第7話 メルテンスの提案

 1月12日までの10日間、レミリアは順調に仕事をこなしていた。


 その夕方の少し前、バグダ・テシフォンが作業場に現れた。


「今日も精が出ているようだな」


 と慰労の言葉を口にするが、された側はお互い顔を見合わせる。バグダは不愉快な上司ではないが、放任主義でわざわざ職場に顔を出して激励の言葉をかけるようなタイプではないという印象であった。ただ、レミリアはここに来て日が浅い。「もしかして、こういうことは時々あるのか?」とアムグンを始めとした他のスタッフに確認するが、全員が首を傾げている。


 違和感に対する回答は、すぐにバグダの口から語られる。


「この後、少しいいだろうか? ビーリッツの息子にも来てもらって、話したいことがある」


「……分かりました」


 どうやら、ただならぬ事態が発生したらしい。全員が緊張した面持ちで答えた。



 業務終了後、一行は屋敷の従者に案内されて食堂へと向かった。


「おおぉ」


 どこからともなく声が漏れる。長いテーブルにビュッフェ形式で皿が並べられていた。カタン王女であるレミリアにとっても滅多に見ない食事である。


「何なんでしょう? もしかして、浮気相手と結婚したいんでしょうか?」


 エレワの言葉に思わず苦笑した。確かに、妻と離婚して、浮気相手と再婚するに際して不評を恐れて言い訳を求めるというのはないではない。


「でも、それならラドリエル殿までは呼ばないでしょ?」


 と話したタイミングでラドリエルも姿を現した。こちらも呼ばれた理由は分かっていないらしい、ピンとこない顔をしている。


「皆、揃ったか。実はオトゥケンイェルのメルテンス・クライラから手紙が届いた」


 どよめきの声が上がった。メルテンス・クライラと言うと、リヒラテラで戦死したコーテス・クライラの息子であり、自分が選挙で勝つために父を神格化し、代わりにフグィを貶めた男である。オトゥケンイェル派は嫌われているが、もっとも嫌われている存在と言っても過言ではない。


「一体、何を言ってきているのですか?」


 どよめきがおさまらない中、ラドリエルが尋ねる。


「うむ。今回、挙国一致体制でフェルディスに対抗したい、リヒラテラに軍を出してほしいということだ」


 どよめきが更に大きくなった。


「どういうことですか? メルテンス・クライラはフェルディスと戦うと言っているのですか?」


 アムグンの問いかけにバグダは頷いた。


「ここに手紙の複写を置いておく。明日の昼、皆の意見を聞きたい。今は食事を楽しもう」


 そう言って、入り口近くの小机の上に手紙の複写を置いた。


 そのうえで、ワインの瓶を開いて、バグダ自ら各人に注いで回る。


 上流のワインに、素晴らしい食事、理想的な環境ではあるのだが、全員、手紙の内容が気になるのであろう。黙々とした雰囲気で食事は進んでいった。



 夜、レミリアとエレワは部屋に入り、手紙を開く。


『フグィの皆さまへ

 現在、フェルディス軍はジャングー砦において我がホスフェへの侵攻準備中という情報が入っております。しかし、今回は前年・当年の不作もありまして前回ほどの兵力ではないという情報も入っております。

 そのような状況であるにも関わらず、威嚇をかければ我々ホスフェが膝を屈すると思っている高慢な態度にはホスフェの全国民が怒りを覚えても不思議ではないと考えております。そこで今回、我々オトゥケンイェルの精鋭が奴らを迎え入れますので、これを全滅させてリヒラテラの防衛はもちろん、あわよくばジャングー砦まで奪い取れればと考えております。

 これまで不幸な対立がありましたが、それらを水に流し、挙国一致の体制でフェルディスという猛威を跳ね返そうではありませんか。

 メルテンス・クライラ』


「……まさかオトゥケンイェル側から、フェルディスを叩こうという動きが出て来るとは思いもよりませんでしたね。レミリア様」


「ええ。ただ、ラドリエルと違って、メルテンスはこの二年で一気に上に行きたいと考えているんでしょうね」


「上ですか?」


「そう。フェルディスに問題がある、そこを突いて祖国を守る英雄という立場に上り詰める、その功績で執政官の地位を狙うつもりなんじゃないかしら?」


「ということは、メルテンスの手紙はオトゥケンイェルの総意ではないのですね」


「ええ、メルテンス個人の抜け駆け行為になるわね。反フェルディスが多ければそちらに乗っかって、自分がリーダーになるつもりなのでしょう」


「うーん、ただ、その場合にリーダーがメルテンス・クライラである必要はないのでは? 不幸な対立なんて本人は言っていますけれど、元々はメルテンスが巻き起こしたものでは?」


 それまでもオトゥケンイェルとそれ以外の街で対立があることはラドリエルが示唆していた。


 しかし、決定的としたのはコーテスが戦死した後、メルテンスがフグィやナイヴァルを貶めたことにある。それを「不幸な対立」などとどの口が言うのか、エレワの不愉快そうな表情はそう物語っていた。


「ただ、フェルディス軍の動きを察知できるのは繋がりがあるオトゥケンイェル派しかできないからね。フェルディス軍に絶対に勝ちたいのならメルテンスに乗るしかないというのは確か」


「ああ、そうか……」


「一方メルテンスからすると、その事実で反フェルディス派の上に立ち、オトゥケンイェルのライバル達を押さえつける。うまいやり方とは言えるわね」


 唯一の懸念といえるのは、信頼関係であろうが、これもそれほど大きな障壁ではないとレミリアは思った。


「反フェルディス側には、メルテンスがこういう手紙を送ってきた事実があるから、メルテンスが裏切ればこれを公表すればいい。メルテンスは反フェルディス側を利用しない限り自分の計画がうまくいかない。つまり、両者の間に打算に基づく信頼関係は成り立つわね」


 エレワも納得したらしい。


「とすると、これは賛成ということになるのでしょうか? 過去は過去、今は今ということで」


「恐らく、そうなるんじゃないかと思うけど、明日の昼にならないと分からないわね」


「確かに、私達は部外者ですものね。明日、どうなるか楽しみですね」


 フグィの人達は客観的に物事を見られるわけではないかもしれないですからねぇ。そんなことを呟きながら、エレワはベッドへと向かっていった。



 翌朝、全員、同じくテシフォンの屋敷に集まるが、昨日のことがあるので全員作業にならず、チラチラと周囲を見渡すばかりである。


 そうした様子を見てとったのだろう。11時に現れたバグダは作業場の様子を見て苦笑し、「少し早いが昼ご飯にしよう」と言って、全員を食堂に集めた。


「レミリア様、私、何人かの人にレミリア様はどうなのかと聞かれたので昨日の話をしておきましたよ」


 エレワが耳打ちをしてくる。


「ふうん。どうだった?」


「皆さんなるほどと言っていました」


 バグダが立ち上がった。


「それでは、昨日の話について、皆の意見を伺いたい。まずラドリエル殿」


「色々考えてみましたが、さしあたり反対する理由はないと思います」


「貴殿は私と共に前回のリヒラテラにおいて、不愉快な思いをしたと思うがそれでも?」


「はい。メルテンスの話には具体性がありますし、こうした裏交渉を持ちかけてきている以上、我々を騙そうとすることもないと思います。我々の第一の敵は誰かと申せば、それがフェルディスであるのは間違いありません。信頼性を確認する必要はあると思いますが、さしあたり乗りたいと思います」


「なるほど。次にペルトリス」


 バグダは秘書のペルトリスに尋ねたが、こちらも賛成という態度である。


 その後、アムグンらも含めて次々と尋ねていくが全員が賛成であった。


「予想外に楽勝でしたね」


 エレワが小声で話しかけてくる。その声が聞こえたのか、バグダの視線がこちらを向いた。


「……全員賛成ということであるが、一応レミリア王女の意見も伺おうか」


「はい。私は反対いたします」


「当然ですよね……って、えぇっ!?」


 エレワがギョッとなって振り返る。


 話が違うではないか、そういう非難する視線であった。

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