第9話 ナイヴァルの準備
レファールはすぐにサンウマを出発すると、22日にバシアンに入った。
宿舎で一息ついていると、外が慌ただしくなる。
「入るぞ、レファール」
シェラビーの声であった。
「えっ? あ、間もなく下に行きますので」
さすがに向こうからの来訪は考えていなかったし、着替え中で裸に近い恰好である。慌てて制して、上着をまとって下へと降りた。
そこにはシェラビーとスメドアの姿がある。
「こうして三人揃うのは随分久しぶりかもしれないな」
シェラビーが言う。確かに、公式の儀礼のような場面を除いて、三人共に揃うというのは久しくなかったことである。
「……シェローナの話は聞いた。あの二人がいなくなるというのは痛いが、ホスフェ全域が協力してくれるというのは補給その他においては有利だ。やむをえないことと考える他あるまい」
「そうですね」
「ナイヴァルのことについて触れよう。まず、ネオーペが二万を出すが、正直それほど練度が高い兵であるとは思わないから、数合わせくらしにしかならん。場合によって、盾として使うくらいだろう」
「……私もそう思います」
「サンウマからの一万については俺が指揮するつもりだ。となると、バシアンからの一万を二つに割って、スメドアとレファールで、という形になるが、少ないか?」
「うーむ」
少ない、とは思わなかった。
サンウマ・トリフタの時に指揮した兵力は二千である。ワー・シプラスの時には七千の兵を指揮していたが、五千という数字が決して少ないとは思わない。
(少なくともネオーペ枢機卿の兵力を割り当てられて、質に違いが出るよりは五千の良質な兵士の方がいい。ただ……)
警戒しなければならない三人のことを考える。
(レビェーデとサラーヴィーはシェローナの兵士を率いることになるだろうから、正直それほど人数に差はないはずだ。問題はルヴィナ・ヴィルシュハーゼで、彼女は最多で一万くらいは動員できると言っていた)
おそらくミベルサで最も訓練されている部隊といっていい一万人が相手である。その相手を考えると五千では到底足りない。
(とはいえ、二万いたら防げるというものでもないだろうし……)
「どうした?」
考え込んでいると、シェラビーが問いかけてきた。
「フェルディス軍がどの程度の軍を連れてくるかを考えていました」
「どのくらいだと考える?」
「数だけを揃えるなら、帝都カナージュだけで12、3万動員できるという話もありますし、理論上20万を超える人数でもありうるのでしょうが、ホスフェが敵に立った以上、兵糧のこともありますから目いっぱい連れてくることは無理でしょう。おそらくは7万から8万くらいの間ではないかと思います」
その人数である場合、地位ごとのバランスというものも出てくる。
(マハティーラ、ブローブ、リムアーノあたりで半分。更に他の数名の有力貴族がいるから、ヴィルシュハーゼが一万ということは多分、ないだろう)
とはいえ、これはあくまで予想に過ぎない。
具体的なことについては、敵・味方が実際に出そろってから考えた方がいいだろう。
そのうえで、レファールは今、言わなければいけない要望を口にした。
「実は個人的に一つお願いしたいことがありまして」
シェラビーもスメドアもニヤッと笑った。
「セルキーセ村の連中のことだろう?」
どうやらお見通しだったらしい。レファールも笑う。
「お分かりでしたか」
「それはまあ、ボーザやオルビストからも『出来れば大将の下がいい』という要望が出ているからな。あの面々はおまえの下の方が色々やりやすいだろう」
「ありがとうございます」
「今、話すべきことはこのくらいかな」
シェラビーはそう言うと、持ってきたバッグの中からワインの瓶を手にした。スメドアが指を鳴らすと、既に話が通っていたのだろう、宿舎の者がグラスを持って現れる。
「一番旨いのは赤く染まったワインらしいが、あれは血を連想させていかんし、白は白星を連想できるから、白を持ってきた」
「いいですね」
シェラビーが三人のグラスに注ぎ、それぞれに手渡す。
「あと一歩だ。勝つぞ、レファール、スメドア」
「はい! 勝ちましょう!」
三人は乾杯を交わすと、一気に飲み干した。
翌日、レファールはマトリに向かった。その地で、フォクゼーレ軍とイルーゼン軍を迎え入れるためである。
「大将!」
一人で向かおうとしていたところに聞きなれた声がした。振り返ると、数人の従者を連れたボーザが馬で追いかけてきている。
「……おまえなぁ、大師様がそういう軽率な呼び方をするのもどうかと思うのだが」
ボーザが大司教になっているのは既に知られているところである。本来なら重々しくしていなければならない立場である。
呆れて返した言葉に、ボーザもオルビストもニヤニヤと笑うだけである。
「この呼び方でここまで来たんですぜ。それを変えて、負けたりしたらどうするんです?」
「むっ」
レファールは唸るしかなかった。こう言われると「ダメだ」とは返しづらい。
「まあ、どうしても猊下がいいなら、そうしますけれど」
「……猊下も落ち着かないな」
既に数年経過しているのであるが、移動が多いせいか、宗教的儀式にはほとんど出ていないからか、猊下と呼ばれたことはほとんどない。そのため、慣れていなかった。
「だったら、大将でいいじゃないですか」
「勝手にしろ」
言い負かされた形になり、レファールは唇を噛む。
「……しかし、セルキーセの連中にとって、ナイヴァルは開運となりましたねぇ」
ボーザがしみじみと言った。
あの時、僅か110人しかいなかったセルキーセ村の面々から、枢機卿が一人、大司教が一人、それに次ぐ司教となると14人いる。残りの面々も負傷で引退した者が数名いるものの全員補償金も貰っている。
全員、コルネーにいた時には想像もできなかった好待遇を勝ち取ったといってよかった。
「ここまで来たら、最後の一つも勝利して、大将にはシェラビー様引退後に一番上に立ってもらわないといけませんね」
「……おいおい、変なことを言うなよ」
軽口とはいっても、下手をすると反逆を疑われかねない発言である。
「そうですよ。今の一言は、聞き逃せませんね」
オルビストの口調も厳しくなる。ボーザもさすがに「悪い、悪い」と誤魔化すような笑いを浮かべた。
「……いや、今のは、聞き逃せませんな。ということで、レファールの大将が更に偉くなった時には次の枢機卿はボーザの旦那ではなく、私ということで」
「おまえもほとんど変わらんじゃないか」
レファールはオルビストの頭を小突いて、笑った。
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