第3話 イスフィートとマハティーラ

 フェルディスの帝都カナージュ。


 その王宮を皇帝アルマバート以上に我が物顔で歩く若者がいた。言うまでもなく、マハティーラ・ファールフである。既に二年の謹慎処分は解け、大手を振って王宮を歩いていた。廊下を歩く廷臣達は、マハティーラの姿を見るや、君子危うきに近寄らずといった風情で隅の方に隠れていく。


 そうした様子を得意げに眺めていたマハティーラであるが、廷臣達の囁き声が耳に入った。


「……ということで、ものすごい人気だそうだ」


「皇帝陛下よりも凄いのではないか?」


 マハティーラは足を止める。隅で囁き合っていた二人の廷臣がギョッとなり、そそくさと去ろうとするが。


「おい、人と目が合って逃げるのはどういう了見だ?」


 と語気を強めると、二人とも諦めたようにうなだれる。


「先ほど、皇帝陛下より上だとか言っていたな。一体何のことだ?」


「は、ははっ。現在、カナージュにソセロン教主イスフィート・マウレティーが来ているということで、庶民共が一目見んと集まっていて、その人だかりたるや陛下の巡回を遥かに上回るということでございます」


「何ぃ?」


 マハティーラの表情が歪む。


(俺のことかと思ったら、ソセロンの田舎者を見に集まっているだと?)


 頭に来るが、と言って廷臣の前で本気で怒るのも大人げない。


「……まあ、ソセロンの田舎者を見るのは珍しいのだろう。仕方あるまい」


 そう言って、ひきつった笑みを浮かべて、余裕ある態度を見せる。


「そうですね。閣下のお言葉通りだと思います」


 廷臣達も話を合わせたので、この時はイスフィートの名前をすぐに忘れることとなった。



 しかし、翌日。


「ねえ、マハティーラ」


 この日、朝から離宮にいる姉のモルファと食事をしていると、姉が話を向けてきた。


「何ですか?」


「ソセロンのイスフィート・マウレティーがカナージュにいるそうじゃない」


「えぇ。昨日、廷臣共から聞きました。それが何か?」


「何でも『悪魔のように美しい』とか『邪悪なまでに美しい』とか言われているそうじゃない。私も一度会ってみたいのだけれど、手配してくれないかしら?」


「はっ……? いや、しかし、奴はソセロンから来た田舎者でございますぞ」


「美男子には田舎も都会もないでしょ? ね、フェルディスとソセロンは同盟国だし、何とかしてちょうだいよ」


 姉は手を合わせて頼んでくる。こうなると、マハティーラも無視するわけにはいかないが、内心は穏やかではない。


(くそ……。廷臣だけでなく、姉まで気に掛けるとは。一体、どんな奴なのだ?)


 マハティーラは憤然とした面持ちで王宮へと戻って行った。


(皇帝に呼びつけてもらうか? ソセロンの教主などとほざいてはいるが、フェルディス皇帝を前にしたら、恐れおののいて何もできなくなるだろう)


 マハティーラはそう考え、皇帝の間へと急ぐことにした。



 皇帝の居場所にたどりつくと、衛兵達に止められた。


「閣下、今はなりません」


「何ぃ!?」


 いきなり止められ、マハティーラの頭の中でカチンという音が鳴る。


「貴様らごときが、俺を止めるとはどういう了見だ?」


「も、も、も、申し訳ございません。ですが、ただいま、陛下はソセロン教主の謁見を許しているところでございまして」


「ソセロン教主だと!?」


 またその名前か! イスフィートは内心で叫んだ。自分の行く先々でことごとく顔を出してくるあまりにも不遜な存在である、許しがたい。


「俺も会うことにしているのだ、どけ」


 マハティーラは止めようとする衛兵を押しのけて、中に入った。衛兵はそれでも何とかしようとしたが、これ以上不機嫌にしてしまうと自分達の非にされると考えたようだ。追跡を取りやめる。


 マハティーラは廊下を歩き、部屋へと入った。


「陛下!」


 部屋にいた四人の男が全員マハティーラを向いた。そのうちの一人の顔を見てマハティーラはギョッとなる。今まで美女を飽きるほど見てきたマハティーラでも、これ以上の美は見たことがない。しかし、端正さの中に、どこか不気味な闇のようなものが漂っている。


「……マハティーラではないか。何をしに来たのだ?」


 皇帝アルマバートが不機嫌そうな声をあげた。これまでそのような声を出されたことは一度もない。マハティーラは知らず冷や汗が流れるのを感じた。


「……ハ、ハハッ。姉上が高名なソセロン教主と会いたいと申されていたので、その了解を得ようと」


「それならば、余とイスフィートの話が終わってからでもよいだろう? 何故に途中で入ってくるのだ?」


「も、申し訳ございませぬ」


 いつもと勝手の違う皇帝に、マハティーラは足が震えていることに気づいた。自分の情けなさに腹が立つがどうにもならない。


「話が終われば、離宮の方に行ってもらう。おぬしは下がっておれ」


「し、しかし……」


「下がっておれというのが聞こえぬのか?」


「し、承知いたしました」


 マハティーラは唇を噛みしめて、部屋を出る。出たところで足を止めて、中の様子を聞こうと耳を澄ませた。


「……ソセロン教主よ、済まなかった」


「いいえ、あの方がマハティーラ・ファールフ閣下でしょうか?」


「うむ、そうだ。若いせいか、少々気が逸るところがあってな。大変失礼した」


「とんでもございません」


「しかし、残念よのう」


「何が、ですか?」


「いや、余に娘や妹がいないことだ。いれば、そなたに嫁がせて、親族関係を築いていただろうに」


 皇帝が上機嫌で話しているが、外で聞いているマハティーラはとてもそんな気分にはなれない。


(親族関係だと……!?)


 冗談ではない。マハティーラは思わず叫びそうになった。


 数年前から、マハティーラはあわよくば次の皇帝になれると思っていた。姉モルファが男の子を生んだためにその芽はなくなったが、自分は唯一の男性親族だという自負を勝手に抱いていた。


 それが、ぽっと出の田舎者が美男子であるというだけで、皇帝に取り入ろうとしている。到底許せるものではなかった。



 マハティーラは王宮を出ると、ハレジェ・アージカの屋敷へと向かった。


 このハレジェという男は現在50歳。10年くらい前まではブローブ・リザーニのライバルとも目されていたが、出世争いに負けてしまい、軍からドロップアウトしてしまった。現在は、カナージュのならず者達の元締めのような地位についていた。


「これは閣下。いかがなさいましたか?」


 突然のマハティーラの訪問であるが、ハレジェはあまり驚いたところはない。


 それも当然で、マハティーラは何か面倒ごとがあると、荒事要員をハレジェから借りて解決していることもある。彼の使用している諜報要員の半分も、ここで用意された存在であった。


「配下を二人寄越してほしい」


 マハティーラの端的な要望に、ハレジェの表情が曇る。


「……一体何にお使いですか?」


「そんなことをおまえが知る必要はないだろう」


「いえいえ、何をするか聞かないことには、適任者も見分けられませぬ」


「イスフィートを暗殺したい」


 マハティーラの言葉に、ハレジェの表情が曇る。


「イスフィートと申しますと、ソセロンのイスフィート・マウレティー?」


「他にどんなイスフィートがいるというのだ?」


 マハティーラが再度吐き捨てるように言う。ハレジェは困惑を隠さない。


「……噂でしか聞いていませんが、相当なカリスマの持ち主なのだとか? フェルディスとも国交がありますし、勝手に暗殺してしまうと大変なことになるのではないでしょうか?」


「馬鹿者。今、殺すのが大変だと放置しておいたら、今後ますます大変な存在になってしまうではないか。今のうちに殺しておけば、問題が最小限で収まるのだ」


 あまり深く考えた言葉ではなかった。


 しかし、ハレジェは「それも一理ある」と考えたようだ。なるほどと頷いている。


「なるほど。確かに、今後、ソセロンが強くなってしまえば、手出しできなくなる可能性があるわけですか」


「そうだ。だから、二人か三人寄越してくれ」


「……分かりました。どうやらそれしかないようですな。人選のうえで後ほど離宮に派遣しますので、お待ちいただけますでしょうか?」


「うむ。任せたぞ」


 マハティーラは相手の了承に満足し、すぐに王宮へと引き上げていった。

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