第5話 イスフィートとフェルディス

 翌日、イスフィートは朝から皇妃モルファと顔合わせをすることになった。


(何という鬱な臭いがする部屋だ……)


 近づくにつれて漂ってくる強烈な香水の匂いにイスフィートは顔をしかめる。ここにハレジェがいれば「この香水は」などと説明をしたのかもしれないが、「皇妃様は私のことなど全く期待していないでしょう」ということでついてきてはいない。


「失礼いたします」


 ともあれ、案内に従い、部屋の前まで来た以上、まさか逃げ帰るわけにもいかない。イスフィートは扉を開いて中に入った。


 豪華な装飾がまずは目に入る。イスフィートは内心で嘲笑を浮かべた。


(ソセロンの富を全部合わせても、この部屋には及ばないのかもしれないな……)


 同時にこうも思う。


(だからこそ、この部屋を建物ごと蹂躙してみたくもあるが……)


 目の前には、豪華の粋を極めた衣装と装飾品に身を包むモルファの姿があった。その目が大きく見開かれており、恍惚としている。いつも感じる目線、イスフィートにとっては食傷している視線であった。


「そなたがソセロン教主イスフィートか。いやぁ、世間の評判通りの美貌よのぉ」


「ありがとうございます」


「もう少し寄ってくれぬか」


 モルファの誘いにイスフィートは顔をしかめる。


(仕方ない。あまり使いたくないが)


 イスフィートは切り札を使うこととした。


「我らソセロンの地においては、ユマド神信仰が絶対のものでございます。神は、既婚の女性と未婚の男が安易に寄ることを認めておらず、そのような軽率な男女は斬られても仕方ないと定めております」


「ホホホ、皇帝陛下が妾を斬るはずがない。安心なされよ」


「そのような問題ではございません。教主としての、信仰に関わる問題でございます」


 信仰とまで言われては、さすがのモルファもそれ以上食い下がることはできないようだ。


「ふうむ。教主殿は頭が固いのう……。そうだ、妾が、教主殿の妻を探してしんぜようか?」


(冗談ではないわ)


 と思うが、もちろん、それも直接は口にしない。


「同じくソセロンの地においてはフェルディスの女性は窮屈するものでございましょう。一日、二日で決められては私も、相手も迷惑することと思います」


「ふうむ……」


 モルファは明らかに拍子抜けした顔をしていた。その中には多少の不機嫌も含まれているようであるが、イスフィートは意に介さない。



 一時間ほどで暇を告げると、午後の連続した面会に備えて、部屋で休息をする。


 ガーシニーが飲み物を持ってきた。


「王宮の外での護衛はいかがいたしましょうか?」


「王宮の外?」


「昨日のハレジェの話でございます」


「ああ、それなら王宮の外より、むしろ、中だろう」


 ガーシニーが目を丸くする。


「中、でございますか?」


「考えてみろ。私がフェルディスを訪れるのは今回が初めてだぞ。外で暗殺を企むようなものなどいるわけがない。恐らくこの前、皇帝と面会している時に踏み込んできた男だろう」


「マハティーラ・ファールフ……、皇妃モルファの弟ですか」


「皇妃の弟か。姉弟揃って不愉快な面々というわけだな」


「犯人が分かっているのなら、フェルディス皇帝の処置を頼んだ方がよいのでは?」


「馬鹿を言え」


 イスフィートは呆れて両手を開いた。


「あの男はフェルディスで大きな影響力を持っているのだろう? そのままの方がいいに決まっている。あの男を追い落として、逆に有能な男がついたなら、我々にとって大きなマイナスだわ」


 ソセロンはいつまでもフェルディスの風下に立っているつもりはない。そのためには、フェルディスの要職を無能な者が占めていることに越したことはない。皇帝の義弟ということで就いているのなら、尚更である。


「いずれフェルディスには大失敗をしてもらわなければならない。そのためにはマハティーラがいるのが最善であろう」


「なるほど。しかし、暗殺の危機は実際にあるわけですが……」


「最初の二人は何とかするしかなかろう。その後については、マハティーラの機嫌を取っておけば何とでもなるだろう」


「なるほど。承知いたしました。それでは、本国に連絡をしておきましょう」


 魚心あれば水心、イスフィートが機嫌を取ると言った真意が「ソセロンの美女を差し出す」ということをガーシニーは理解していた。




 午後、イスフィートは王宮の客間へと向かった。


 まずは宰相ヴィシュワと思っていたが、客間には別人がいた。


「久しぶりですな、ソセロン教主」


 と親し気に語るのは外務大臣のトルペラ・ブラシオーヌであった。


「これは外務大臣殿。はて、最初は宰相殿との会談と聞いておりましたが」


「いえいえ、教主殿はホスフェでの選挙応援に、国内の開発もあると聞いております。多忙でございましょうから、三人一度に会談すればよいだろうと思って雁首揃えてまいりました」


 トルペラが笑顔で「どうぞ、どうぞ」と招き入れる。


「こいつ……」


 イスフィートは思わず舌打ちして、苦笑した。


(誰かしらから軽率な約束でも引き出せればと思っていたが、こいつが相手ではそうはいかんか)


 イスフィートがフェルディス領内に入るのは今回が初めてであるが、外務大臣のトルペラは三度ソセロンに来ており、対話の経験がある。そのため、お互いのことをよく知っていた。当然、トルペラはイスフィートの最大の武器がその美貌とカリスマ性であることを知っている。初見の者であれば、その雰囲気に圧倒されて、ついつい安易な承諾をしてしまいがちである、ということも。


 しかし、トルペラがその場にいるということは、そうした期待はできそうにない。


(まあ、よいわ)


 数年前ならいざ知らず、今のソセロンはおこぼれのようなお土産でも必要としているわけではない。しっかりと要望を伝えれば、それでいい。


 ハレジェとガーシニーを伴って入ると、一同がチラッとハレジェに視線を向けた。


「私は田舎者でございまして、な。今後、フェルディスでの話については、この者に任せることが多くなると思います」


「……左様でございますか」


 全員、複雑な顔をしたが、さすがに面と向かって「その者がどういう者かご存じですか?」という者はいない。


「今回、ソセロンの方でホスフェの選挙に協力していたという話ですが?」


 まずはヴィシュワが切り出してきた。


「はい。ホスフェの採掘技術は魅力的と感じております。外務大臣殿はよくご存じかと思いますが、フェルディスには幾つかの鉱脈があると目させております。それらを開発できれば、ソセロンがより発展すると思っております。それに」


「それに?」


「オトゥケンイェルにソセロンの者を置くことができれば、ナイヴァルのユマド神信仰に対抗することも可能であると考えております」


「ふうむ……」


「また、フェルディスがナイヴァルと戦線をする際に、我がソセロンが協力することも可能であると考えることができます」


 イスフィートの答えに、ヴィシュワが渋い顔をした。トルペラが笑う。


「ハハハ、ソセロンの教主様は比較的せっかちでございまして、な。そういうこともありうると考えているのですよ」


「おや、ソセロンではフェルディスとナイヴァルは一触触発と聞いておりましたが、違いましたか?」


「関係が悪化していることは間違いありません。しかし、すぐに起きうるというのは間違いですな」


「左様でございましたか。しかし、万一何か起こりうる時にはナイヴァルからも派兵したいと考えておりますので、どうぞお声がけください」


「ハハハ、それは頼もしい」


 ヴィシュワは笑い声をあげるが、顔は笑っていない。



 その後、事務的な会話をした後に、お開きとなった。


 客間に戻ったイスフィートはハレジェに尋ねる。


「宰相はナイヴァルとの戦端について随分と神経質なようだが、心当たりはあるか?」


「恐らくですが、ソセロン兵の荒っぽさを心配していたのではないかと思います。殊更に残虐な戦い方をしている、と聞いておりますからな」


 イスフィートはけげんな顔をした。


「……そうなのか? フェルディスはそんなに上品に戦っているのか?」


「上品に戦うわけではありませんが、戦死者を殊更貶めるようなことはしていないのが実情でございます」


「なるほど……」


 イスフィートも、どうやら自分達が作っている髑髏の盃などが問題らしいということを理解する。


「実際のところ戦端についてはどうだ? 我々は比較的早期に開かれると思っているが」


「何とも言えませんね。確かに関係は険悪です。険悪ですが、東がフェルディス、西と南がナイヴァルと固まっているので安定はしています。敢えて言うなら、今回、ナイヴァル寄りになった北部が契機となる可能性が高いかもしれませんね」


「そんなことはないだろう」


「いや、恐らくそういう方向で進むと思いますが、教主の見方は違いますか?」


 ハレジェの疑問に、イスフィートは満面の笑みで答える。


「ああ、他者が起こさないのなら、我々が起こすからな」

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