第6話 フグィ再び

 大陸暦772年の正月をレミリア・フィシィールはホスフェ南部の街フグィへの船上で迎えていた。


「果たして覚えてくれているかしら」


 レミリアが心配しているのは、グライベルとラドリエルのビーリッツ親子が自分のことを覚えているかということである。かつて「フグィに来ないか?」とスカウトされたこともあるがそれ以降かなりの時間が経過している。忘れ去られていても不思議はない。


 また、覚えられていたとしても、「ああ、ノルベルファールンの御供でついていた女性ですね」という形だとすれば甚だしく不本意である。しかし、リヒラテラの戦いを善戦で終えたのは紛れもなくノルベルファールンである。彼とセットで覚えられていたとしても不思議はない。


 幸い、そうした心配は杞憂に終わった。漁業ギルドを訪れて名前を告げると、すぐにラドリエルがにこやかな顔で挨拶に現れる。中肉中背、特別見るべきところもないがにこやかな様子の好青年という外見も変わりがない。長身の占い師が知恵袋のような形で付き添っていることも変わらなかった。




 挨拶を終えると、レミリアは早速自分が来た目的をラドリエルに説明した。


 フグィは現職議員のバグダ・テシフォン、対立候補のラドリエル共に親ナイヴァル派であるので、シェラビーの話も切り出しやすいメリットがある。


「王女の立場についてはよく分かりました。しかし、我々ホスフェ人がまだ先と考えているのに、フェルディスとナイヴァルが揃って選挙準備をしているのは何とも可笑しな話ではありますね」


 ラドリエルはそう言って笑った。


「ナイヴァルからは今のところレミリア王女が来たことくらいですが、フェルディスはまたぞろ戦争準備を行っております。全くご苦労なことです」


「ホスフェの準備はどうなのですか?」


「リヒラテラには常時二万の兵士が滞在しています。今回、噂によるとフェルディスは三万程度の兵力と言うことですので、場合のよってはセンギラとここフグィから支援に行くことになりますね。前回以降、オトゥケンイェルやリヒラテラの面々とは感情的なしこりがあることは気がかりではありますが」


「……オトゥケンイェル側が反撃しないと主張することはないのでしょうか?」


「可能性がゼロではないですが、仮にバヤナ・エルグアバ執政官やメルテンス・クライラが親フェルディス路線を取ったとしても大半が反対するでしょう」


 ホスフェの元老院には151人の議員がおり、そのうちオトゥケンイェル周辺から選ばれている者は33人、東部から選ばれている者は18人。合わせて51人であり、三分の一程度である。


「他が大きく動くという話もありませんので、今回もうやむやのままフェルディスに対抗するという路線であることは変わりないでしょう」


 というのがラドリエルの分析であった。


「その通りに事が運ぶのであれば、私の出番はないですね。残念ながら私はどこかの彼と違って、軍師としての能力はありませんので」


 ラドリエルの推測通りに事が進み、リヒラテラで抗戦するということが決まったのであれば、レミリアが行えることは何もない。


「それでしたら、南のディンギアとの停戦関係を更新したいので、その更新文案とオトゥケンイェルに対する資料作成を、アムグンと共にやってもらえないでしょうか?」


「ああ、そちらもあったのですね」


 前回のことを思い出す。当時、フグィの主敵はディンギアからやってくる攻撃的な部族であった。これをノルベルファールンが簡単に追い払って、信用を得るに至ったのである。


 あの後、停戦を締結し、それが二年か三年の条件であったと記憶している。ということは、そろそろ更新しなければならない。


「幸いにして、アムグンの友人であるレビェーデ殿らが南のシェローナから北を伺っておりますのでね。今や北の方にいる連中には我々を攻撃する余裕などないと思いますが、更新しておくに越したことはないでしょう。また、都市に過ぎないフグィがホスフェの代表の如く停戦していることをオトゥケンイェルに説明する資料も必要になります」


「フグィに対する対抗意識から嫌がらせをしてくる可能性もあるのですね?」


「そこまで了見が狭くはないと思いたいですが、リヒラテラの戦いの後も結構大変でしたからねぇ」


 ラドリエルはそう言って肩をすくめた。




 レミリアはしばらくの間、ラドリエルの話が本当かどうか裏付けるため、エレワに情報を集めさせることにした。それが分かるまでの間はディンギアとフグィの停戦延長のための案文作成を手伝うことにする。


 ラドリエルが提案してきたので、さもビーリッツ家がやっていることのようであるが、実際にはフグィの代表はライバルのバグダ・テシフォンである。従ってレミリアもテシフォン家の屋敷を訪ねて作業場を提供してもらうことになる。


「ここの状況はいいわよねぇ」


 レミリアが感心するのは、バグダ・テシフォンとビーリッツ家の協調であった。政治的には元老院議員の地位を巡って対立しているはずであるが、フグィのためということであれば躊躇なく協力できる。何かある度に対立して足を引っ張り合うフォクゼーレや、対立はないものの揃って無気力なコルネーと比較して、雲泥の差があると思った。


「ホスフェが全部そうということはありませんけどね」


 資料の整理をしているアムグンが答える。


「それに、バグダ・テシフォンが協力的なのは次回の選挙ではほぼ確実に負けると分かっているので、議員でなくなっても存在感を失わないように、という動機もあります」


「そうなの?」


 二年半先の選挙の結果がもう分かるのだろうか? レミリアが首を傾げていると、アムグンは前回の選挙の経緯と事後の謝礼について説明をした。


「ということで、みんな、ビーリッツ家に投票すれば後から謝礼を貰えるということを理解しています。バクダがもっと出す可能性も否定はできませんが、そこまでするよりは一回大人しく野に下ることを選ぶと思います」


「……なるほど」


「相当な出費にはなるはずなので、その支出分をどこで確保するのかという疑問はありますけれどね。漁業ギルドの収入は多くないはずですし」


「フォクゼーレでは汚職なんて日常茶飯事だったけれど、あの人がそういうことをやるとちょっとガッカリねぇ。綺麗ごとだけで世の中が動いているわけではないのも事実だけど、ね」


 レミリアは腕組みをして、はたと気が付く。


「初歩的な質問で悪いんだけど、ホスフェの元老院って151人も議員がいるのよね。でも、フグィから選ばれるのは1人で、オトゥケンイェルで3人なんでしょ? 一体どこからそんなに選ぶわけ?」


 議員の人数については以前ホスフェに来た時に調べていたので知ってはいた。しかし、実際にフグィやオトゥケンイェルを歩いたことを思い出すと、あれだけの街から1人や3人なのに合計151人というのは理解できない。


「もちろん、各地の村とかからですよ」


「そういう村ってどのくらいの大きさなの? 人口二百人くらいとかじゃないの?」


「そういうところもかなりありますね」


「40万人くらいいるオトゥケンイェルから3人しか選ばれないのに、200人しかいない村から1人選ぶって不公平じゃない?」


「そうですね。ただ、要職に就けるのは大きな街から選出された者に限るんですよ。オトゥケンイェルの3人、フグィ、センギラその他諸々で確か合計16人です。この16人は議決権はともかく待遇その他は残り135人とは比較にならないですね」


「なるほど。そういうことなのか……。いや、151人もいるなら、フグィから2人、3人くらいは選んでもいいんじゃないかと思ったから」


「そうですね。ただ、小村の議員は大きな街にくっついていることが多いですね。例えばオトゥケンイェル付近で30人くらいはいたと思いますが、彼らはほぼ一枚岩で行動していますね」


「なるほど。そうなると五分の一か、侮れない数ねぇ。東部はどのくらいになるの?」


「15人くらいだったと思います」


「そうすると、151人中45人か。過半数ということを考えると確かに楽観できる数字ではあるわね」


 レミリアの言葉にアムグンも「そうですね」と頷く。


 十日後、予想外の事態に一同は驚愕することになることになるのであるが、当然ながらこの時点では知る由もなかった。

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