第7話 コルネーへの誘い①

 コルネー王都・コレアル。


 その西側にあるコレアル港を男女が歩いていた。二人とも大きめのローブをまとっており、一見すると旅に来た風来坊のようにも見えなくはない。


「本当は一度はサンウマの港も見た方がいいんだけどね」


 その女、新王妃ミーシャ・サーディヤ・コルネートが話す。


「そうすると、コレアルとサンウマの違いというものがよく分かるから」


「……」


 まるで、コレアルの港が、サンウマに比べると貧相だと言わんばかりの物言いであり、住民にとっては面白くない話であろう。


 隣でムスッと聞いている人物もそうであった。しかも、コレアルどころかコルネーを統べる存在であるから尚更だ。


 ただし、この男が国王クンファ・コルネートであることに気づいた者はおそらくいないであろう。


 二人は772年の2月に結婚式をあげ、正式な夫婦となった。それ以降、この若き国王夫妻がやっていることはコレアルをお忍びで回るということであった。


「国王たるもの、コルネーを良くするために上を目指さなければいけません。でも、高い山を登れば登るほど、下のことが見えなくなるのは当然の理です。ですので、下の状況というものも確認しておかないといけません。というより、陛下はやるべきことが見えていない状態ですから、まずは下から登山ルートを考えなければいけません」


 ミーシャの言葉は、就任して以降何らの実績も方針もないクンファにとっては耳に痛い。


「もちろん、神の任意という名前で選ばれる総主教と異なり、国王という地位は『降りたい』と願って、降りられるものでないことは承知しております。しかし、何も考えず上に向かうだけだと、下のことが分からなくなり落ちることが怖くなります。そうして、何も変えられなくなります。そのようにして手近な権力や立場にしがみつくだけで終わりを全うできなかった為政者は数多くおります」


 また、同い年でありながら、完全に自分を見下ろしているように見えるミーシャの言動が不満と思えなくもない。


「と、よくセウレラが申しておりました。おっと、もう夕方ですね。それでは私は王宮に戻っておきますので、陛下はどうぞご自由に」


 とはいえ、今がそうであるようにミーシャに放り出されると途方に暮れるのも事実である。


 新王妃は自分の求められる役割を大体理解している。妻としての務めはきちんと果たすし、「王家の血筋が陛下一人なのは問題ですので、外で一人か二人作ってきなさい」と、他所で作ってくることまで奨励している。


 今もまた、どこか手近な娘のところにでも行って、子造りに励んでこいということであった。


 結婚前、クンファ自身はどこかに愛人を囲いたいと密かに希望していた。


 ミーシャは不細工ではないし、愛嬌のある顔立ちをしているがパッとしない。メリスフェール・ファーロットのような目の覚めるような美貌でもないし、元々農民一家に生まれたこともあるから体形としてもさほど目立つものではない。


 メリスフェールほどの存在はいないとしても、コレアルにも美人はいる。夫婦の関係は仕方ないが、愛情という関係は別の女に求めよう。クンファはそう思っていたのである。


 しかし、他ならぬミーシャに「そうしてこい」と言われている現在、クンファのそうした意欲はなくなってしまった。


 ミーシャに愛情を見出したというよりは、逆らうと怖いという精神的依存によるものであるが……。




 王宮に帰っていったミーシャと入れ替わりに、近衛兵ヘルサ・ルベンスタインが現れた。


 ヘルサは前王アダワルの時代から、クンファの護衛を務めており、現在ではクンファがどこの誰と関係をもったか記録するための任務を負っている。


 もっとも、記録係に関しては最近は休業状態である。


「王妃は要領がよすぎる」


 ルベンスタインの屋敷で高級酒を飲みながら、主にミーシャに対する愚痴を言うことが夜のスケジュールとなっていた。


「いっそあいつがコルネーの政務を取り仕切ればいいのではないだろうか?」


「短期的にはその方がいいかもしれませんが」


 ヘルサは一応国王家の傍系にあたる人間であり、前王アダワルの時代からクンファとは付き合いがある。以前は対等に近い立場であったこともあり、その発言は今のように容赦がないことも多い。


「お子様が生まれれば、王妃様の時間も限られたものになってしまいます」


「子供のことは乳母やその他に任せておけばいいではないか?」


「王妃様がそういうことをされる方とは思えませんが?」


「……」


「である以上、陛下を教育するしかないわけですよ」


「しかしだな、今の私は大海の中にポンと放り投げられたようなものだ。何をしたらいいのかさっぱり分からん」


「以前から申し上げておりますが、それが分かるようになっただけでも進歩なのではないかと? この三年間、側近と共にいた時は何もしないのに、何かしている気になっていたのですから」


 大体、こういうあたりで話が終わる。


「現在のコルネーは、フォクゼーレの動向にもよりますが、ナイヴァルとの関係は安定しており、極めて平和な状況でございます。今のうちに陛下が進路を見出すことができれば、長い繁栄が待っているのではないかと。そのためにも、今は足下を固めつつ、後継者造りに励むことが大切です。陛下が探せないのなら私の方で適当な人を探してきましょうか?」


「いや、いい。自分で探す」


「あるいは王妃様に選んでいただくという手も」


「……それだけは勘弁してくれ」


 愛人までミーシャに選ばれるとなると、自分の存在意義がなくなってしまう。


「左様でございますか。おや?」


 その時、扉がノックされたので、ヘルサが一旦部屋を出る。


 クンファは無言のまま、酒を一杯飲む。いっそ泥酔して、誰か呼んで事に及ぼうかと考えなくもないが、それをしてしまうとミーシャに文句を言われるような気がしてならない。事に及んだことではなく、「彼女から聞きましたが、何も泥酔してなさることはないでしょう」ということに。


 しばらく一人で飲んで、悶々となる。現実逃避をしたいから酒を飲んでいるはずなのに、余計こびりつくような感覚が苦しい。


 そうこうしているうちにヘルサが戻ってきた。


「陛下、ナイヴァルから使いが来ているとかで、明朝は早めに王宮に出てほしいそうです」


「ナイヴァルから? ナイヴァルからなら王妃の個人的なことだろうし、私が行っても意味がないのではないか?」


 と、クンファは乗り気ではないが、「そういうわけにもいかないだろう」とヘルサに文句を言われ、渋々王宮に戻ることにした。

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