第5話 ビルライフの要求
翌日、ジュストはヨン・パオ中心地にある軍司令部の建物へと向かった。
供はいない。レファールもフェザートも同行を願い出ていたが、断っている。
支援してくれる見込よりも、余計なことを言われてより厄介な事態になる危惧が上回ったためである。
建物の壁面に描かれた自分とアエリムがコルネー王アダワルを戦死させている絵が目に入る。これを見たらフェザートはどう思うのだろうかということもまた、彼の気持ちを暗いものにさせる。ただし、ここに描かれているからこそ、下級兵士出身の自分がヨン・パオでの安全を保障されているとも言えた。軍司令部の壁面に描かれるような英雄を、まさか陰謀で処刑するなどといったことはできまい。
「こ、これはヴァンラン様、おはようございます」
ジュストが来たことに気づくと、周りにいた兵士達が一斉に敬礼をした。
「ビルライフ様はいらっしゃるか?」
「は、はい。ご予定を伺ってまいります」
廊下を走ることは厳禁されているが、ジュストの指示は絶対と思ったのだろう、兵士は脱兎のごとく駆けていく。
(やれやれ、相変わらずここに来ると息が詰まるようだ)
そう思いながら待っていると、すぐに舞い戻ってきた。
「今からでも大丈夫、ということでございます!」
「そうか」
兵士をチラリと見た。自分と歳はそう変わらないであろうが、膝に頭が当たらんばかりの角度でお辞儀をしている。何とも言えない光景ではあるが、自分があれこれ言っても変わることでもない。肩をすくめて、ビルライフの私室へと向かう。
「閣下、入ります」
「おお」
ジュストはヨン・パオでもっとも陰鬱とした場所が軍司令部であると考えているが、中でもビルライフ・デカイトの部屋が最たるものと考えていた。部屋に入るだけで暗澹たる影が自分の心に覆いをかけるように感じた。
「どうしたのだ? ジュスト。おまえから来るとは珍しいな」
語り掛けるビルライフは、前回会った一か月前より少し痩せているように見えた。半年ほど前に知ったことであるが、ビルライフは打倒コルネーという目的を達するために肉や魚を完全に断つことを考えついたらしく、食事は野菜や果実ばかりである。以前は肉付きのよかった体つきだったが、最近は会う度に痩せぎすの体になってきている。
それでいて、以前同様に何かあるとすぐに怒鳴り散らすところも変わりない。かつての小太りの姿で怒鳴られるのも鬱陶しい思いを抱いたが、今のビルライフが喚くと幽鬼が吠えているかのごとくであり、言いようのない不気味さがある。
「実はナイヴァルとコルネーより、停戦を求める要請がありまして」
「ほう……?」
窪んだ奥にある目が怪しく光る。
「イルーゼンといい、おまえのところばかりにそういう話が来るんだな……」
「ま、まあ、以前イルーゼンに直接出向いていたということがありますので、向こうとしても面識のある相手がいいということでしょう」
変な猜疑心を抱かれてはたまらない。ジュストは汗をふきながら誤魔化す。
「……で、条件は?」
「条件については、まずはこちらから出してほしいということでございます」
「ほう……?」
「それによって、実際に停戦するかどうかを決めたいということでございまして」
「ジュストよ」
重い口調で問いかけられ、思わず頭を下げる。
「アレウトの女王と結婚することとなり、しかもコルネー、ナイヴァルと停戦したら、我々フォクゼーレ軍は攻めるところがなくなってしまうではないか」
「停戦期間中だけのことでございます。明けた時までに準備をして、一気に攻め込むのがよろしいかと思います」
「……そこまで譲歩せねばならぬのか? おまえはナイヴァルやコルネーをどう考えている」
「どう考えていると申されましても……」
勝てないとは言えないが、勝てるとも言いづらい。答えを言いあぐねていると、ビルライフが嘲笑するような笑みを浮かべた。
「明日までに見通しを持ってこい。それを見て、俺も考えることとする」
「分かりました」
頃合いと考えて、引き上げようとしたところで再度声をかけられる。
「そういえば、シルキフカルからは連絡が来たのか?」
「いえ、まだ何も来ていません」
「そうか。てっきりすぐに断ってくるかと思ったが」
アンドラーシ・ニアリッチを送ってから、二か月半ほどが経過している。すぐに断ると決めたのであれば、もう回答が戻ってきてもいい頃であった。
「……道中に何かしらあるかもしれませんし、まだ何とも言えないかと思います」
「分かった。明日までに持ってこい。それと……」
「何でしょうか?」
「裏切るなよ」
ジュストは思わず息を飲んだ。一度深呼吸して、答える。
「ここ数十年、フォクゼーレの司令官が裏切ったことが、ありましたでしょうか?」
ようやくそう答えて、外に出た。
憂鬱な足取りで屋敷に戻ってくると、ナタニアに二人について尋ねる。
「朝から、ヨン・パオの見物に行くと言って、まだ戻られておりませんが」
「……ヨン・パオの見物か」
ジュストにとっては好ましいこととは言えない。街を一日歩いているということは、恐らく中心地だけ飾り立てていて、その周辺には貧困な地域が広がっているということに気づいているだろうと考える。
(……まあ、それが理由で停戦を取りやめるのであれば、それはそれで有難いと言えるのかもしれないが)
停戦自体は好ましいが、自分が色々詮索されるような気がしてならない。
別の機会までに延期できるものなら延期したい、そういう思いがあった。
程なくして、二人が戻ってきた。
「ヨン・パオ見物に出かけていたということだったが、どうだった?」
ジュストの問いかけに、二人は顔を見合わせる。
「いや、人が多いなと感心した」
レファールの答えはいかにも初めて来た者の答えであった。
「……人口150万人だからな」
「そうだなぁ。前回もそうだが、とにかく街並みの大きさには驚かされるな」
「それだけか?」
「……大臣、何かありますか?」
「いや」
ジュストの問いかけに対して、二人ともけげんそうな顔をするだけである。気づいていないのか、あるいは本当に見ていないのかは分からないが。
それ以上追及しても望む反応はなさそうである。ジュストは食事に向かいがてら、昼間のことについて報告をした。
「……ビルライフ様に尋ねてきたが、即答はなかった」
ジュストの報告に、両者とも頷いている。
「それはそうだろう。何かしら条件はおありかな?」
「条件は聞かれなかった。聞かれたのは、ナイヴァルとコルネーに対する勝算の有無だ」
「ほう、それは中々難しい質問だな」
レファールが天井を見上げた。
「事実がどう以前に、フォクゼーレ軍の総帥を前にして、『両国には勝てません』とは答えられないだろう。しかし、現実的に戦争になったら、あまりフォクゼーレが勝つ想像はできないな。あ、これは煽っているわけではなく、私の単純な感想だ」
「……俺もそう思う。正直に答えて不興を買うか、嘘をついて後々無能の烙印を押されるか。あるいは……」
「あるいは?」
「両国の中枢から聞き出した情報をそのまま伝えて、ありのままの状態を考えてもらうしかない、ということで」
ジュストは紙とペンを用意する。
「今夜は両国の現状をありのまま教えてもらいたいと思うのでな、よろしく頼む」
そう言って、二人の顔を見る。
そう来られたか、二人ともしてやられたという顔をし、苦笑いを浮かべていた。
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