第2話 ソセロン教主の凱旋
フェルディス帝国中部・ブネー。
領主ルヴィナ・ヴィルシュハーゼが渋い顔をしながら客間に座っていた。
渋面の理由は正面に座っている男、リムアーノ・ニッキーウェイにある。リヒラテラの戦い以降、機会を見つけてはブネーにやってきており、今も座っている。
何のために来ているのかと問いかけると。
「今の世代が引退したら、私とヴィルシュハーゼ伯爵の時代だよ。そのためにも今のうちから関わり合いを深めておいた方がいいではないか」
と、飄々とした様子で語る。
これくらいなら、まだいいのであるが。
「どうせ皇帝はマハティーラを甘やかし続ける。大将軍と宰相が引退する頃には増長して皇帝を簒奪するくらいまでなるだろう。そこで足を掬えば、フェルディスは我々二人で制することができる」
とまで言い切るのはさすがに唖然となる。ルヴィナ自身、姉のことがあるのでマハティーラには恨みがあるが、ここまではっきりと誰かの前で「マハティーラを倒す」などということは口にしない。
(こいつは本気で言っているのか。それとも、私が乗ったら密告するつもりなのか?)
本心が分からないので、より警戒が深まるという状況が続いている。
ただ、この日は、マハティーラの話題はすぐに終わった。
「オトゥケンイェルで勝ったソセロンの教主イスフィート・マウレティーがホスフェからの戻り際、各地で遊興三昧でいるらしい」
「……彼の頑張りでソセロン派の元老院議員が生まれた。当然ではないか?」
ホスフェの選挙結果は既にフェルディスにも届いている。
リヒラテラ、オトゥケンイェルについては勝利できたし、オトゥケンイェルで属国のソセロン派の元老院議員が生まれたという朗報はあった。しかし、中立地と目されていた北部ではナイヴァル派の議員が生まれており、フェルディス全体としては芳しくない結果に終わったと言える。
とはいえ、ルヴィナはあまり関係のない話と捉えていた。「フェルディス派が負けたのであれば、あの馬鹿(マハティーラ)が余計なことを考えなくて済むからかえっていいのではないか」と公言はしないが、クリスティーヌ他にはこうした本音を漏らしている。
「ところが、あのソセロン王というのは大層なカリスマの持ち主のようでね。通過しているところで大熱狂で迎え入れられているらしい」
「……ニッキーウェイ侯爵のパタルトラでも?」
「幸か不幸か、私の街は彼らの遊興ルートから外れていたので、被害は被っていない。ただ、ブネーは間違いなく通るよ」
「ブネーの領民が、こぞってソセロン教団に入ると?」
「ありえないではない」
リムアーノが明らかに不快そうな表情を浮かべた。マハティーラについて語る時以上に不愉快そうな様子に、ルヴィナは興味を覚える。
「ソセロン教団が勢力を拡大する。ニッキーウェイ侯爵には不都合なのか?」
「あの男は、フェルディスの足を掬うことを考えている。今はともかく好き放題させておくと危険だろうね」
リムアーノがしたり顔で語るのを、ルヴィナは黙って聞いていた。
そのリムアーノが領地に戻って二日。
「ルー、ソセロン教団が通行許可を求めてきたわ」
クリスティーヌが執務室に入ってきた。その手にイスフィートの手紙を持っている。
ルヴィナは意外そうな顔をした。
「通行許可……? フェルディス皇帝からもらってないのか?」
「貰ってはいるみたいだけどね、高名なヴィルシュハーゼ伯爵に対しては直接貰いたいとか言ってきているわ」
クリスティーヌが差し出した手紙を受け取り、開いて確認する。クリスティーヌの言う通り、『フェルディス皇帝の許可という威をかざして貴領を通りたいとは考えておりません。ソセロン流の挨拶をさせていただきたいので隣領との境で待っていたいと思います』というようなことが書かれてある。
「……ソセロンは、数年前、ナイヴァルに対して『女が総主教であることは認められない』とか言っていなかったか?」
「言っていたわね。でも、ルーは皇帝ではないから別にいいんじゃない?」
「そういうものか……」
「どうする? 勝手に通れとでも言っておく?」
「……正直、そうしたい」
ルヴィナはそう言ったものの。
「ただ、ニッキーウェイ侯爵が評価しているのも事実だ。あの御仁は簡単には他人を評価しない。だから興味がないと言うのは嘘になる」
「じゃあ、どうするの?」
クリスティーヌの問いかけに、ルヴィナは耳打ちをした。
二日後、ブネーの西の端にはソセロン教団の黒い集団が列をなしていた。全員が黒い旗を掲げており、黒いローブをまとっている。少し遠目に見ると、カラスや蟻の大群を見るかのような光景である。
しかし、その中心部にある光だけは黒ずくめでも覆い隠すことはできない。ソセロンの王イスフィート・マウレティーである。また、彼だけはフードを外しており、その至上の造形とでも言うべき素顔を晒していた。これを見た通行人の女性が歓喜の声をあげ、男性は不服そうな顔をしつつもそこから目を離せないという状況があった。
その一団に屈強な男二人が近づいていく。もちろん、武器の類は所持していない。
「私は、ヴィルシュハーゼ伯爵の一族でスーテルと申します」
長身のスーテルがイスフィートの前で丁寧に挨拶をした。イスフィートも同じく丁寧な挨拶を返す。
「ソセロン教主イスフィートです。高名なスーテル殿とお会いできて光栄です」
その低いが、よく通る声に、少し離れたところにいる女性が騒ぐ。そのけたたましい声にスーテルは一瞬眉をしかめたが、すぐに自分の役割を思い出し、表情を直す。
「領主ルヴィナは残念ながら、リヒラテラ以降やや疲労がたまっていて寝込んでいます。今回、ソセロン教主との面会を楽しみにしていたのですが、とても出られそうにないということで私を代わりに遣わしました」
「それはそれは……。リヒラテラの立役者ということで、どのような女性か楽しみにしていたので残念です。しかし、代理の者を遣わしていただきましたことは感謝いたします」
「えぇ、通行に関してはもちろん、ご随意にどうぞという許可をいただいております」
「分かりました。それでは」
イスフィートは後ろに視線を送った。一同が頷き、一斉に通行していく。その馬の速度たるや相当なものであった。
5分ほどして、ソセロンの従者は全員通過し、イスフィートだけが残る。
「どうかしましたか? 教主」
スーテルの問いかけに、イスフィートは微笑を浮かべた。喚声をあげている周囲に手を振って応えているが、目線はある一角の方に向いていた。しばらくそのままの姿勢でいて。
「それでは、ありがとうございました。失礼いたします」
スーテルに一礼をすると、馬の腹を蹴り、仲間達を追いかけていった。
その様子を見送った後、スーテルとクリスティーヌはイスフィートが視線を向けていたところに近づく。目線の先にローブを被った冴えない人間たちがいたが、そのうちの一人に声をかける。
「気づいていたようだな」
1人が頷いてフードを取った。その下から鮮やかな金髪が舞い広がる。
「……己に対する自信は相当なもの。だが、周りにも目線を配っている。ニッキーウェイ侯爵の評価は正しい。のかもしれない」
ルヴィナがポツポツと評価を口にした。
「ホスフェとソセロンを行き来する。間のフェルディスにも彼のシンパが増える。彼はまだ若い。今後厄介になるかもしれない。それに」
「それに?」
「彼は美男子。皇妃を誑し込めば、フェルディスを奪えるかもしれない」
「わお。それは穏やかではないわね」
クリスティーヌが突飛すぎる予想に驚くが、ルヴィナは表情を変えないまま言葉を続ける。
「私はそれでもいい。マハティーラがいなくなって、フェルディスにいい皇帝が就くなら」
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