第18話 シルヴィア・ファーロット④

 大聖堂に戻ったレファールをメリスフェールが迎えに来た。


「お帰り。姉さんはどうだった?」


「振られた」


 あっけらかんとした答えにメリスフェールが固まる。


「シェラビー様が精神の平穏を取り戻せたか分からない以上見る人がいる。シェラビー様が全く無問題なら依然として一番優位な立場にいるから、今、離れるのも損だ。レファールについて行って何かいいことがあるのか分からない。以上」


「……それですごすごと引き下がってきたの?」


「全て正しいからな。どうしようもない」


 と言ったところで、腹に強烈なパンチが飛んでくる。


「馬鹿なんじゃないの!? そこで何とか説き伏せるのが男ってものでしょうが!」


「い、痛いって! 本気で呼吸がきつい場所だぞ?」


「知るかあ!」


 という追撃は何とかかわしたが、即座に膝蹴りが飛んできた。どこかで訓練でも積んでいるのかというくらいの流麗な動きである。体力が人並み以上についてくればアレウトの女王ユスファーネよりも強いかもしれない、という無関係なことを思わず考えてしまうほどである。


「……ま、言われた瞬間はちょっとショックだった。ああ、私って何もない存在だったんだなと思わされたし。ただ、その瞬間、シルヴィアさんの顔が浮かんだ」


「……お母さんの顔?」


 ようやくメリスフェールの動きが止まった。


 これで落ち着いて話ができると思ったところで、扉が開く。


「メリスフェール、お茶でも。おや、あたしはお邪魔だったかしら?」


「あ、総主教様。レファールが姉さんに振られた言い訳をしているんです。一緒に聞いてくれませんか?」


 顔を覗かせニヤッと笑ったミーシャに、メリスフェールが答える。それを聞いたミーシャの顔が更ににんまりとなった。


「ほほう。振られた言い訳と、な? 面白そうね~、聞かせて、聞かせて」


(政治的立場を考えたら、喜んでいられる話じゃないだろうに……)


 と思ったが、男女問わずこのくらいの若者はそういう話が好きなのだろう。それに、いずれはミーシャにも話す必要が出てくるかもしれない。レファールはそう諦めることにした。



 大聖堂の一室に移動し、二人を前に話をする羽目になる。


「そう。二人には話をしていないと思うけど、以前、シルヴィアさんからこんなことを言われた。私がシェラビー・カルーグの副将のような立場として人生を生きるつもりならば、サリュフネーテの方が相手としていいのではないか。逆にあちこち渡り歩いて、敵対するくらいの気概であるのならメリスフェールの方がいいのではないか、とね」


「へえ、随分いい約束を取り付けていたのねぇ」


 ミーシャがにやにやと笑う。


(シルヴィアさんはミーシャについても触れていたが……)


 話がややこしくなるだけだと思い、振れないことにする。


「ただ、その前提はシルヴィアさんが生きていたらということだ。では、この状況でシルヴィアさんならどう望むのか。そう考えた瞬間、色々なものが見えてきた」


「色々なもの?」


「シルヴィアさんは恋愛と結婚は違うというようなことを言っていた。だからサリュフネーテの選択は、シルヴィアさんが娘に望むことに繋がるのか、そうでなかった場合に私と結婚することにどんな意味があるのか。前者についてはしばらく見てみないと分からない。後者については『あまりない』」


「答えになっていないじゃない」


 ミーシャが呆れたような顔をした。


「しかし、こうも変えられる。しばらく待つ間に『意味を持たせる』という方向に。物事は変わるし、変えられる。私は幸いにして色々と経験してきたが、それを今後の世界というようなビジョンで見たことはなかった。今後はコルネーやディンギアを含めて、自分なりのミベルサというものを考えてみたいと思う」


「ということは、レファールもミベルサ統一とか言い出すわけ?」


 ミーシャが唖然として言う。


「いや、現時点でそういうつもりはない。シェラビー様はコルネーのしがない小指揮官だった私に飛躍の機会を与えてくれた恩人であるのも確かだ。シェラビー様が問題なく自分の夢を実現するのなら、それはめでたいことだと思うし、多分サリュフネーテにとっても幸せなのだと思うから、サポートしたいと考えている」


「つまり、こういうわけ? シェラビーが順調ならサリュフネーテも含めて二番目でいいけれども、期待外れだったり、また、何かやらかしたりした時には自分が取って代わると?」


「そうなる」


「これは大変なことになったわね」


 ミーシャは苦笑いをメリスフェールに向けた。


「総主教を差し置いて、自分の手でミベルサ統一を考えだす枢機卿が二人もいるなんて事態になってきたわ。どうしたものかしら?」


「反逆罪にでもします?」


「冗談よ。今回の件で、シェラビーは面倒くさい奴だけど、彼がいなくても大変なことになるというのがよく分かったわ。お飾りにしてくれる保険がもう一人いるなら、悪いことではないわね。サリュフネーテについては何とも言えないけれど、方針についてはあたしとしては歓迎するわよ」


 ミーシャは頷いて、視線をメリスフェールに移した。



 その間、メリスフェールは唇を尖らせていた。完全に納得はしていないらしい。


「……レファールが統一運動をやりたいことは分かったけど、いざという時は姉さんも取り返すっていうわけ?」


「取り返すというのは語弊がある。不幸にしているようなら離婚を含めた圧力をシェラビー様にかけるだけだ。あの人が自分とヨハンナさんの時にやっていたように、ね。今になって気づいたけれど、私は色々とシェラビー様に似ているらしい。相手に『ダメだ』と言われて初めて、ふさわしい相手になってやると思うようになったところも含めてね」


「……いつまで待つの?」


「五年くらいかなぁ。そのくらい経てば、結果も見えるんじゃないかな?」


 メリスフェールは首を傾げた。


「……随分待つのね」


「仮に十年でも私は33でサリュフネーテは25だ。ボーザが結婚したのは同じ33だろ。シェラビー様にしても31だから、そこまで変わらなくないか?」


「レファールはそれでいいわけ? シェラビーに取られるような形になったのに、二番目みたいな扱いで待つなんて」


「ならば妹の君に聞くけど、それは価値のないことなのかな? サリュフネーテは一時期、私を待っていてくれていたのは多分間違いないと思う。それを素通りしてしまった結果が今だ。問題ないかもしれない今を自分の我儘のために押し通す価値があるのか、と」


「……」


「過程はともかくとして、今、こう思うわけだ。私、レファール・セグメントはサリュフネーテ・ファーロットのために数年費やす覚悟を決め、同時に自分か他人かは別にして、ミベルサ統一者の配偶者としての地位を得てもらいたいと思った、と。君の姉さんにはその価値があると考えたわけだ」


 メリスフェールは大きな溜息をついた。


「ひねくれている気はするけれど、でも、レファールはしっかり決めたことは曲げないものね。分かった。シェラビーが乱心した責任は私にもあるし、一緒にシェラビーと姉さんを見届ける」


「そう言ってもらえると有難い」


「でも、もう少し早く決断していればねぇ……」


「そればかりはどうしようもない。皆、勘違いしているが、私はコルネーのなめし皮職人の息子だ。ああいう世界は親とか職人の同僚の間で夫婦関係が決まるのが常で、そういう認識が少年の頃までに植え付けられていた。例えば、ナイヴァルに来て以降の婚姻やら性関係をネイド・サーディヤ枢機卿にでも教わっていたのなら変わったかもしれないが、そこまでの革命がなかったのだから、周りの決定待ちになってしまったのは否めない」


 そう言って、レファールはミーシャを見た。見られた側の顔は真っ赤になって抗議する。


「何で、そこであたしを巻き込むのよ!? 冗談じゃないわよ!」


 農民の生まれから急に総主教の父親という立場になり、良くも悪くも農民世界の価値観を持ちながら過ごし、最後はその悪しき風習に足を掬われることになった父親。


 唐突に名前を出されて、ミーシャが慌てるのは無理もないことである。


「巻き込んだ覚えはないのだが?」


 ネイドとの関係を嫌っていたのは他ならぬミーシャであるし、今にしても、ミーシャとネイドの親子関係については一言も言っていない。そのことを理解したミーシャがますます不機嫌になる。


「少し前まではシェラビーよりはマシだと思っていたけど、実はシェラビーより酷い奴だったってわけね。最悪だわ」


 あからさまな負け惜しみに、メリスフェールがクスッと笑い声をあげた。

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