第15話 釈放

 ソセロン西部、ラインザースの中心地にある小さな石造りの建物がある。


 これがソセロン王イスフィート・マウレティの住居であり、すなわちソセロンの中枢とも言える場所であった。


 その小さな、質素な建物の中に、そうした建物とは似ても似つかない端麗なイスフィートと、建物と同じく小柄でやせ細った老人が向かい合っていた。タスマッファ・ハカミという55歳の男である。


「教主、ナイヴァルのことでございますが……」


「捕虜のことならもう聞かんぞ」


「いいえ、奴らの首を刎ね、バシアンに送り返すべきでございます」


 タスマッファは鼻息荒く宣言する。


 イスフィートはうんざりとした様子で答える。


「……おまえの言い分は理解している。確かに現状、ナイヴァルとソセロンの力の差は圧倒的だ。一対二十くらいの差があると言ってもいいだろう」


「左様でございます。つまり、我々がナイヴァルに対抗するような路線を行く場合、教主ですらナイヴァルの枢機卿になれれば御の字、大司教や街の司教と同じような存在でございます。ガーシニーら有能な面々ですら、ナイヴァルに奪われてしまう可能性があります」


 それはもう聞き飽きた。そう言いたいのを抑えて、イスフィートは今回も同じ説明をする。


「分かっているとも。だから、ナイヴァルの路線とは異なる方向に進むということについては皆の前でも説明したではないか。しかし、一方で現状の生産力や資金力ではいつまで経ってもフェルディスの軛を脱することもできない。俺はナイヴァルの女主教の子分になるつもりはないが、だからといってフェルディスの奴隷として終わるつもりもない。フェルディスから独立する力を蓄えるまでは、ナイヴァルの力を借りなければならないのだ」


 そのうえで、イルーゼン西部という近距離の出兵ですら、兵力維持のためにはフェルディスの資金に頼らざるを得なかったことを改めて説明する。


「ナイヴァルが金貨10万枚を出すのであれば、一、二回の戦闘資金になるし、内政にも使える資金となる。奴らの首を刎ねたところで得られるものは一瞬のカタルシスだけではないか。俺はそこまで短絡的な考えには走りたくない」


 そう言って、一歩も引かない構えを見せるが、タスマッファも簡単には引き下がらない。


「奴らは異端として首を刎ねるべきでございます。そうでなければ、今後に禍根を残します」


「くどいぞ。そこまで言うのなら、今、ここで俺を殺し、おまえが教主として実現すればいいではないか」


 そんなことができるのか。言外にイスフィートは自信を含ませる。


 18歳のイスフィートと、55歳のタスマッファであるが、ソセロンがここまで勢力を拡大できたのは一重にイスフィートの美貌とカリスマによるところが大きい。タスマッファが参謀として支え、フェルディスの支援を引き出したことも大きな要素であるが、イスフィートという個がいなければ絶対に実現しなかったことである。


 タスマッファもさすがにイスフィートに逆らうという発想はないらしい。


「……教主がそこまで言うのなら」


「ああ、この件に関しては、いかにおまえが言おうとも譲るつもりはない」


 イスフィートははっきりと断言するが、とはいえ、代わりに譲歩しなければならない部分もあると理解しているようで。


「おまえには、ナイヴァルの枢機卿共にソセロンの代理人として意思を示すことを認めているだろう。今後も任せるつもりだから、この件については黙っておけ」


「……承知いたしました」


「枢機卿達は何か言っているのか?」


「返事があるのは一人のみです。もっとも、シェラビー・カルーグやレファール・セグメントには送ってもおりませんが、ね」


 タスマッファに言わせると、この二人は悪魔に魂を譲り渡した真正の異端であり、救いようがないということになる。


「あのボーザという男も、その一味であり、悪魔の手先であるので本当にもったいないのではありますが……」


「まだ言うのか?」


「……ルジアン・ベッドー枢機卿とは意見を交換しております」


「そうか。まあ、今後も頑張ってくれ」


 認めてはいるが、意見交換の中身には興味がないらしい。「話が終わったのなら、学校で教えてこい」と言い、追い払うようにタスマッファを部屋から出した。



 入れ替わりに、サンウマからの使節が入ってきた。スメドアの送った使節である。


「金貨10万枚について、支払うことを認めますので、捕虜の返還をいただきたく思います」


 使節の言葉にイスフィートは素直に驚いた。理由は二つ。一つは、たかだか使節が金貨10万枚という多額の決裁を行えるということ。もう一つは、ナイヴァルがある程度値切るなどしてくると想定していたが、あっさり承諾したことについてである。


「分かった。要求が通るのであれば、素直に捕虜は返すことにしよう。しばらく待て」


 イスフィートはその場で紙に合意した内容について記し始めた。それを使節に渡す。


「内容に問題はないか?」


「はい。大丈夫です」


「ならば、貴様の名前で署名しろ。こちらには私の名前で署名をする」


 使節が指示通りに署名をすると。


「よし、では、今から解放しよう」


 そう言って、近侍の者に「囚人たちを解放しろ」と指示を出した。


 近侍の者はもちろん、使節も驚く。


「えっ、解放して、いただけるのですか?」


「何かまずいのか?」


 イスフィートがニヤリと笑う。


「い、いいえ、こちらには問題はありませんが、まだ支払その他の条件が決まっておりませんが?」


「同じユマド神を信仰する民同士の約束は神聖なものである。俺は、ナイヴァルの者達が裏切ることはないと信じている。もし、これに乗じて支払をしないというのであれば、ユマド神が彼らを地獄に落とし給うだけだ。文句があるかな、うん?」


「……わ、分かりました」


「国境までは俺が見送ってやろう」


 そう言ってイスフィートは立ち上がり、牢獄まで向かった。


 釈放されたボーザも唖然としている。


「えっ、もう帰っていいんで?」


「ああ。道中、イルーゼンの連中に殺されても、我々の知ったことではないがな」


 堂々と言うイスフィートには神々しさがある。ナイヴァルの捕虜達はお互い顔を見合わせつつも、言われた通りに従うことにした。時々、「大丈夫なのだろうか?」とイスフィートの方を見るが、知らぬ顔で先導をする。


 もちろん、イスフィートは好意でこうしているのではない。


(変に長引かせてしまうと、タスマッファが別の連中を言いくるめて処刑してしまうかもしれない)


 ということを危惧していたのである。


 現状、イスフィートが主導してナイヴァルと交渉をしている。それが妥結したにも関わらず処刑したとあれば、今度はイスフィートが信頼を失うことになる。だが、タスマッファはそういうことを気に掛けるような人間ではない。


 どうやら有利な形で持っていけるのであれば、ひとまず解放してしまった方が自分としては安泰、そういう思いでいたのである。支払がなされるかどうかの確証はないが、少なくとも解放したうえで支払がないのであれば、資金はともかく、印象が落ちることはない。


(タスマッファは枢機卿連と交渉しているらしいから、資金の支払についても話が来るだろう。実際に金を見れば、汚職なり何なりの発想も湧くだろう)


 通常、家臣の汚職を歓迎する国王はいないが、イスフィートはタスマッファがある程度までそうなってほしい、とすら思っていた。


 どこまでも宗教上の教義にこだわり、国益を損ねるようなことをされるよりはその方がマシではないか、そう思っていたのである。

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