第18話 中途撤退
カナージュでは、ソセロンで大地震が起きたことを受けて、イスフィートの外交担当を任されたハレジェ・アージカが腹心のガーシニー・ハリルファと共に各方面に挨拶周りをしていた。
「当初の予定では、騎兵一万を応援に出す予定でしたが、今回の地震での被害が甚大であり、三千程度が目いっぱいでございます。また、指揮官も教主イスフィートではなく、ここにいるガーシニーとなるのではないかと」
このようなことを言って回るものだから、マハティーラ・ファールフ等は「結局はこけおどしで頼りにならない連中よ」と小馬鹿にしたような態度を示しているし、それに対してハレジェもガーシニーもただ頭を下げるだけである。
もっとも、ハレジェは内心では侮られていることの屈辱をそれほど感じていない。
(裏社会に入った当初の頃と比べると……)
若い頃、フェルディスの表街道から一気に裏社会へと転落した時に散々馬鹿にされたという経験もある。
しかし、何より大きいのは、ソセロンがこの状況を絶望的なものと捉えておらず、そのうちやり返す機会があることがはっきりしていたからである。
ハレジェは一か月前のことを思い出していた。
地震は早朝に起きた。その地割れの直前に、彼は突如として目が覚めた。しかし、目が覚めているのに体が全く動けない。後に聞いたところによると頭が覚醒しているが、体は眠っているのではないかということであったが、とにかく体が動かなかった。そうしているうちにベッドの上で激しく叩かれるような揺れを感じた。
真っ暗闇の中、ただ叩きつけられる音のみを連続で聞く恐怖が終わり、しばらくすると体が動くようになってきた。更に少し時間が経つと空が明るくなってきた。
まっしぐらにイスフィートの座する場所に向かった。長年、カナージュの闇の部分を支配してきたハレジェにとっても、このような地震は初めてである。ラインザースの街は低い建物が多いが、それでも幾つもの建物が崩れ落ちていた。
(まさか、仕えることになったばかりで、上を失うことになってしまうのか)
ハレジェはそんな不安をも感じていた。
幸い、イスフィートは無事な様子で広場に座っており、報告を受けていた。
ラインザースも相当に酷い地震であったが、報告を聞く限り、北東70キロほどのところにあるピダルツがもっとも酷い状況であるらしいということであった。ほぼ全ての建物が壊れたうえに地割れに飲み込まれた者も多いという。
「下手をすると万を超える死者が出ているかもしれませぬな」
報告をしている保守派の重鎮タスマッファ・ハカミの表情は沈痛である。
「……うむ、これは神の試練であると考えるべきだろう」
一方、答えるイスフィートは沈んだ様子ではあるが、痛恨という様子でもなかった。
しばらく報告が繰り返され、一段落したところでイスフィートがハレジェに気づく。
「おお、ハレジェ。無事だったか。色々な経験をしてきたと思うが、さすがにソセロンの地割れは初めてであっただろう?」
「は、はい……。正直、自分が死んで、霊魂となってしまったのかと思いました」
「ハハハ……。大丈夫だ、おまえはしっかり生きている。それより」
イスフィートの表情に陰りが帯びる。
「損な役回りを頼んでもいいだろうか?」
「何でございましょう?」
「こういう状況だから、まずは地震からの復興を目指さなければならない。そうなると」
「フェルディスには兵を出せないというわけですな」
確かに損な役回りになるだろう、とは思った。
少し前まで、イスフィートは「フェルディスがナイヴァルと戦う折には是非我々を」と強くアピールしていたのである。それが半年も経たないうちに「すみません。無理です」と前言撤回となるのだから、恥ずかしいこと極まりない。
もちろん、実際にラインザースやピダルツの状況を見れば理解されるだろうが、フェルディスにいる者でソセロンを訪れるのは外務大臣のトルペラ・ブラシオーヌくらいである。
「役回りについてはこのような事情でございますから、当然引き受けます。しかし、無念でございますな」
「まあ、な……」
イスフィートの言葉にはどこか含みがある。ハレジェはそれが気になった。これだけの被害を目の当たりにしながら、冷静というより冷然と事態を眺めている節がある。
「多くの命が失われそうだということについては慚愧に耐えない。しかし、一方で、これは神がソセロンに与えた転機ではないかとも考えている」
「転機、ですか?」
イスフィートはタスマッファ達保守派の居場所を確認し、少し距離をとる場所に移動する。
「……今後、色々やろうと思っていた中に、古臭い街を一掃しようという気持ちがあった。何のためにもならない宗教施設ばかり作っているような街では、良いものは生まれない」
「それは確かに……」
ラインザースをはじめとして、ソセロンの街はほぼ全て無駄な宗教施設で溢れている。場所も無駄だし、そこに費やされる労力も無駄であった。イスフィートが色々改善させてはいるが、それにも限界がある。ソセロンがもっとよくなるためには思い切った措置が必要だという思いはハレジェにもあった。
「とはいえ、やりたいと思っても、やられる側が理解してくれるかという問題がある。もちろん俺はやり遂げるつもりではいたが、その過程では荒っぽいことをしなければならないという思いもあった。ところが」
イスフィートは地震で崩れ去った建物をざっと眺める。
「俺が荒っぽいことを実行して反感を買う前に、地震が全てやってくれた。確かに残念なことではある。しかし、神の配剤ではないかと考えている部分もあるのだ」
「……なるほど」
「今、俺の望むラインザースやピダルツを作る絶好のチャンスなのだ。フェルディスの戦争もソセロンの飛躍には必要なものであるが、どちらがより好機かというと前者になる。もちろん、ソセロンの人民が俺達の助けを必要としているのも言うまでもないしな」
「……」
ハレジェは改めてイスフィートという人物に慄いた。
もちろん、彼も裏社会を支配した男であるから、多くの人間の生死に責任をもっているし、地獄に落とされても文句を言えない。しかし、今、目の前でもっと酷い惨状を目の当たりにしながら、自分の半分も生きていないイスフィートは、「これがチャンスだ」と言ってのけている。
その豪胆さを恐ろしいと思った。
(……)
であるので、一時的にフェルディスの面々に馬鹿にされたとしても、近いうちにはその認識を覆すことができるだろうと感じていた。一歩後退したのは確かであるが、その後退によってしっかりと地面を蹴り、より前に進めるのであれば、その後退には何ら恥じうるものではない。
(馬鹿にすればいいさ、そのうち分かるのだから)
そう思いながら、マハティーラはもちろん、宰相ヴィシュワ・スランヘーンや大将軍ブローブ・リザーニにも報告をしていた。
その帰り、王宮を出ようとしたところで見覚えのある若者とすれ違った。
「あ、これはニッキーウェイ侯」
「……うん?」
リムアーノはハレジェを見て、けげんな顔をした。世代が下ということもあり、ハレジェの内実についてはあまり詳しくないらしい。
「私は、ソセロン教主イスフィート・マウレティーの外交官ハレジェ・アージカと申します」
「おぉ、ソセロンの外交官か。聞いたところによると、酷い地震があったとか?」
「はい」
もののついでとばかり、ハレジェはリムアーノにも説明をする。
リムアーノはムッとした表情をするだけで、馬鹿にするような言動はない。話が終わった後もしばらく思案していたが、ややあって。
「ソセロンの教主は中々に出来た人物らしい」
「……は?」
意外な答えにハレジェが目を見張る。
「ソセロンにおいてイスフィートの権威は絶大なものだと聞いている。おそらく、地震であっても体面を気にして兵力を揃えることはできたはずだ。ところが、体面を全く気にするところがない。私の見当が外れているのかもしれないが、正直、非常に不気味なものを感じる話だ、ソセロンの教主に対して、な」
「ニッキーウェイ侯爵……」
「話については了承した。というより、私の立場では、陛下や閣下、大将軍や宰相の見解を変えることはできない。ただ、今後ともソセロンとは仲良くしていきたいと思う」
リムアーノがそう言って、笑顔で握手を求めてきた。
「地震の被害が甚大なのであれば、ニッキーウェイ侯爵家としてできることはしたい。遠慮なく申してくれ」
「ははっ、ありがとうございます」
ハレジェは素直に頭を下げて、内心で舌打ちした。
(全員見過ごしてくれるかと思っていたが、甘かったか……)
と同時に、ブローブが気づかなかったイスフィートの本性について、より下の世代のリムアーノが勘づいたことには情けないという思いも抱いた。
そのブローブに勝てなかった自分なのであるから。
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