第5話 エルミーズにて

 4月半ば、レファール一行はホスフェから船でナイヴァル方面へと戻ろうとしていた。


 フェルディスの面々からは一か月近く遅れている。ただ、もちろん遊んでいるわけではない。


 ホスフェの新執政官ナスホルン・ガイツの確認の下、元老院との協定を締結したが、それで全てが終わったわけではない。ホスフェ国及びその領主達と個別に協定を結んだり、その内容を確認するといった作業が残されていたからだ。


 それらを終えて、ようやく報告のためにナイヴァルへと戻る。


 船に乗った時点では、レファールは真っすぐバシアンまで戻るつもりでいた。


 途中サンウマに立ち寄るが、サリュフネーテに直接会うのは気が引ける。そちらはセウレラに任せて、自身はバシアンまで直行してシェラビーと今後の作戦を練ろうと考えていた。


 が、セウレラが途中。


「そなたはエルミーズに寄って、メリスフェール・ファーロットにも伝えておいた方が良かろう」


 と切り出す。

 一瞬、メリスフェールとの関係を知られていたのだろうかと慌てたが。


「エルミーズはうまいこと立ち回って各地の情報を得ておる。何かしらあるかもしれない」


「そ、そうだな……」


「相手も私のような年寄りよりは、そなたの方がいいだろう?」


「……」


 どこまで知っているのか、あるいは知らないのか見当もつかないが、余計なことを言うと藪蛇になるかもしれない。ここは素直に同意することにした。


「それでは、爺さんはサンウマのサリュフネーテと、バシアンのシェラビー様を頼む」


「いや、私は直接バシアンに行くから、サリュフネーテ嬢への報告も頼む」


「何でだよ。私と彼女の関係は知っているだろう?」


 実情はともあれ、世間的にはレファールはサリュフネーテに振られたという扱いになっている。従って、お互い会うのはやや気まずい。それを承知のうえでわざわざ会わせようというのは人が悪すぎる話である。レファールはそう抗議したが、セウレラはからかうという感じではなく、むしろ気落ちした風になった。


「……以前、偶々別の件で報告した後、時間があったので雑談していたら、『お爺さんの話は分からないです』と言われたのだ。50も年齢の差があると、価値観が合わないのだろうなあ……。これ以上悲しい思いをしたくないのだ」


 イジイジとした様子で首を左右に振っている。


(もうすぐ70なんだし、そんなこと気にするなよ……)


 レファールは呆れたが、本気でいじけたセウレラは中々面倒くさい相手であることを理解しているし、心底気落ちしている相手に対してあまり強要もできない。

 結局、「分かったよ」と答えるしかなかった。




 かくして船はエルミーズの港に着き、レファールは一人だけ船から降りる。


 政庁に向かおうとした時、反対側から港に向かう一団が目に入ってきた。その先頭を歩く男を見て、レファールは思わず声をあげる。


「ガネボじゃないか。珍しいところで会うな」


 かつてのプロクブル傭兵団第三の男ガネボ・セギッセであった。


「レファール……」


 ガネボの表情は明らかに「会いたくない奴と会った」というものであった。それを見たレファールの中にある種の予感が走るが、敢えて言うことなく普通に接する。


「……シェローナもエルミーズに報告することがあったのか?」


「シェローナではない」


「うん?」


「今回はグルファド王国の使節という名目だ。サラーヴィーとエルウィンはフェルディスに向かったので、俺が代わりに来た」


「……グルファド?」


 聞き覚えはあったが、それが何であるかまでは思い出せない。さすがにレビェーデの妻となっている娘が、でっちあげた国ということまでは覚えていなかった。


「レビェーデの妻イリュリーテス・アルセレアの故国……という触れ込みだ」


「ということは、レビェーデが国王になるということか?」


 それ自体は意外ではない。そういう占いを受けたと本人も言っていたからだ。

 ただ、タイミングが唐突過ぎる。ほとんどの国が帰趨を決しようという状況で突然新しい国として立ちあげるというのは不可解である。


「全部のことは俺にも分からない。ただ、まとめてしまうとナイヴァルが主導権を持ちすぎるのはシェローナにとってマイナスになるということだ。悪く思わんでくれ」


「……そうか」


 一瞬、感じた予感はどうやら当たっていたらしい。


「ということは、次に会う時は敵と味方というわけだな」


 ガネボは思わず瞑目し、大きく息を吐いた。


「そうなるな。正直、ここでお前には会いたくなかったよ」


「気に病むことはないさ。お互い立場はあるわけだし」


 もちろん、レビェーデやサラーヴィーが敵に回るというのは痛い。しかし、心のどこかでミベルサ統一の最後に彼らが障壁となるのではないかという思いもあった。


「それじゃ」


 あまり話したくないという様子でガネボは自分達の船へ向かおうとする。一行もそれに続いた。


「……二人にもよろしく伝えておいてくれ」


 後ろ姿に声をかけると、手だけをあげて応じる。そのまま、隣の波止場にある船へと向かっていった。


 船の中に消えたガネボを見送り、ついで別の波止場に目を向ける。


(見たことのない船が止まっているな。アクルクアからの船かな……。珍しいけれど、ひょっとしたら、シルヴィアさんの知り合いがメリスフェールを訪ねに来たのかもしれないな)


 見知らぬ船に目を惹かれたが、深いところまで気にすることはない。レファールは改めてエルミーズの政庁へと向かうことにした。




 政庁の入り口まで足早に歩いて行き、入口で名前を告げた。

 メリスフェールに会いたい旨を伝えると、受付の女が渋い顔をする。


「実はメリスフェール様は現在、来客との対応中でございまして」


「構わない。終わるまで待っているよ」


 条件付きとはいえ、結婚まで約束したのである。待っていたからといって怒るということはないはずだ。


 女も仕方ないという態度である。


「分かりました。何時頃終わるか、聞いて参ります」


 そう言ってね奥に向かっていったが、すぐに戻って来た。


「来客とも会ってもらいたいので、今から来てもらいたいということです」


「……? 分かった」


 ということは来客は知っている人物ということだろうか。思い当たる人物がいないので首を傾げたくなったが、来てほしいという以上断る理由もない。レファールは頷くと、女の案内を受け、奥へと向かう。

 庁舎の応接室の前まで歩いていき、女が扉をノックする。


「レファール猊下が参りました」


 中から、「入ってちょうだい」というメリスフェールの声がした。一緒にいるらしい来客の声はしない。


「失礼する」


 女が扉を開けたので、中に入った。


 質素なソファが二つあり、奥にメリスフェールが座っていた。

 手前のソファの背もたれの上に栗色の髪が見えた。それだけでは誰か分からなかったが、振り向いた若者の紫の瞳を見て、レファールは「あっ!」と声をあげる。


 相手は悪戯っぽい笑みを浮かべた。どこか愛嬌があり、全く油断ならない表情がある。


「お久しぶりですね。レファール将軍。あ、今は枢機卿でしたからレファール猊下と呼ぶべきでしたね」


「き、君は……」


 実際に行動を共にしたことはない。会ったのは一度だけで、二、三、会話を交わしただけである。

 しかし、これからの戦いに臨む多くの者の人生観、そして歴史そのものを変えた存在。

 あのルヴィナ・ヴィルシュハーゼをして、唯一無二と言わせた男。


「ノルベルファールン・クロアラント……」


 絶句する中、微かに声が漏れると、ノルベルファールンは笑う。


「その名前は長すぎます。ノルンでいいですよ」

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