第5話 小休止

 アレウト族に帯同すること一月半。


 レファールとジュストの姿は、エティイ族の本拠地ナウネリートにあった。エティイ族とも衝突をしたが、ミーツェンの事前の予想通り相手の参謀格のウィルタ・バルナールの奇襲を仕掛けてきたところを捕捉し、指揮していたウィルタを捕らえたところあえなく降伏という運びとなった。


「さて、ここからは西のメレフネか、東のスケイタかということになりますが」


 ナウネリートの宿屋でフレリンが地図を広げる。


「東のソセロンが動きを見せているという情報もあります。恐らくソセロンが動くとすると、フェルディスの意向を汲んでイルーゼン南部でナイヴァルを止めようとすると思いますが、念のため東側を先に押さえておきましょう」


「承知しました」


「とはいえ、慌てていくこともないでしょう。このあたりはいい温泉があるということですので、数日滞在しましょう」


「確かに、その方がいいかもしれませんね」


 毎日細かくチェックしているわけではないが、出発した時と比較してフレリンの顔は更にやつれているように見え、顔も土色に変わりつつあるように見える。


(本当に大丈夫なのかな?)


 休める時にはしっかり療養した方がいいのではないかと思えてきた。




 夕食が終わると、レファールも温泉へと向かう。コルネーも、ナイヴァルも、こうした場所が存在しない。蒸し風呂のようなところに入るのみであるから、完全に湯の中に入るというのはレファールにとっても初めての経験である。


 であるが、実際に向かってみると、先着していたジュストが驚いた顔を見せる。


「……えっ、貴殿も温泉に行くのか?」


「行ったらまずいのか?」


 レファールにはそもそも驚かれる理由が分からない。


「いや、貴殿はナイヴァルの枢機卿だろう?」


「それがどうかしたのか?」


「ということは、貴殿はユマド神を信仰しているのではないか?」


「それはもちろん」


 実際はさほど信仰しているわけでもないが、他所で「実はそんなに信じていない」などと言ったことがミーシャらに伝わると、どんなことを言われるか分からない。


「……ここはイルーゼンの地母神を信仰する施設でもある。他の神の施設に入ることは枢機卿的にはまずいのではないか?」


「そうなのか?」


 辺りを見渡すと、寺院のような造りになっているし、浴場と思しきところの入り口には何らかの神らしい像がある。


「つまり、温泉というものは神からの恵みのものであるという理解か」


「そういう事情は知らんが、あの像にひれ伏してから入るとなっているぞ。枢機卿としては受け入れられない話だろう」


「そんなことはない」


 レファールがもっともらしく言う。


「我々の理解では、ユマド神の姿は一つではない。場合によって、地域によっては他の神の姿をとることもある。この温泉の神もまた、ユマド神の一つの姿形なのであろう。結局のところ、私はユマド神に仕えているという事実に変わりがない」


「……そんなものなのか」


 半信半疑という様子のジュストとともに入り口へと向かい、像にひれ伏して中へと入る。男女共に入ることができるが、それぞれ魔道士が着るようなローブをまとって入ることが義務付けられており、二人ともそれぞれ思い思いにローブを着て中に入った。


「フレリン将軍は入っているのかな?」


「分からん。この熱めの湯に入るのは、危険そうにも見える」


「言われてみると、そうかもしれないな。彼に万一のことがあれば大変だ」


「もっとも、あの人は一見して死にそうに見えれば見えるほど、実は元気なのかもしれないという気もしているが」


 ジュストが冗談めかして言うが、それはレファールも薄々感じているところではある。少なくとも苦しそうに見える時ほど、頭が冴えているのは間違いない。


「食事などは普通に食べているわけだからな」


「そうなのだ。ミーツェン総司令も含めて、アレウト族の体の造りは少し特殊なのかもしれないな」


「……誰が特殊ですって?」


 不意に後ろから声がした。振り返った二人はその場で固まる。


「こ、これは女王陛下……」


 派手な色彩のローブをまとったユスファーネの姿があった。


「それでは、既婚者はお先に……」


 ジュストがさっと移動していく。


「お、おい」


 追おうとするレファールの腕をユスファーネが掴む。


「セグメント枢機卿殿、少しお話があります」


「話……?」


「ミーツェンから聞きました。私の婚約者を探していただけるおつもりということで大変感謝しております」


 言葉とは裏腹に刺すような意図がひしひしと感じられる。レファールは逃亡の意欲を失い、その場に座り直す。




 ユスファーネのローブには色とりどりの蝶が浮かんでいる、かなり独特なものであった。この場で探したものではなく、元々用意していたのではないかと思えるものである。


「枢機卿殿に、希望のタイプを言っておいてはどうかとミーツェンから言われていましたので、この機会に教えておこうと思います」


「は、はあ……」


 レファールは変なことを提案したことを今更ながら後悔した。ナイヴァルの政略結婚的な感覚で思いついたものであったが、目の前にいるユスファーネは政略結婚を受け入れるような深窓の姫君とは真逆の女性である。しかもそれを怒っているというより、「私を相手にそんなことを思いつくとは」と感心されているような雰囲気であり、猶更バツが悪い。針のむしろに座っている気分である。


「まず、聞いていると思いますが、私は過去に婚約者を失ったことがありますので、それらを忘れさせてくれるくらいの相手であることが必要です。とはいえ、それが何であるかは私にも分かりません。とてつもない熱量の持ち主か、男を感じさせてくれる者なのか……。そこはナイヴァルで判断してください」


「……分かりました」


「次に、枢機卿殿は既にご存じかと思いますが、アレウト族はおしなべて有能な者が多いですので、彼らと比較して、少なくとも不満を感じないくらいの能力が必要だろうと思います。私としましても、自分の夫が皆から馬鹿にされる様子などは見てはいられませんので」


(それはかなり厳しい条件だな……)


 既に二か月以上随伴してきていて、アレウト族の面々が総じて何でもできる人間ばかりであることはよく分かっている。これだけ多彩なことができる者というのはナイヴァルには一人もいないのではないかというくらいである。


「最後に、政略結婚ということになりますと、他との比較も入ることになります。とは言っても、実際に申込がありうるのはソセロンくらいだろうと思いますが、申込があった場合には明確に比較されることになります。以上ではありますが」


 ユスファーネが一歩身を乗り出してきた。ローブが湯を含んでぴったりと肢体にはりついており、ところどころ透けそうになって見える肌の色に思わず魅入られてしまう。


「枢機卿殿が、もう少し知りたいというのなら、応じることもやぶさかではありませんが」


「い、いや、これで十分です」


 レファールがたじろいで答えると、ユスファーネはクスッと笑った。


「それは安心したと言いますか、残念と言いますか。私の話は以上です。失礼しました」


 そう言って、背を向けると湯の外へと出て行った。


 その姿が見えなくなるのを確認して、レファールは思わず大きな溜息をついた。

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