第4話 交渉への布石

 ヨン・パオに到着したレファールとフェザートは、まずジュスト・ヴァンランを訪ねることとした。


 レファールにとってはイルーゼンで共に戦った盟友でもあるし、現在、軍の中では穏健派として知られているので、取っ掛かりとしては最適と思ったためである。


 ジュストは下級幹部時代から屋敷を変えていないため、中心から離れたところにある。


 道を聞いて、そこに向かうが、どうやら間違えたようで少し遠回りになる。


「ハハハ、どうやら俺には方向音痴という才能があったらしい」


「それは才能ではありませんよ」


 本気で言っているかのような物言いにレファールは笑うしかない。


「今度、美人と一緒に歩く時は使ってみるといいぞ」


「……うーん、知り合いは私の方向感覚が優れていることを大体分かっていますからね」


 と雑談をしていると、フェザートが不意に何かに気づいたような声をあげた。


「おや……」


「どうかしましたか?」


「あれを見ろ、レファール」


 フェザートの指し示す方向を見て、レファールは思わず「あっ」と声をあげた。


 街の中心地から外れた市場では、先程までとは一転して歩いている市民も陰鬱な雰囲気である。こちらの視線に気づいた子供達が怯えたような顔で視線を背けた。


 先程まで歩いていたところとは全く異なる、闇に閉ざされたような街が広がっていた。フェザートが自嘲気味に笑う。


「後で他のあたりも見てみたいが、どうやらこれが本物のようだな」


「……そうですね」


 どうやら、ビルライフを始めとする軍は自分達が支配しているヨン・パオを良く見せようと中心地近くだけ殊更明るくするように強制していたらしい。ヨン・パオへの客は中心地より外に出ることなく、「軍が酷いというけれど、ヨン・パオはいいところだよ」という感想を抱くのであろう。


 少し外に出れば、ありのままのどうしようもないヨン・パオが広がっているのである。


「俺の方向音痴も役に立つようだな」


「これを役に立ったと言うべきかどうかは……」


 レファールは苦笑した。開き直りもいいところであるが、確かに道に迷わなければこうした実情を知ることはなかっただろう。ジュストとの話が速やかに終わった場合には、中心地を散策して帰路についただろうからである。




 場所は離れているが、屋敷自体も軍のナンバースリーの住むにしては質素な造りであった。


「元々は小屋みたいなところに住んでいたそうですが、出世した時に付近の同僚の小屋が取り壊されて全部自宅として改修されたとイルーゼンで言っていました」


「中心部に住むつもりはないのかね?」


「出世する喜びより、粛清される恐れの方が先立つので、いざというとき逃げられる場所にいたいようですね」


「苦労人だねぇ」


 フェザートが悲哀を込めた口調で言う。レファールも同感であった。


「とりあえず訪ねてみましょう」


 レファールはそう言って、屋敷を掃除している女性に声をかけた。


「私はナイヴァルのレファール・セグメントという者で、先だって手紙を送っていたと思うが、ジュスト・ヴァンラン将軍はおられるだろうか?」


 女性が「えっ」と声をあげる。


「レファール様!? 少々お待ちください」


 箒を投げ捨てて、女性は屋敷の中に入っていった。中から「ジュスト様! ナイヴァルのレファール枢機卿が来ましたよ!」と叫んでいる。


(使用人かと思ったら、あれがジュストの妻だったのか……)


 程なく、奥から見覚えのある男が現れた。背丈、顔立ち、そして生き様もどことなく似ている男。


「……何とまあ、まさか本当にヨン・パオまで来るとは」


 レファールの顔を確認し、ジュストは驚きと賞賛が半分半分の表情である。


 そのうえで後ろにいる妻を見た。


「……もうすぐ夕食の時間だ。せっかくだし、ヨン・パオの料理でも味わってもらおう」


 そう言って、無言のまま中に入るように目線をくれた。




 案内された食堂は、清掃は行き届いているが、家具や食器、広さなどには目立つものはなかった。ジュストもそれを感じているようであらかじめ断りを入れてくる。


「ナイヴァルの枢機卿にコルネーの大臣をもてなすには不十分かもしれないが、下級階級出身なので大目に見てもらえれば」


「いや、それは私も同感だから」


 と言いつつ、フェザートに視線を向ける。


「……何か俺だけ別みたいな視線を向けられているが、俺も指を鳴らせば何でも出て来るような高級貴族じゃないぞ」


 不満げに答えつつ、席につく。


 間もなくナタニアと使用人が大きな土鍋と焼いた魚などを持ってきた。


「料理も特別なものではないが、まあ、どうぞ」


 ジュストの勧めで、レファールも米を口にする。


「ふうむ、フォクゼーレの米というのは何ともネバネバしているものだな」


 レファールの食感に、ジュストも頷いた。


「だから、サンウマ・トリフタの時には乾燥したコルネーの米を受け付けずに、空腹のまま進んだ者が多かったということだ」


「確かにね」


 ということは、これを食べられないということはサンウマ・トリフタで文句を言っていたフォクゼーレ兵と同列ということになる。そう思われたくないので、何とか噛みしめる。


 一方のフェザートは、全く気にせず食べている。


(そういえば、大臣はここに来るのは二回目か。慣れているのだろうな)



 酒も交えながら、三人の食事が進む。


「で、今回の来訪の目的というのは?」


「ああ、できればビルライフとの面会をセッティングしてほしいと思って、な」


「……停戦協定か? うまくいくかな?」


 表情から、ジュストは乗り気ではないようであった。


「相手があることだから、うまくいくのかは分からない。ただ、やってみる価値はあると思ってな」


「……おまえの考えていることは分かる。それがビルライフ様にとってマイナスでないことも分かる。ただ、あの人は自分にとって得になることも提示しないと動かないぞ」


「得になるものは提示できる。ただ、あんたにとっては非常に望ましくないものかもしれないけれどね」


 レファールの答えに、ジュストだけでなくフェザートも「一体何なんだ」という顔をしている。


「……シェラビー・カルーグ枢機卿の強みに諜報力というものがある。あの人は味方やら敵のところに知らず諜報員を送り込むのが得意でね。そうした技術と情報提供をもたらすことは、ビルライフ・デカイトの軍政掌握に有意義だとは思わないか?」


 ジュストの表情がみるみる渋いものに変わっていった。ビルライフ一味の監視能力が強化された場合、その監視される対象にジュスト・ヴァンランも入ることは明白であるから無理はない。


「……レファール、イルーゼンにいた時はもっといい奴だと思っていたがねぇ」


「そうか? 俺が悪い奴なら、あんたには何も言わずにビルライフにこっそり伝えるぞ」


 レファールはそう言って笑う。


「もちろん、こちらも飲むことにやぶさかない条件なら飲むつもりではいる。とはいえ、ビルライフがどのレベルで望んでくるかは分からないので、ね。そこは申し訳ないが、あんたに頼みたい」


 それがないのなら、先程の条件でビルライフと手を打つぞ。


 レファールの言葉にはジュストに対するプレッシャーの意味合いがある。いや、レファール自身はそれしか考えていない。


(実際にシェラビー様が誰を動かしているかまでは分からないからな)


 シェラビーの諜報能力が秀でているのは間違いないが、それを教えてくれと言っても全ては教えてくれないだろう。アムグンのように諜報員であること自体を隠しておきたいと考えている存在も少なくないはずだ。


 それでも、「諜報技術が伝えられる可能性がある」以上、ジュストは真面目な交渉をしなければならない。ビルライフがそういう能力を伸ばすことを極度に恐れているのだから。


(ま、確かに嫌なやり方ではある)


 ジュストは苦虫を嚙み潰したような顔をしている。その返事を待ちながら、レファールは自分の性格の悪さを自覚していた。

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