第21話 ホスフェ元老院⑤
3月13日。元老院開院の二日前にそれは起きた。
「ら、ラドリエル様!」
初日にフェルディスの面々が来たことがあるのであろう、当初罵声を浴びせていた面々は綺麗にいなくなり、宿舎の前は平穏極まりない状況であった。
早朝、その平穏をラドリエルの秘書の一人ディークト・テシフォンが打ち破る。
その大声で安眠を妨げられ、レファールは外を見た。光は東側に見えているが、まだ太陽そのものは上がってきていない。
(一体何なのだろう?)
ドタドタと足音を立てて、隣の部屋に駆け込んでいく。
レファールも起き上がり、部屋の外に出た。同じく起こされたらしいセウレラが、これまた不機嫌そうな顔をしている。それだけではない、フィンブリアやアムグンやビリス・リーズといったラドリエルの従者も出てくる。
「先ほど、元老院に侵入した者がありました! 賊は……」
「……!」
ディークトの穏やかでない言葉に、廊下にいた全員の表情が強張る。
「賊は、執政官バヤナ・エルグアバの胸をナイフで刺し、逃走したとのことです!」
「何だと!?」
ラドリエルの仰天した声を聞くまでもない。場にいたうちから「えぇっ?」という声が漏れた。
「い、一体、誰が……?」
ビリスが辺りを見渡す。
「ぜ、全員、いますよね?」
失礼極まりない言葉ではあったが、それを咎めるつもりは起きない。
執政官が暗殺された場合、真っ先に疑われるのはフグィの面々である。かねてから対立してきた間柄であるからだ。
「昨日までいた面々は全員、廊下に出ているな」
落ち着いた声でセウレラが言う。彼の言う通り、宿舎に泊まる幹部クラスは全員いた。それ以外の使用人が隣の宿舎に泊まっているが、彼らが元老院に入ってバヤナを殺害することはないだろう。
「これは、下手に動くと怪しまれるな……。非常に気になるが、我々はこのまま残っていることにしよう」
ラドリエルはディークトを見据えた。
「おまえは元老院の建物の中に入ったのか?」
「い、いえ。外を回っていましたところ、中から叫び声が聞こえてきましたので」
「……分かった。入っていないのなら、疑われることはあっても、すぐに犯人と決めつけられることはないだろう。しかし、一体誰が……?」
ラドリエルがフィンブリアの顔を見る。
「何だよ、俺ならやりそうだと思っているのか?」
「いや、そうじゃなくて、どういう奴がやりそうだと思う?」
「俺に分かるわけがないだろ。政治的な関係はおまえの方が詳しいじゃねぇか」
「それはそうなんだが……、正直、やりそうなのは我々しかいないのだが?」
ナイヴァル派の主力で執政官と仲が悪い存在といえば、センギラのガイツ夫妻も該当はする。しかし、彼らはオトゥケンイェル派の罵声を警戒したのであろう。中心地から遠いところに宿舎を取っているはずである。そんな遠くに泊まる以上、わざわざ執政官を殺害しに行く理由がない。
一時間もすると、宿舎の入り口が騒がしくなってきた。
「ラドリエルはいるか!?」
叫んでいるのは、オトゥケンイェルの元老院議員シェルマ・ネセルであった。40過ぎの血気早そうな男である。そんな男が荒い口調で叫んでいるのだから耳障りなことこのうえない。口調からするに疑っていることが明らかであった。
ラドリエルが二階の部屋から顔を覗かせる。
「おりますとも。執政官の件は聞きましたが、当方は関係ありませんぞ」
「おまえ達以外に誰がいると言うのだ?」
「人聞きの悪いことを言わないでもらいたい。我々の方が人数で勝っていて、勝てる状況なのですぞ。それなのにわざわざ殺害する理由などありません」
「この……」
シェルマが苛立った表情になるが、ラドリエルが宥めにかかる。
「まあまあ、お待ちいただけませんか。我々の間には、かねてから意見の対立はありましたが、だからと言って何でもするなどありえません。正当な選挙で選ばれた元老院議員を殺害するなどということは、あってはならないことは全ての者が理解しております」
「むっ……」
ラドリエルの言葉に、シェルマも落ち着きを取り戻したらしい。
「誰に聞いてもらっても構いません。我々は昨晩から今までずっとこの宿舎におりました。唯一、我々に事件を伝えた秘書のディークトのみ元老院の近くまで行きましたが、中には入っておりません。それにディークトは前議員バグダ先生の息子です。そのようなことを起こすことはありえません」
「……分かった。ひとまず信じることとしよう。後で衛兵が行くはずなので、それまでは待機していてもらいたい」
「分かりました」
シェルマは「忌々しい!」と叫んで元老院の方へと戻っていった。
シェルマの言葉に従い、衛兵達を待っていたが、その前にルヴィナとリムアーノがやってきた。
「ホスフェの執政官が殺害されるなんていうのは、さすがに驚いたよ」
「まさかフェルディスが関与したりしていないですよね?」
ラドリエルがジロッと眺めると、リムアーノは腕組みをした。
「いや、フェルディスにはそんなことをする理由も動機もないのだが、とはいえ、マハティーラ閣下が何を考えるかは分からないのも事実だ。絶対にないとは言えない」
「……マハティーラに、そんなことができるだろうか?」
リムアーノの言葉に、ルヴィナが懐疑的な見解を挟む。
確かに。
レファールも同意できるところがあった。マハティーラが何を考えているのか分からないというのも同感であるし、一方で、暗殺という芸当をやるだけの力量がないということも頷けるところであった。
そうこうしていると衛兵隊がやってきた。もっとも、既に宿舎周辺で聞き込みをして、ラドリエルらが現場に行くことはなかったと確認したらしい、疑っているという様子はない。ありきたりな確認をした後、状況についても説明をしてくれた。
「殺害は深夜の二時頃だったようです。執政官が元老院の図書館で調べものをしていた際に何者かに襲われたようで」
「随分遅くまで調べものをしていたのですね」
「はい。幾つかの法典について確認していたようです」
「そうですか……」
ラドリエルは神妙な顔をしている。恐らくはフグィやセンギラの提案について現在の法典でどれだけ説得力のある反撃ができるか考えていたのであろう。
「メルテンスをはじめ、色々やりあいましたし、理不尽な思いもしましたが、両名とも死んでしまうというのは何とも残念なことです」
ラドリエルはそう言って悲しそうに溜息をついた。その表情には嘘も偽りもなかった。
フェルディスの二人は二時間ほど滞在して帰っていった。衛兵もその一時間後には帰っていく。自由が確保されたが、といって、事態が事態だけに容易には動けない。
そうこうしているうちにシェルマ・ネセルがまたやってきた。
「シェルマが来ました」
という報告に、当初ラドリエルは億劫な顔をしたが、追い返すのも難しいので中に入れる。喧嘩をされては困るので、レファールもセウレラらと共にラドリエルの隣に座ることにした。
(おや?)
入ってきたシェルマを見て、レファールは異変を感じた。先ほどやってきた時は憎々し気な顔をしていたが、今はオドオドとラドリエルに対して恐れているような様子である。
ラドリエルも変化を感じたらしい。「どうかされましたか?」と尋ねる。
「うむ、実は……」
シェルマは弱気を露わに話を始めた。
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