第11話 中央教会大司教
ナイヴァル西部マタリは、この二年ほどの間で区画が20ヘクタールほど拡大されていた。
元々産業に乏しく、わずかな林業と農業程度しかないところであるため、宗教的に保守の風潮が強い。これをやめるように言っても反発をすることが予想されるので、違う形での仕事を与えるしかない。
とはいえ、資金もない。サンウマと違って産物もないので交易をするわけにもいかない。幸いここ数年の枢機卿報酬などを転用した香辛料の販売である程度の手持ちがあったので、その資金とバシアンからの借り入れで資金を確保し、街の拡張工事と軍の訓練施設を作ることを決めたのである。
(仕事があれば、日常から宗教施設を作る奴は減るだろう)
この目論見は的中し、工事には想定を上回る労働者が参加しており、それに伴い経済が多少刺激されることとなった。
(これでひとまず流れを変えて)
産業という点では中々難しい。周辺に川が流れているわけではないので物や人の行き来も不利である。とはいえ、北西はフォクゼーレ、南西はコルネー、北はイルーゼンへと繋がる街道があり、軍事的な価値は高い。
目指す街のスタイルはホスフェ東部のリヒラテラ、もしくはフェルディスの対ホスフェ最前線にあったジャングー砦のようなものである。軍が駐留することに価値をもたせて、人や物が集まるようにする形である。特に何もない荒涼とした高原地帯があるが、これは逆に訓練の場所としては最適であるはずであった。
というプランを立てた後、やりとりについてはイダリスが全てを行っている。また、資材や資金のやりくりについてはメルーサ兄弟の兄カルーペが行ってくれたので何も困るところがない。
(そうなると、私にできることは……)
何もない、という現実があった。
この機会に人材でも探しに行きたい、という思いもあるが、外交と異なり、未知の人物に対するコネクションをレファールは有していない。
(セルフェイ・ニアリッチだっけ。あいつ、また、この辺りに来てくれないかな?)
脳裏にかつて人材探しを手伝ってくれた酒好きの少年が思い浮かぶが、彼を探すアテもあるわけではない。できることはといえば、シルキフカルのミーツェン・スブロナに手紙を送って、ニアリッチ家の者がいたら派遣してもらえないかと要請を送るくらいである。
それ以外の時間では、レファールは読書などをして過ごすことが増えてきた。
年が変わり、775年の頭、バシアンとサンウマから手紙が届いた。
サンウマからの手紙はシェラビーとサリュフネーテの結婚式の誘いであった。
「まあ、これについては参加するしかないな。もう一通は……?」
バシアンからの手紙には、新枢機卿としてイダリス・グリムチ、セウレラ・カムナノッシの両名を選ぶというものが記されてあった。
「イダリスが……? 一体、どういうことだろう?」
セウレラについてはバシアンで立場を問わず助言しており、多くの者から尊敬を集めているから特に不思議に思うところはない。唯一懸念となるのは年齢面ではあるが、前任者の中には86歳の者もいたのであるから、70にもなっていないセウレラが止められる理由にはならないはずであった。
しかし、イダリスについては広い立場から尊敬を集めているというわけではない。もちろん、レファールにとっては大いに助かる存在であるが、ナイヴァル全体という点ではどうだろうか。
(あるいは、枢機卿就任を名目に私のところから引き離す、ということなのだろうか?)
とも思ったが、手紙には枢機卿就任後もマトリでの活動にあたる旨が書かれてある。
(と言うことは逆か。私がまたどこかに行く必要があるということか)
マタリの要塞化については、レファールの提案であるが、シェラビーも認めるところとなっている。従って、その責任者であるイダリスを枢機卿位に昇格させて、確実に進めたいという意向があるのだろう。逆にレファールは責任者から解放され、おそらくはナイヴァルのために別のところに派遣されることになる。
レファールはこの時点では新枢機卿人事についてそう解釈した。
「他には……、おっ?」
別の一か所に目が留まった。
「ぷっ……、くくく、わはははは!」
レファールはその場で転がり回らんばかりに大笑いをした。
イダリスに報告と指示を出すと、レファールは早速バシアンへと向かうことにした。その表情には時折ニヤニヤとした笑みが浮かんでいる。
馬を飛ばしてバシアンにつくと、中央教会へと向かった。かつて、コルネー国王の花嫁選びが行われた場所でもある。
「大師様はおいでか?」
レファールは入り口に入り、尼僧に問いかける。「大師様」というのは大司教に対する敬称であるが、枢機卿が大司教に対して使う言葉ではない。必然、枢機卿であるレファールがその言葉を使ったことにけげんな顔をしたが。
「おそらく、庭の方におられるのではないかと」
「分かりました。私が見てまいりましょう」
レファールはいつになく重々しい口調で答えた。尼僧は「は、はぁ……」と戸惑ったような様子であったが、特に追及することはなかった。
教会の中庭には自然が多い……ということはなく、いかにもナイヴァルといった感じの建造物も多い。その建造物を眺めている金糸のローブをまとった司教を見つけた。
「大師、ここにおられましたか」
「だ、大師様だぁ? こそばゆいからやめ……って、大将!」
振り返ったボーザの姿はまさに馬子にも衣裳といった様相であった。許されるなら、庭を転がって笑いまわりたいくらいである。
「ハハハハ! 出世したなぁ、ボーザ・インデグレス大師」
「だ、大師はやめてくださいよ」
ほとほと参ったという様子でボーザは溜息をついた。
「バシアン中央教会大司教ともなれば、子供達にユマド神の教えを説く立場だろう。もっとも無縁な人物と思っていたんだがな」
「……そういうことはないですよ。大将だって覚えているでしょう? 俺が若者を鍛えてアクルクアまで送っていたということを」
「ああ、覚えている」
この件はレファールにとっていい思い出ではない。何せ自分の名前を使われてスパルタ教育をされていたのであるから、多くの若者が「レファールってとんでもない奴なんだな」と思ったことであろう。
「結局出番がなく帰ってきたのですが、あいつらの評判が良かったんですよ。それで、おまえは指導者が向いているんじゃないか? という話になって」
「それなら軍事教官を続ければよかったじゃないか」
「軍事は大将とスメドア様がいますんで、スメドア様が管理するようになりました。その下にマフディル・バトゥムがいる状況ですね」
「なるほど。しかし、そういう面倒な役回りをよく引き受けたよな」
「……何せこちらにはリリアンの絵という難事がありますので。あれを不問にするからと言われるとどうしようもありません」
「なるほど……」
さすがに昔過ぎて記憶が薄れそうになってはいるが、一度見せてもらった時に衝撃を受けたことは覚えている。
(リリアンの絵との交換条件なら仕方ないだろうな)
と妙に納得させられた。
「ま、経緯はどうあれ、これから頼むぞ、大師様」
「だから大師様は勘弁してくださいよ」
「おまえも、散々、大将、大将と言ってくれたからな」
遅まきながらも、その仕返しができる。
その事実にレファールは大いに満足していた。
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