第4話 教主の外交官
カナージュの下町での状況を知る由もなく、イスフィートは皇帝から与えられた客室で寛いでいた。
今回の旅には、イスフィートの他、ガーシニー・ハリルファ、バフリト・ブスクターリーといった若手の幹部が同行していた。イスフィートが圧倒的な注目を浴びるそばで、彼らが情報などを記録している。
一方で重鎮でもあり、保守派のタスマッファ・ハカミは異教徒と友好的な会話などしてもできないと言い張っているので、ラインザースに残っている。
「明日はまず朝一番に皇妃モルファと会ってほしいと言われております」
ガーシニーが皇帝からの要請をイスフィートに伝える。欠伸をしながら、イスフィートはソファに深くもたれた。
「貴族の女と会うのは面倒だ。ただつまらない世辞を並べるだけだし、本気になられたら対処が面倒だ」
「そうは申しますが、フェルディスにおいて皇帝以上に影響力がある方ですので」
「分かっておる。それは分かっておるが、文句くらい言ってもよいではないか」
「……失礼をいたしました」
「他はどうだ?」
「午後に宰相ヴィシュワ・スランヘーン、外務大臣のトルペラ・ブラシオーヌ、更に農務大臣のコディージ・メハルガルとの時間を組んでおります」
「そうか。忙しいな」
一瞬げんなりとなるスケジュールであるが、といって、ガーシニーに任せられるかと言われると任せられない。こういう場にタスマッファがその宗教観故に来られないというのはイスフィートにとってはかなりの負担となる。
「教主様、一つ述べたいことがございますが、よろしいでしょうか?」
「構わん」
「今回、外交折衝などはほぼ全て教主様がなされております。これが負担となりますことから、私の方で外交官となりそうな者を探してみました」
ガーシニーの進言に、イスフィートは「ほう」と身を乗り出す。
ソセロンは国内で開発を続けてはいるが、元々辺境ということもあるため、人員という点でも技術面でも不満が多い。
これまでは内訌も多かったので、外との折衝という余裕もなかったが、幸いにしてイスフィートが九割以上を支配して五年以上が経ち、内部は安定の兆しを見せている。
この間にホスフェやソセロンから技術を引き出したい。そこでホスフェには選挙協力という名目で、フェルディスにはその途上での外交という形で回っているが、今度は折衝相手が多すぎるという問題が生まれていた。
ガーシニーの勧める、この地で採用した者を外交官として利用するという考え方は負担軽減という点では魅力的である。タスマッファが「異教徒を採用すれば、故郷の異教徒共を利することしかしません」と反対する情景は目に浮かぶが、それは適切に監督すればいいだけのことである。
「中々いいところに目をつけた。ちょっと会ってみたいな」
「今夜でもよろしいでしょうか?」
「今夜か。まあいい。善は急げと言うからな。向こうが来るのか? 私が行くのか?」
「向こうは多少事情がありまして、王宮などには一人で来られない身です。こちらから出向く方がよろしいでしょう」
と、ガーシニーは黒いローブを取り出した。これを深く着ていれば、イスフィートであるということは傍目には分からない。
「分かった」
イスフィートは行動すると早い。すぐにローブをまとうと、ガーシニーの案内で王宮を抜け出し、カナージュの街へと繰り出した。
時間は夕暮れ時を過ぎているが、ガーシニーの向かう先は賑やかである。
「このあたりはカナージュの歓楽街でありまして、敬虔なユマド神の信者にはとても許容できないような場所となっております」
「……確かにな」
女達の姿も多い。もし、フードを外せば大変なことになるであろう。
「これから教主に会っていただく者は、かつては期待されていた者だったそうですが貴族ではないので主流を外れて、こうした裏の世界に行きついた者でございます」
「だから王宮には来られない。こういう場所でしか会えないということか」
「しかし、話をしてみたところ、中々に面白い人物でございました」
「なるほどな」
ガーシニーは実直でそれほど弁の立つ者ではない。そのガーシニーが面白いといい、このような場所でも案内しようということは、会う価値はありそうであった。
ガーシニーが最終的に連れてきたのは、付近では目を引く立派な建物であった。標準よりは上というくらいだが、周りが酷い売春宿ばかりであるため、一際目立つというのが正しいであろうか。
受付の者と話をして、中に入る。それまでの退廃的な空気がなくなり、普通の場所に戻ってきたような感覚をイスフィートは受けた。
奥の部屋に入ると、頬や額には切り傷の跡がある中年の男がいた。立ち上がって挨拶をする。
「ハレジェ・アージカと申します」
「イスフィート・マウレティーだ。フードは取った方がいいかな?」
「いえいえ、このような場所で教主様がフードを取れば大変なことになってしまうでしょう。そのままで結構でございます」
「それはありがたい。ガーシニーからあらましは聞いた。ただ、おまえはこのカナージュでしっかり立場を確保しているように見える。それなのに辺境といっていいソセロンに来たいというのはどういうことなのだろう?」
「教主様は私の境遇はお聞きになりましたか?」
「聞いた」
向かう途中に大体のことは聞いていた。
かつてはブローブ・リザーニとともに評価されていた存在であった。しかし、悲しいかな、ブローブよりも優秀とまでは行かなかった。能力が同じくらいであれば血筋が高い方が評価されるのが当然である。そうなると立場も窮屈なものになるし、色々とやりづらい。
「……ということで、12年ほど前にそれなりの退職金を受け取って円満に離脱し、以降、カナージュの裏の世界を支配していると聞いた」
「はい。この立場もまあまあ楽しいものでございましたが、もう50になりましてね。大体この世界も楽しみました。もう一度、表の世界に出られることはないかと密かな憧れを抱いていたところ、ガーシニー殿より機会を頂いたということです」
ハレジェの言葉には表裏はなさそうであった。
「……分かった。早速明日から付き添いをしてもらおう。ブローブ大将軍とは会わないが、宰相や大臣と会う。知っている者もいるのではないか?」
とりあえず同居させてみよう。イスフィートはそう思った。フェルディスのエリート層に対抗心を燃やしているというのは自分と相通ずるものがある。もちろん全面的に信用するつもりはないが、いたからといって大きな損にはなるまい。
「……そんな簡単でよろしいのですか?」
「おまえ一人のために大層な試験を用意するのも面倒くさい。二日、三日もいればユマド神がどういう人物か示してくれる」
イスフィートは巾着袋を取り出した。
「ソセロンは貧乏なんでな。おまえの満足できる俸給は出せないが、契約金は出そう」
「これはありがとうございます。俸給などは無くても良かったのですが」
「馬鹿を言うな。それでは、俺がおまえに恩を負うことになってしまう。安いと思われようが、対価は出さんとな」
金貨を20枚取り出した。裏の世界の実力者に対する契約金としてはいかにも安いが、ハレジェは満足げに受け取る。
「これで私は晴れてソセロン教主をいただくこととなりました。そうである以上、忠義のために申し上げなければならないことがあります」
「ほう?」
「実は本日の午後、さる者から教主の暗殺話を持ち掛けられ、暗殺者を二名手配いたしました」
「何だと!?」
ガーシニーが大声をあげて立ち上がる。
「誰に持ちかけられたのだ!?」
「……」
「言え!」
「それはできませぬ。その時点では、私は裏の世界の人間でございました。こうした世界では信用が全てでございます。何者であるかまではお教えできません」
ガーシニーは怒りで真っ赤になる。その様子を見てイスフィートは思わず笑った。
「暗殺計画があるということを教えるのは問題ないのか?」
「いえ、それも多少問題ですが、さすがに完全に黙っているのは不忠であると判断いたしました」
率直な物言いにイスフィートは思わず笑みを浮かべた。
「分かった。それでいいだろう。計画があることを知っていながら暗殺されるとなれば、それは私の落ち度ということだろうからな」
イスフィートはそう言って大きく笑う。この男は信用しても良さそうだと思った。
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