第5話 ブネーの事情
カナージュ北西・ブネーにもカナージュからの軍勢召集要請が届いていた。
現在、ヴィルシュハーゼ伯爵ルヴィナは一年前に自己研鑽の旅に出ており、高祖叔父にあたるスーテル・ヴィルシュハーゼが要請を受けている。
その日、ルヴィナの副官にあたるクリスティーヌ・オクセルは呼び出しを受けてスーテルのいる別邸へと赴いた。
スーテルはクリスティーヌの前で召集要請の書状を開き、腕を組む。
「見ての通り、リヒラテラに再度軍を出すので兵を出してほしいということだ」
「行くしかないということですね」
「それは当然。問題はどこまでが行くかということだ。私とグッジェンは行かざるを得ないだろう。必然、その間は……」
クリスティーヌは「げっ」と声をあげる。
「もしかして、スーテル殿がいない間はあたしがブネーの責任者になるということですか?」
「他に適任者はいない」
「はあ。参ったなぁ」
「ルヴィナからは連絡はないか?」
「戻ってくるという連絡はないですね。『アクルクア大陸は面白いところだ』みたいな手紙は来ていますけれど、戻ってくる予定については何もありません」
「三年くらいは外にいるとか言っていたからな……。今年だけでなく、下手すれば来年も侵攻するかもしれないというのに」
「今回は勝てるんですかね? 兵力はどのくらい出すんでしょうか?」
「三万だと書いてある」
スーテルの回答に、クリスティーヌが飲もうとしていた茶を吹き出した。
「三万!? だって前回は六万ですよ。それでも勝てなかったんですよ? しかも、あたし達が獅子奮迅の働きをしたのに。その半分で勝てるはずないでしょう。兵を出す意味があるんですか?」
まくしたてるクリスティーヌに対して、スーテルは肩をすくめるのみである。
「分からないが、おそらくはカナージュのお歴々の間には成功体験があるんだよ。前回、コーテス・クライラを戦死させた結果、オトゥケンイェルの面々がフェルディス派になってくれた。今回も兵を出せばそれ相応のいい結果があるはずだ、とね」
スーテルの達観した答えに、クリスティーヌは呆れ果てる。
もちろん、カナージュでの会議がその大多数の予期せぬ形で落ち着いたということは、二人とも知る由もない。
その事実は、翌日、ブネーを訪れたリムアーノから聞くこととなった。
「……マハティーラ閣下には困ったものだ」
スーテルは努めて表情を表に出さず、静かに溜息をつく。クリスティーヌは「さすがだ」と素直に感心した。仮にルヴィナであれば、「馬鹿は何しても馬鹿だから」と言った感情的な言葉を吐いたのではないかと考える。
「本当困ったものだが、今更どうしようもない。陛下が強く後押ししてしまわれたからな」
「しかし、以前まではモルファ皇妃の後押しを受けてもそこまで強く介入しなかったと思うのだが……」
スーテルは立場的にはヴィルシュハーゼ伯爵ルヴィナの副将である。しかし、過去十年のうちに国内の剣技大会で二回優勝していることもあり、ブローブやリムアーノとの間には個人的な交流もある。そのため、会話もほぼ対等な口調で行っていた。
「今後はそうはいくまいよ。何せ、皇妃様がご懐妊あそばされたからな」
リムアーノが「お手あげ」とばかりに両の掌を開いた。
皇帝アルマバートには七歳になる皇太子がいるが、亡くなった前妻との間の子である。モルファとの間に子供、特に男児が出来れば、皇太子の交代も含めて大きな変動がありうる。もちろん、それに伴い、皇妃モルファの立場が更に強くなり、比例してマハティーラの立場も強くなるはずであった。
「やれやれ、この点に関してはルヴィナの不在は幸いしたかな」
スーテルの何気ない一言。クリスティーヌは思わず言い過ぎではないかと思った。
実際、リムアーノも反応する。
「……やはり彼女はマハティーラ閣下を恨んでいるのか?」
「具体的な根拠は分からないが、おそらくは。ただ、告発しようにも証拠はないぞ」
スーテルの言葉に、リムアーノはフッと微笑を浮かべる。
「私がヴィルシュハーゼ伯爵を陥れても何の得もない。というより、軍にとって損失にしかならない」
「……実際、今度の戦いは兵を出すが、リヒラテラのようなものを期待されても困る。ルヴィナのような戦況を見極める目と勘と、兵からの信望が決定的に足りないからな」
「分かっている」
「兵力は三万、うまくいくかな?」
「しかも指揮官はマハティーラ閣下だ。何をしでかすか分からない。だから、我が軍には期待しない方がいいだろう。相手の軍に楔を打ち込んでおくことを目的とする。戦いはこちらだけで決まるわけではない。フェルディスが酷くても、相手が更に酷ければ勝つことだってありうる」
スーテルも頷いた。クリスティーヌも把握している。
今回のホスフェ軍には、前回参謀となっていたノルベルファールン・クロアラントや、レビェーデ、サラーヴィーがいない。将官クラスのマイナスという点ではルヴィナのいないフェルディスよりも大きいと言える。
「また、有難いことにマハティーラ閣下がホスフェに対する檄文を書いてくださっている。さぞや尊大なものを書いていただけるだろうから、それを見せるだけでホスフェ側の戦意は二分されるだろう。ひたすら煽れば、どちらかの派閥が自滅行動をとってくれるかもしれない」
「そこまでマハティーラ閣下が待ってくれるかな?」
スーテルの問いかけにリムアーノが冷たい笑みを浮かべた。
「……動きたいならそうさせればいいさ。閣下は勇敢にもリヒラテラの城塞に向かって立ち向かい、英雄的な戦死を遂げられました、とね」
「本気か?」
「積極的にはやらんぞ。ただ、結果としてそうなってくれれば、ある意味リヒラテラを占領する以上の戦果といえるかもしれん。ブローブ将軍やタバル翁、宰相閣下ら年季の入った面々は皇帝陛下の威光もあるから、そこまでしないだろうが、俺はそこまで皇帝陛下に尽くすつもりもないからな。単純にあの方がいるとやりづらい。いなくて結構」
あまりにも大胆な物言いにスーテルは無言であった。クリスティーヌも絶句している。
「ま、これでお互いまずい発言をしてしまったということでおあいこだな」
リムアーノはそう言って笑った。
二時間ほどスケジュールについて話し合うと、リムアーノは屋敷を出て行った。
スーテルは溜息をついてソファにもたれかかった。
「さっき言っていたことは本当なんでしょうかね?」
マハティーラが戦死する分には全然かまわない。消極的にはそう仕向けたいという大胆な発言である。
「……本気だろう。マハティーラがいなければ20年後にはリムアーノの天下だ」
「あ、なるほど」
ヴィシュワとブローブは現在50の少し前である。彼らが引退をする頃、リムアーノはちょうど40前後の全盛期に入る。
「年齢的にはルヴィナもそうだろうが、あいつはフェルディスの政務には無関心だろうし、リムアーノと政争して勝てるとも思えない。マハティーラさえいなければ、リムアーノが宰相と大将軍を両方兼ねても不思議ではない状況となる。マハティーラさえいなければ」
マハティーラさえいなければ、という言葉を繰り返す。
「ついでに言うなら、リムアーノの理想は、マハティーラを抹殺して、その責任を我々ヴィルシュハーゼ伯爵家に押し付けることだろうな」
「ルーを軍事要員に押し下げてこき使いたいということですね」
「そういうことだ。我々は敵ももちろん、味方にも警戒しなければならない」
「やっぱり勝てそうな気がしないんですけどねぇ」
ただし、クリスティーヌはそれでも派兵する価値はあるのかもしれないと思った。
リムアーノと同じである。
マハティーラさえ戦死するならば、フェルディスの勝ち負けとは別に自分達にとっては勝利なのだから。
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