第8話 停戦成立

 同じ夜。


 レファールはフェザートと共に宿屋の一角で大宴会を開いていた。


 フォクゼーレの武官や文官も何人か集まっている。そうした者を相手にレファールは自ら酒を注いで回っていた。


 ここ数日、二人は宴会を繰り返している。


 理由は二つ。一つは当然、ビルライフの天主暗殺に備えてのカムフラージュ行為。


 もう一つは単純にフォクゼーレの文官・武官との間に知己を作っておこうというものであった。



 そろそろ22時になろうという頃、一人の武官が入ってくる。


「おお、ジュスト! 遅かったじゃないか!」


 レファールが大声で呼びかけると、ジュストと呼ばれた側はうつむき加減に頷いた。


 もちろん、ジュスト・ヴァンランではない。風貌が似ている者を連れてきていただけである。しかし、場にいる面々のほとんどはほろ酔い気味であるから、それがジュストであるかどうか気にする者はいない。


「どうしたんだ? 飲み過ぎたのか? 飲み過ぎたのなら、しばらく休んでいるといいぞ、ジュスト!」


 と大声で叫び、ジュストに扮した男を横にした。



 そうこうしていると、「天宮から火事が!」という声が聞こえてきた。


 全員が血相を変えて立ち上がる。レファールとフェザートも「一体、何があったのです?」と聞いて回る。


 外に出ると、遠くからでもはっきり分かるくらいに街の一角が燃えている。


(また随分と派手に燃やしたものだな……)


 レファールは内心でそう考えながらも、「大変だ! あんな中にいてはフォクゼーレ天主はどうなってしまうのか?」とわざとらしく慌てて、参加者とともに火の出ている方に向かった。


 既に天宮は手のつけようのない程激しく燃え上がっている。周りからも「一体何があったのだ?」、「天主様はご無事なのだろうか?」というような不安そうな声が漏れ聞こえてくる。


 とはいえ、炎の前には何もできない。


「……さすがにこれ以上宴会という雰囲気でもなさそうですな。戻りましょう」


 レファールがそう言い、周りの者も確かにそうだと戻ることにする。宴会が終わりなら戻る必要もないのだが、全員、天宮が火事だという報告に慌てて飛び出したため、荷物などを残している者が多かった。


 会場に戻ると、横になっているジュストを起こす。


「おい、ジュスト。おまえ、こんな時にも寝ていたのか?」


「……うん? ここはどこだ?」


 と不思議そうな顔をしているのはジュスト・ヴァンランである。


「ジュスト、あんた一体どれだけ飲んでいたんだ?」


「あ、あぁ……。何かあったのか?」


「天宮で火事が起きて凄いことになっていたぞ」


 レファールの言葉に、ジュストは唖然とした顔をする。それを見て、周囲の何人かが。


「まだ少し酒が残っているようですな」


「ジュスト殿がいてもどうにもならないですし、休んでいた方がいいでしょう」


 と、思い思いのことを言っている。


 20分後には参加していた者は全員帰り、三人が残された。ジュストが溜息をつく。


「これで何とかなるかな……」


 参加していた者がジュストは天宮が燃える前からレファールらと共に酒を飲んでいたと証言するはずであった。




 そこから三日間、レファールとフェザートはヨン・パオの推移を見守ることになる。


 当初の予定では速やかに暗殺して、そのまま撤退するというものであった。それが出来なくなったので証拠隠滅も兼ねて火をつけていったらしいが、これが二つの効果をもたらした。


 まず、証拠がないので事故だか事件だかが分からないということである。


 相当に油が撒かれていたことがあったため失火の可能性は低いと思われたが、この日休みだった天主付の女が「天ぷらなどで大量の油を使っていたことがあり、それで厨房で小さな火事が起きたことも何度かある」と証言したため、失火の可能性も否定できなくなったのである。


 もう一つは、天主ジェダーマの明確な死体がないため、消息が知れない扱いになってしまったということである。


 多くの焼死体があったのでその中にいる可能性は高いが、抜け道があるということは知られている。何といってもフォクゼーレ天主である。勝手に死んだ扱いにして、後々「実は生きていました」となったら、大変なことになる。


 もちろん、ビルライフやアエリム、ジュスト、メラザらは間違いなく死んだことを把握しているが、それを言う訳にもいかない。間違いなく、「何故知っているのだ? 現場にいたのか? お前達が殺したのか?」となるからである。


 軍司令部や政庁で何度も議論がもたれ、結局、以下の形で決着した。



 ①三年間天主を空位にすること

 ②その間、政治に関することはバハール・マリスが、軍事に関することはビルライフが取り持つこと

 ③三年間の間、ジェダーマの生存が確認されない場合には改めて審議すること



「政治家連中が中々頑張ったようだ」


 ジュストは報告しがてら、溜息をついた。


 確かに、この結果はビルライフにとっては誤算であっただろう。バハール・マリスは天主ジェダーマの長男ではあるが、全く聞いたことのない存在である。ビルライフとしては、完全に割って入られたという認識であろう。


「ビルライフがこのまま天主になったら、フォクゼーレの政治家連中はお先真っ暗だから当然と言えば当然だろうけれど、バハール・マリスを擁して対抗できるのかね?」


 レファールはあまり良い見通しを得ていない。


(何と言ってもフォクゼーレだからな……)


 正直、これまでの記憶をたどってもフォクゼーレの何かをして、それが目論見通りにうまく行く様子を見たことがない。


(対抗馬を立てて、ビルライフを牽制しようということ自体は分かる。しかし、バハール・マリスがたいしたことがなければ、ビルライフがより政治部門を弾圧して酷いことになるだけではないだろうか)


 もちろん、ナイヴァルやコルネーにとってはそれでも関係ない話である。ひょっとしたら、フェザートはここまで予想してビルライフに天主殺しをそそのかしたのかもしれない。


(フェザート大臣にはそれでもいいのかもしれないが、さすがに隣で虐殺が行われています。ウチには得だからいいよね……とはいかないからなぁ)


「ビルライフ殿はどうなのだ?」


「最初は不満そうだったが、バハール・マリスなら相手にならないだろうし、天主不在なら軍を制する者はいないということで、あまり問題にはしていないようだ」


「……まあ、そうだろうな」


「ただ一つ、困ったことを言っている」


「困ったこと?」


「先日の件で、コルネーの護衛をすっかり気に入ってしまってな。何とか所属を変えられないかと言っている」


「コルネーの護衛? ああ、メラザのことか。それはフェザート大臣に聞いてもらうしかないんじゃないかな?」


 さすがにメラザの離脱を認めることはないだろう。レファールはそう考えるし、ジュストもそれは分かっているようだが。


「ただ、相当ご執心のようでな。どちらかというと、そちらの方法がないかと考えていて、バハール・マリスの件は二の次という様子だった」


「それは厄介だな……」


 いくら何でも他国の者を引き抜けないからと癇癪を起こすことはないだろうが、停戦期間その他の条件に影響してくる可能性がある。そこは不安であった。



 その夕方、レファールとフェザートは改めてビルライフと面会した。


「……という条件で、兄のバハール・マリスが政務を見て、俺が軍を見るということになった。最高の条件ということにはならなかったが、俺がいる限り、政治家面々が口出しすることはないし、フォクゼーレは事実上掌握できたと言っても過言ではない」


「何よりでありました」


「御二方にとっても、天主の地位が三年間確定しないということは、逆に和平の担保になっていいのではないか? その間は俺が裏切りたくても裏切れないことになるからな。ハハハ」


 ビルライフは豪快に笑う。レファールもつられて笑おうとするが愛想笑いしか出ない。


「ということで、三年は確定で追加して二年、五年間の停戦でどうか?」


「かしこまりました」


「それでのう。友好の証と言っては何だが、コルネーの護衛の、あの少し背の低い男を、フォクゼーレ軍に譲ってはもらえないだろうか?」


 真っ正直に要求してきた。ある種の図々しさにレファールは苦笑し、フェザートの返答を待つ。


「ビルライフ閣下、あの者はコルネー軍にとっても柱石でございますので、さすがに譲るというのは難しく思います。ただ、お互い、武官を派遣しあうことはございますので、その時にはあの男を、ということでいかがでしょうか?」


 ビルライフは「うーむ」と腕組みをする。とはいえ、さすがの彼もこれが相当に無理筋な要求ということは理解しているのだろう。


「ふむ。まあ、そのあたりが限界だろうな」


 五分ほど逡巡し、同意した。



 全員が同意したので、あとは書面などを揃える作業が待っているだけである。


 いや、もう一つ。「勘弁してくださいよ」と嘆いているメラザを宥めるという作業も待ってはいたが。



 かくして774年9月、


 フォクゼーレ軍総司令官ビルライフ・デカイト

 コルネー軍陸海軍代表フェザート・クリュゲール

 ナイヴァル枢機卿レファール・セグメント


 この三人の同意の下に、五年間の停戦協定が成立した。


 これにより、ナイヴァルとコルネーは後背のフォクゼーレを気にせず、東部戦線に踏み込めるようになった。

 しかし、これが良からぬ副産物をもたらす結果にもなることを、まだ三人は知る由もなかった。

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