第9話 メリスフェールの受難②

 二時間ほど待っていると、西の方からゆっくりと向かってくる船の姿が見えてきた。


 ちょうど別の船が東から西へと向かっており、その速度差が滑稽なほど明らかである。


「来たぞ、来たぞ」


 とはいえ、ゆっくりとやってくるというのは待っている者達にはちょうどいいものらしい。少しずつ近づいてくる船に歓声が送られ、「ミーシャ様!」と呼ぶ声も聞こえてくる。


(ミーシャ様って、サンウマでも結構人気なのね……)


 ミーシャが総主教だった頃、シェラビー・カルーグとやりあっていた記憶が残っているだけに意外ではあった。もっとも、現在の総主教ワグ・ロバーツがまだ三歳で一度も表舞台に出てきたことがないことも影響しているのかもしれない。


 声が聞こえたのか、ミーシャが甲板に姿を現した。その姿を見てメリスフェールは驚く。


(あのゆったりしたローブは……)



 一時間ほどゆっくりと近づいて、船はようやくサンウマの港にたどりついた。衛兵達が船から降りる人達に近づこうとする野次馬を阻んでおり、その間を縫うように乗員が降りてくる。


 船から降りてきたコルネー兵らしい衛兵が近づいてきた。


「王妃様から後ほどこちらへ、と」


「あ、はい」


 渡された紙には、サンウマの宿の情報が書かれていた。メリスフェールは先回りし、受付で待つ。また一時間ほど簡単に待たされ、外がうるさくなってきた。


「はい! 近づかないで! 明日、広場で挨拶をするから!」


 衛兵達が呼びかけて、どうにか入ってきた。「やれやれ」と兵士に囲まれた二人がローブを取り、ミーシャが近づいてくる。


「久しぶりね。メリスフェール」


「お久しぶりです、ミーシャ様。大人気ですね」


「全くよ。サンウマでこんなに人気があるとは思わなかったわ。シェラビーの本拠地だから遠慮していたけど、堂々と出向いていたら今でも総主教だったかもしれないわね」


 そう言って軽く舌を出す。


 メリスフェールは改めてミーシャの腹部に視線を向けた。


「かなり大きくなっていますね」


「そうね。もう九か月だからね」


 と答えて、ミーシャは「あっ」と思い出したように声をあげた。


「メリスフェール、申し訳なかったわね。正直、コレアルに行くまで婚姻とかそういうことは全く考えたことがなかったから、あたしも驚いたのだけれど、そこからはなし崩し的に決まってしまって」


「私は何も思ってないですよ」


 メリスフェールは笑顔を浮かべる。


「正直、そういう実感なかったですし」


 そこで初めてクンファの方に視線を向けるが、彼は離れたところに座っていた。側近と何か話をしている。


「……以前と比べると、大分国王らしくなってきたのではないですか?」


「うーん、どうかしらねぇ」


 ミーシャは首を傾げる。


「確かに、花嫁探しに浮かれていた頃と比べると多少マシになっているけれど、国王としての自覚がどこまで伴っているかについては何とも言えないわ」


 手厳しい評価に思わず笑みがこぼれる。


「笑いごとじゃないわよ。コルネーはナイヴァルに比べて、国王の決裁することが少ないからね。その分、さぼるのよ」


「そうなんですね」


「そうなのよ。まあ、ナイヴァルの場合は総主教が一応神の代理人という名目もあるのだけれど、あっと、そうそう、ここにはシェラビーはいないのよね?」


「そうですね。彼はバシアンにいます」


 ミーシャが退任して以降、シェラビー・カルーグは総主教の庇護者としてバシアンにほぼ常駐していると聞いている。


「ということは、その間サンウマはスメドアが管理しているわけ?」


「スメドアは軍の指揮官としての役割もあるみたいですので、実質姉さんがやっていますね」


「へえ、やるわねぇ」


「いや、ミーシャ様だってバシアンを管理していたじゃないですか」


「それはそうなんだけど、離れて三年も経つと大昔のように感じるわ。あ、そうそう、明日はサリュフネーテにも一応祝いに行ってあげないとね」


「そうですね……」


 メリスフェールの曖昧な答えに、ミーシャは「おっと」と口を押さえる。


「まあ、確かに複雑は複雑よね。あたしがサリュフネーテの立場だったら、多分嫌だと思うだろうし。でも、本人が真剣に考えて出した答えなんだから妹としては応援してあげた方がいいんじゃないかしら?」


「はい……、それは分かっています」


「そういえばあの馬鹿は何をしているの?」


「あの馬鹿?」


「あんた達と仲のいい馬鹿といえば一人しかいないでしょ?」


「レファールですか? そういえば、最近はあまり聞かないですね」


 自ら主導してフォクゼーレとの停戦協定を結んで以降は、マタリから出て来ていないという話である。おそらくは、イダリスの補佐を受けて統治に専念しているのではないだろうか。


「サリュフネーテが離れたんだから、ついて行けばよかったんじゃないの?」


「姉さんだけでなく、ミーシャ様までそう言いますか」


 メリスフェールは苦笑した。


「いや、別に悪意とかはないんですけど、そこまでする必要があるのかなぁって思っていまして」


「そこなのよ」


 ミーシャがビシッと指さしてきた。


「メリスフェールも、レファールも、『必要がないからしなくていいよね。相手が頼んでくるなら結婚してあげてもいいけど』みたいな感じだからダメなのよ。レファールは普通だからそれでも何とかなるかもしれないけど、貴女のような美人がいつまでも結婚しないと、そのうち男の方が『何か理由があるんだろう』とビビッて近寄ってこなくなるわ」


「いや、私、まだ17にもなってないんですけど……」


 かつて花嫁探しの時には「早い! 早すぎる」と叫んでいたミーシャである。今になって「時間がないわ、急ぎなさい」というのは筋が違うのではないか。

 メリスフェールは内心でそう思ったが、結婚を勧めるおばさん状態のミーシャには言うだけ無駄だろう。諦めたように肩をすくめた。




「馬鹿というともう一人……」


 しばらく無言のままでいるとミーシャの矛先が夫へと向かった。正確には視線ではなく顎を向けているのであるが。


「あそこの馬鹿は合同訓練とかしたいって言っているのよ」


「合同訓練?」


「ナイヴァル軍とコルネー軍の合同訓練を定めて、自分も出たいんだとさ」


「国王自らが? でも、コルネー国王は以前も」


「『俺は政治では何もできない。そもそも分からないし、王妃がしっかりやるからそれでいいのだ。俺にできることは最前線に立ってコルネーを守ることだ』とか言っているのよ」


「それがコルネー国王のポリシーということですか」


「ポリシーねぇ。メリスフェールは優しいからそうやって考えてあげられるのね。あたしには頭の悪い馬鹿の発想としか思えないわ」


 容赦のない言いようである。笑うしかない。


「そこまで言ってしまって、国王は怒ったりしないんですか?」


「ないのよねぇ。怒ったり、反発して浮気したりするくらいの気概でもあればいいんだけど、それすらないのよねぇ」


「浮気はさすがにまずくないですか?」


「そう? あたしは気にならないわねぇ。後継者が沢山いれば、あたしは気が楽だし」


「それならミーシャ様が今の子以外にも沢山……」


「嫌よ。子供産むのって、物凄く痛いらしいじゃない」


「……」


 容赦のない即答にまたも笑うしかない。


 と、クンファの机からミーシャを呼ぶ声がした。表情を見るに何かしら分からないことがあるらしい。


「……何なのよ、たまには好きなだけ話してこいとか言っていたくせに」


 ミーシャは文句を言いながらも、立ち上がった。


「じゃ、メリスフェール、また明日にでも」


 そう言って、「何なのよ?」と呆れたような物言いでクンファのテーブルへと近づいていく。



 後ろ姿を見ながら、メリスフェールは思った。


 やはりクンファは、ミーシャと結婚して良かったのだろう、と。


 自分が王妃だった場合、自分のことに必死で、とてもではないが国王を評価する余裕などないだろう、と。

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