが、今後のことを考えてもその呪術師や下手人のことを明らかにしたくないのだ」


 ガーシニーがハッとなった。どうやら理解したらしい。


「……つまり、今後も使いうる存在であるというわけですか」


「ああ。その下手人というのが、いわゆる呪術の影響に置かれやすく、しかも非常に隠密的な行動ができる存在なのだ。事実、殺害を誰が行ったかということについては何も分かっていないだろう? ということは、今後も、何かの折に使うことになるかもしれないわけだ」


「……早い話、その者はバービルよりも価値があるわけですね?」


 ガーシニーの疑問に、イスフィートは「満点だ」と笑みを浮かべて頷いた。


「バービルの価値は、鉱山技師その他をソセロンに連れてきた時点でほぼ使い果たしている。それに対して、ホスフェに有用な工作員がいるということは大いに意味があるのではないか? タスマッファの動機は浅はかではあったが、工作そのものは見事であった。仮に暗殺疑惑をかけられたとしても、工作の中身については隠しておきたい。だから、バービルが何を言おうと気にするな。知らぬ存ぜぬで通せばいい」


「承知いたしました」


 ガーシニーは深い理解をした顔を見せた。


「それでは、ソセロンのために最後の一兵まで戦ってまいります」


「そこまでしなくていい。その男も必要であるが、おまえの価値はその者に勝る。フェルディスと心中するまでのことはない。程々に戦ってこればいい」


「畏まりました」


 平伏したガーシニーの両肩に両手を伸ばした。


「頼りにしているぞ、ガーシニー」


 イスフィートは艶やかな笑顔をガーシニーに向けた。

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