第3話 時間制限

 スメドア・カルーグの指揮するナイヴァル正規軍二万がアンタープを出発したのは六月二十三日であった。


 街道を北東に進み、国境近くのモレ・ムパンへと進む。


「スメドアの旦那」


 途中、話しかけてくるのは副将のボーザ・インデグレスである。これまでレファールの下についたことはあるが、スメドア直属の副将という立場は初めてである。そのせいか、若干緊張の色が見える。


「どうした?」


「ちょっと進軍のペースが速くないですか?」


「兄から指示を受けている。二十八日までにはモレ・ムパンを占領するようにと」


 スメドアの言葉にボーザは「ゲッ」と声をあげた。その素直というか正直なところにスメドアは思わず笑みを浮かべる。


「確かにそれならこのペースでないと届きませんが、戦闘になったらどうするんですか?」


「モレ・ムパンのクリシチ族とは以前から友好的な関係を築いているから、戦闘にはならないと言うことだ」


「以前から?」


「サンウマ・トリフタの頃だ。兄はこちらの方に赴任していただろう? おかげでレファールが英雄になったという時だ」


 スメドアの指摘にボーザは「ああ」と空を見上げて思い出す。


「シェラビーの旦那は、本当に抜け目がないんですね」


「そうかもしれないな。とにかく、急げということだ」


「そんなに急ぐ必要があるんですか?」


「理由は二つある。まず、北部でレファールがアレウト族と共に動くらしい。だから、レファール達が北を全部掌握するまでにこちらが南部を取りたいということだ。まあ、これはちょっとした競争みたいなものだな」


「もう一つは?」


「不確定の情報だが、ソセロンがイルーゼン南東部に向けて進軍するらしいという情報がある。連中をイルーゼン領内に入れてしまい、ポゴマニとソセロン連合軍と対峙するというのは望ましくない。それまでにポゴマニを追い払って、仮にソセロンが侵入してきたとしてもソセロンだけと対峙するようにしたい」


「ほうほう、ソセロン……」


 ボーザは頷いているが、明らかにピンと来ていない顔つきをしていた。


「ソセロンってフェルディスのおまけみたいなところじゃないんですかい?」


「そういう認識ではあるが、ソセロン地方から逃亡してきた者達が言うには、中々の脅威である可能性もある。曰く、ソセロンの主イスフィート・マウレティは悪魔のように美しく、邪悪な存在である、と」


「悪魔のように美しく、邪悪? また空恐ろしい言葉ですね」


「詳細までは知らん、負けた者の泣き言だからな。ただ、イルーゼンの連中より難敵である可能性は高いということだ。だから急げと」


「……まあ、やってみるしかないですね」


「そういうことだ」


 かなり無理筋な命令であるということはスメドアも理解しているのであろう。ボーザの投げ槍な言葉に対しても同意するかのような返事であった。



 強行軍で進んだナイヴァル軍は二十八日にはモレ・ムパンへとたどりついた。


 それに先立って城に使節も送られるが、「やってきて構わない」という返答であったため、そのまま進んだところ、既に開城しており出迎えも出て来ている。


 ボーザは思わず首を捻ってスメドアに問いかける。


「いや、本当に戦闘がありませんでしたね。シェラビーの旦那はどうやって懐柔していたんでしょう?」


「兄が、というのもあるだろうが、モレ・ムパンは元々ナイヴァルとはかなり交流がある。フォクゼーレにつくよりはナイヴァルの方がいいという意識があるのかもしれないな」


「なるほど。言われてみましたら、ところどころにあまり見たくないユマド神の建造物もありますね」


「うむ。この後は南東に行ってサスコッチに向かうことになるが、そこも親ナイヴァルの動きも多いという。問題となるのはコングマのチスカプラ、ポゴマニのオラセンベクということになるだろうな」


「どのくらいで踏破するんですか?」


「できれば二か月」


「落とすのも含めて?」


 ボーザのすがるような視線に対して、スメドアは「そうだ」と頷いた。


「それなら、ここに向かわず、サスコッチから東部に向かった方がよくなかったですか?」


 敵対しない相手であれば、その拠点地を押さえる必要もない。向かった分、時間を損にしてしまったのではないかとボーザは苦言を呈する。


 スメドアは「ま、そう言いたくなるのも分かる」と理解を示しつつも。


「とはいえ、結果的にはこちらの方が早く着くはずだ」


 と方針については曲げるところがなかった。



 急いでいるという言葉通り、一日だけ休憩するとスメドアはすぐに出撃した。幸いにしてクリシチ族の道案内人の力を得ることができたので、森林地帯の間にある間道を通り抜け、近道を通りながらサスコッチへと向かう。


 ボーザもなるほどと頷く。


「時間制限があるなら、先にサスコッチに行った方が良かったと思いましたが、道案内の力は偉大ですね」


「そうだろう。地図上の最短ルートがもっとも早いというわけではないからな」


「あとはサスコッチの連中がこちらの目論見通りに従ってくれるか、だな……」


 スメドアの希望的観測はこの点では外れたようで、先に派遣した使節が落胆した様子で戻ってくる。


「兄の威光も、さすがにここまで遠くには及ばんということか」


「どうするんです?」


 ボーザは焦りを隠さない。


 サスコッチで既に時間をロスしているようであれば、目的の期間までにオラセンベクに行くことはとてもではないが不可能である。


「まあ、一応、準備はできている」


 スメドアが取り出したのは、サンウマから持ってきている宝石や装飾品であった。


「我々は何もヤンプ族と敵対したいわけではない。今後、うまくやっていこうではないかと伝えてもらえないか?」


 そう言って再度使節を派遣させた。


「急いでいるんですし、買収工作は早めにした方が良かったんではないですか?」


 ボーザの質問に対して、スメドアは溜息をついた。


「あまり早々に買収しようとすると、相手に足下を見られてしまう可能性があるからな。それにここから先は友好関係がないから敵対必至の連中になる。となると、サスコッチでは長めに準備しなければならないし、歩兵との合流も待たなければならない」


「なるほど。そういうものですか」


 再度派遣した使節は程なく戻ってきた。今度は顔を見ただけで、首尾よく行ったらしいことが伝わってくる。


「彼らが言うには、フォクゼーレの連中やアレウトの連中が攻め込んだ時、協力してくれるなら従おうということでした」


「ふむ。おまえに渡した宝石や装飾品に加えて、ということだな」


「はい」


「その程度ならいいだろう。フォクゼーレは結局のところ当面攻め込む余裕がないだろうし」


「分かりました」


 使節が戻っていくのを見て、ボーザも頷いた。


「ここまでは順調ですね」


 スメドアも頷いた。


「そうだな。ここまでは。最後まで調子よく行ってくれればいいのだが、な」

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