第15話 マハティーラの処分①
フェルディス軍は沈痛な面持ちのまま退却し、ジャングー砦まで戻って行った。
その場で解散ということになるが、スーテル・ヴィルシュハーゼのみ、ブローブに呼ばれて砦の応接間に向かう。
ブローブの様子を見て、スーテルは内心で「おぉ」と感嘆の声をあげた。退却してきてすぐということで疲労の局地にあるはずだが、表情は活き活きとしておりまるで疲れた様子がない。
「何かありましたか? 大将軍?」
「単刀直入に聞くが、ルヴィナは何時戻ってくる?」
「……正直に申し上げますが、分かりません」
戦前にリムアーノに聞かれた際と同じ回答をする。
リムアーノの時と違い、ブローブは渋い面持ちになった。
「それでは困る」
「なるべく早く戻るように手配したいとは思いますが……」
そうは言っても、本人がどこにいるのかも分からない状況である。元々厭世的な性格をしていたこともあるし、音楽に恵まれた場所があればそこに永住してしまう可能性も否定はできない。
「……わしは三年前までミベルサ最強と呼ばれていたが、評価は落ちる一方だ。このリヒラテラでの二連続の失敗で、な」
「今回は大将軍の責任ではないでしょう」
「とはいえ、戦歴に二度連続失敗したことが追加されるのは間違いない。もちろん、戦歴のことなどどうでもいい。ホルカールと違い、いくらでも取り返す機会があるのだから。ただ、このままホスフェに好き勝手させておくわけにはいかぬ」
ブローブの眼光にスーテルは思わず怯む。そういえば、数年前の壮年だったブローブはこうした鷹のようなギラリとした眼光をよく見せていた。
(大将軍となって以降、やや温和になったのは下につく者が増えたせいか)
「今回は最低といっていい戦をしてしまった。妥協に妥協を重ねたうえに指揮官が愚か極まりないことをしてしまい、結果として多くのものを無駄死にさせてしまった。二度と同じことをするわけにはいかぬ。一年以内に彼らの無念を晴らさなければならない。そのためにも、次回は何としてでも最大の戦力をもって当たる。食糧も例外はない。コディージが四の五の言うようなら斬る」
「そ、それは穏やかではないですな」
「次回は最強の戦力をもって当たらなければならない。ソセロン、イルーゼンのことは一旦棚上げしてもホスフェに目にものを見せる必要がある。そのためにはどうしても、ルヴィナも戻ってきてもらわなければならない」
「承知いたしました。ブネーに戻り次第、捜索隊を派遣いたします」
「うむ、頼んだぞ。何か条件があるのならこちらに言ってもらっても構わない」
「分かりました」
スーテルは、心の中では「面倒なことになった」と辟易していたが、まさかそんな表情を顔に出すわけにはいかない。恭しく頭を下げて、部屋を出て行った。
五日後、帝都カナージュにも急使によって報告が届いた。
情報を受けた皇帝アルマバートはこれ以上なく顔をしかめた。
「分かった……。夕方、宰相と会う予定になっているから、その際に詳しい話をしようと思う」
伝令にそう言って退出させると、自身はそのまま後宮へ、皇妃モルファの部屋へと向かった。
清涼な空気の漂う宮殿からモルファの部屋に入ると一転、種々の珍品が醸し出す芳香が鼻孔をくすぐり、陶酔の極みへと誘われていく。その中央に天女のような豪華な服をまとった女が、宝玉を凝らした椅子に腰かけていた。
「……子供はどうだ?」
皇帝は優しく問いかけた。女は座ったままで頭を下げようとするが、アルマバートが制止する。
「良い良い、子供の負担になるかもしれん。安静にしておれ」
「ありがとうございます。今は安定期でございますので、もうしばらくすれば蹴ってきたりするのではないかと」
「そうか……」
アルマバートは一瞬目を細めて、次いで溜息をついた。
「マハティーラであるが、大失敗してしまったらしい」
「まぁ……」
「ホルカールをはじめ多くの者が戦死したらしい。さすがの私もかばいきれない」
「それでは、どのようなことに……?」
「御前会議に出るとなると、全員の前で謝罪をする必要があるだろう。そのうえで地位の降格ということになる。ま、降格とはいっても、新たな役職を作って就けるゆえ、実質的に何かマイナスになるということはない」
モルファが皇帝に近づき、倒れかかるように寄りかかった。それを支えると目と鼻の先にモルファの顔がある。多彩な香水の香りが鼻をくすぐった。
「陛下、お考え直しください。あの子に老臣達に謝罪させるというような惨いことを命じるのは」
「……私もそうしたいのはやまやまだが、今回は独断で動いたうえにそれが敗北の原因になったとほぼ全員の者が主張している」
「あの子は誰かに騙されたのです。私と子供のために体にいいホスフェの海藻を持ってきてくれると約束してくれた優しい子なのです。どうか酷い処置はおやめください」
「ううむ、だが、それをしてしまうと大将軍もリムアーノも激怒するかもしれん」
「あの子を正しく導くのが大将軍や貴族の役目ではございませんか。己がなすことをせずに、あの子に責任を問わせようなど、あまりに醜くて吐き気がしてしまいます。陛下、私に不安を与えないでください……」
「そ、そうだな。お腹の子供にも障ることだし……、だが、どうしたものか」
この後、宰相のヴィシュワ・スランヘーンと会う約束をしている。マハティーラに対して処分なしという措置を下した場合、彼が烈火の如く怒る様子が容易に想像でき、思わず身震いする。
「それでは、半年ほど謹慎するということにしてはいかがでございましょう。その間、私と子供の面倒をみてもらえれば、私にとっても有難いですし」
「ううむ……」
「お願いでございます。陛下」
とモルファに何度も懇願されると、アルマバートも「ダメだ」とは言えなくなる。
「……分かった。ただ、半年では短いかもしれん。一年にしよう。子供が産まれて以降も世話をする者は必要になるだろうからな」
「承知いたしました。陛下、ありがとうございます」
「う、うむ……」
モルファが頬に口づけをした。それに対しては満更でない顔をしたアルマバートであるが、部屋を出ると頭を抱える。
とはいえ、今更話を変えるわけにはいかない。アルマバートは王の間に戻り、ヴィシュワを待った。
時間通りにヴィシュワがやってきた。入ってきたヴィシュワの顔を見て、アルマバートは逃げ出したいと思った。全身、怒りに身を震わせているのが伺える。
「陛下、リヒラテラでの話を聞きましたか?」
「うむ。聞いた……」
「いかに皇妃様の弟といえども、今回ばかりは処分していただきますぞ」
「うむ。だが、皇妃はお腹に子がいる状態だ。あまり刺激したくはない」
「それは理解しておりますが、物事には限度がございます」
「分かっている。地位を降格させ、一年謹慎させるということでどうだろうか?」
ヴィシュワは大きく目を見開いた。ややあって、「は?」と隣の部屋にも響くような大きな声をあげる。
「陛下、ご冗談は抜きにしていただきとうございます。父の自殺を制止できなかったヴィルシュハーゼ伯爵が自身に三年間の追放刑を課したのですぞ。今回の戦いでは、マハティーラのせいで数千人もの兵士に、ホルカールまで死んだと聞いております。本気で一年の謹慎などと言えば、軍は叛乱を起こすかもしれませんぞ」
「では、どうすれば良いのだ? 頼む、何とか皇妃にショックを与えないような方法を考えてくれ……」
皇帝は宰相に拝まんばかりの態度で頭を下げる。ヴィシュワの怒り心頭の表情が次第に憐れむようなものへと変わっていった。
「……軍は死刑を要求すると思いますが、さすがにそれは陛下も皇妃も耐えられないでしょう。そうですな、二年ほどソセロンに追放ということでどうでしょうか?」
「追放……?」
皇帝の顔が蒼ざめる。
「はっきり申しますとこれでも全く足りないとは思います。ただ、この条件を受け入れるのであれば、ブローブを何とか納得させましょう」
「う、うーむ……。分かった……」
これ以上の妥協は無理だと理解したらしい。アルマバートは渋々頷いた。
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