第7話 暗殺

 774年7月18日夕方。


 ジュスト・ヴァンランはメラザ・カスルンドとイムカ・ナキスを引き連れて、天宮の入り口付近の待合所にいた。ゆったりとした愛らしい色のローブを着ていて、遠目には男か女か分からないような恰好をしている。


 天宮、すなわち天主の住まいということである。ここで天主ジェダーマ・デカイトが生活をしているという。もっとも、その生活ぶりは謎に包まれている。ジュスト自身、軍のナンバースリーまで上り詰めたが天主ジェダーマとは会ったことがない。


「駆り出されたと思ったら、また暗殺ですよ。裏仕事やりたくて軍に入ったわけではないんですが」


 同じようなローブをまとっているメラザがぼやいている。「また暗殺」という内容は分からないが、以前にもこうした活動に参加したことがあるということであろう。


(海軍大臣フェザート・クリュゲール、戦場で聞くことはないが恐ろしい男よ)


 ジュストはコルネーという国の底知れ無さに戦慄を感じていた。



 一か月半前、コルネーを代表するフェザートがビルライフの後押しをすることを明らかにした。これによってビルライフは父である天主を弑することを決意し、今日までその計画を練っていた。


 いよいよ、この日が暗殺の決行であるが、コルネー側からも誰かしらを出してほしいということで個人でも腕が立つメラザとイムカが動員されることとなった。ビルライフとしてみると、途中ではしごを外されてはかなわないという思いがあるのであろう。


 一方、ナイヴァルからはレファールが来ているが、こちらはビルライフが天主となった後に支援すると確約しているものの、暗殺そのものには参加していない。




(まさか、こんな後の無いところまで来るとはなぁ……)


 フォクゼーレ軍に所属するようになった時には考えられなかったことである。


(もし、失敗してしまったらどうなるのであろうか?)


 天主を殺害しようというのは、フォクゼーレではもっとも重大な行為である。とはいえ、仮に失敗したとしてビルライフはほかならぬ天主の息子であるから、死刑は間違いないが最大の極刑を課せられることはないだろう。


 最大の極刑が課せられるとすれば、ナンバーツーのアエリム・コーションと、ナンバースリーの自分である。


(茹でられるのか、八つ裂きか、あるいは切り刻まれることになるのか)


 そのいずれもご免被りたい。


 失敗した場合にはナタニアを連れて、イルーゼンまで逃亡するしかない。この一か月半、その準備も欠かさず行ってきた。


「ふん、ふん」


 目線を横に向けると、アエリム・コーションが腕立て伏せをしていた。かつてはコルネー王アダワルを戦死させた男である。「国王も天主も似たようなものだ」ということで一人余裕の様子である。その自信にあふれた姿は頼もしくはある。


「俺は荒事はやりたくないからな、頼むぞ……」


「任せておけ。俺は最強だからな」


 自信満々にアエリムが答える。


(最強ねぇ……)


 確かにフォクゼーレでは最強であろう。その名前に恥じない働きをしてほしい、ジュストは切実に願う。




 時計は22時を回った。


「アエリム、ジュスト」


 休憩がてらうとうととしていたジュストはビルライフの声で起こされる。


 ビルライフはいつものように軍服を着ているが、さすがに天主の前に出るということで勲章などは外していた。そうでなくても神経質な顔をしているが、その度合いが強いのであろう、こめかみのあたりの血管がピクピクと震えていた。


(途中で荒れたりしないでほしいものだが……)


 ビルライフが完全に切れてしまうと、どうしようもないほど荒れてしまうことをジュストはよく知っている。失敗すれば死刑が確定するという緊張感に果たしてビルライフが耐えられるのか。ジュストは甚だ不安であった。


「行くぞ」


「ははっ」


 とはいえ、行かないわけにもいかない。ジュストは身を起こし、奥へと向かう。


 天宮の中には天主の一族以外の男は入ることを許されていない。従って、アエリムやジュストらはローブを着ている。もちろん、近くにいれば一目で分かってしまうが、一目でバレなければそれで問題がない。苛立った様子のビルライフに近づきたい者など、いるはずがないからである。


 そのまま奥に近づいて、天主の部屋に踏み込んで殺害してしまおうという計画であった。天宮は男がいないので防衛力は弱い。速やかに始末して、制圧してしまい、「天主は心臓の病気により亡くなった」と報告をする予定であった。


 速やかに近づき、短時間で殺害する。これが全てであった。もし気づかれた場合、天主の長男バハール・マリスが隣の建物にいる。彼が衛兵などを引き連れて入り口を封鎖した場合、外へは逃げられない。


 奥に抜け道があることは知られているが、それはなるべく使いたくない。




 奥に進むにつれて、談笑の声が聞こえてきた。数名の女の楽しそうな声が聞こえるあたり、奥で酒宴でも開いているのであろう。


 アエリムと視線が合った。「チャンスだ」ということらしい。


「慌てるな」


 しかし、気が逸るアエリムをビルライフが制する。


「間違いなくいることを確認してから、一気に部屋に踏み込むのだ」


 小声で制するように言い、アエリムも「はっ」と言葉を返す。


 楽し気な声と女の甲高い声が大きくなってきた。最奥のすだれがかかった部屋の前まで到達するが、中の音がうるさいので足音などは全く聞こえていないであろう。


「父上、ビルライフでございますが」


 ビルライフが簾の外から声をかける。


「何じゃ? こんな夜更けに? 明日にせい、明日に」


 億劫そうなしわがれた声が聞こえてきた。ビルライフがニヤリと笑う。


「残念ながら明日まで天主がいらっしゃるとは思いませんのでなぁ!」


 と言って、簾を開けた。ジュストもアエリムもローブを脱いで中に踏み込む。



 途端に大きな悲鳴が上がった。


 踏み込んだ中には薄絹を一枚まとっているだけの女が七、八人いた。その奥に。


(これが天主か……)


 ジュストはうんざりとなった。まるでヒキガエルのような醜く太った男が深々と腰かけていた。いきなりの侵入者に慌てふためいているが、これだけ太っていては到底逃げられそうもない。


「アエリム!」


「おうともよ!」


 ジュストの合図にアエリムが答え、奥へと踏み込んでいこうとしたが。


「ぶ、無礼者だわ!」


 慌てふためくヒキガエルとは裏腹に、周囲にいる女どもは意外に肝が据わっている。近くにあった酒瓶などを一斉に投げ始めた。最初は余裕で受け止めていたアエリムであったが、一人が近くにあった蝋燭台を倒し、入口近くに火が広がる。


「うおっ!?」


「うおっ、じゃねえよ!」


 戸惑っているアエリムを罵りながら、ジュストが近寄ろうとするが、こちらにも酒瓶や食べ物などが飛んできた。


「天主様、早くお逃げを!」


 女たちが邪魔をする。火と女の壁に阻まれて、思うように進めない。


(どこが最強なんだよ!?)


 アエリムに内心で毒づいた瞬間、風を切る音がして、何かが火の中に飛び込んだ。


「おおっ!?」


 メラザであった。小柄な上に思い切りよく飛び込んだので女も反応できない。水を浴びたようで、火による負傷も大したことはないようだ。


「き、き、貴様……? 何をするつもりだ?」


 怯えたような声をあげるヒキガエルを捕まえ、メラザは「うおお!」と咆哮をあげる。


「でやあ!」


 雄叫びとともに入り口の方にヒキガエルを放り投げた。100キロ、あるいは120キロくらいありそうなヒキガエル……天主が入り口へと放り投げられてくる。


「おい!」


 ジュストがアエリムの尻を蹴飛ばした。それで我に返ったか、アエリムが剣を抜いた。女たちが悲鳴をあげる。天主が完全にビルライフの支配下に入った以上、もうどうすることもできない。


「……死ね!」


 しかし、アエリムは案に相違して女たちの方に向かった。


(そうか……。確かに顔を見られているしな……)


 天主を殺すという怖れ多い行為はアエリムに任せたかった。しかし、無辜の女たちを殺すのとどちらがいいかと言われれば……


「どけい、ジュスト!」


 と、背後からビルライフに蹴られて、ジュストは前の方につんのめる。後ろを向くと、鬼のような形相をしたビルライフが剣を構えていた。ジェダーマは何か命乞いをしているようであるが、ただ泣き叫んでいるだけで何を言っているのか聞こえない。


(激情してしまうのは血なのか)


 ジュストは思った。その瞬間、ビルライフが剣を突き立てた。


「入り口からは難しい。奥から逃げるぞ」


 確かに事になっており、入口には戻れない。


 アエリムが火に油を撒いて火勢を強くすると、全員、抜け道を目指した。中を駆け抜け、ヨン・パオの市街地の裏庭へと出た頃には市民達が「天宮が燃えている」と喚き散らしている声が聞こえた。


 抜け道があるということは知られているが、それがどこに通じるかを知っているのは天主だけである。ここまで来れば一旦は安全だった。後は早く持ち場に帰るだけである。


「お主のおかげで助かった。礼を言うぞ」


 満面の笑みでビルライフがメラザに抱き着く。


「はあ……。俺はこういうことをするために、軍に入ったんじゃないんですけどねぇ」


 ビルライフの抱擁を受けながら、メラザは首を左右に振ってぼやいていた。

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