第2話 国境の外へ

 おおよその計画が決まると、レファールはセルフェイ・ニアリッチを呼び出した。


「どうかしましたか?」


「今回、ナイヴァルはイルーゼン南部を攻めることが決まった」


「知っていますよ。カルーグ枢機卿はともかく、他の枢機卿は傭兵も動員しますから、酒場でも普通に話をしています」


「そうか。君はイルーゼンの人間だから、伝えたければ伝えても構わないと言おうかと思ったが」


 レファールの言葉に、セルフェイがクスッと笑った。


「それはわざわざご配慮いただきありがとうございます。ただ、今回の件、ミーツェン様は既に知っているでしょうし、予想もしているでしょう。わざわざ私が伝えるまでのことはないですよ」


「シルキフカルのミーツェン・スブロナはそうかもしれないが、他の部族はどうだ?」


 セルフェイは肩をすくめる。


「ミーツェン様がどう思われているかは知りませんが、私にとってはフォクゼーレから金をもらえばシルキフカルまで攻め寄せてくる誇りも何もないような連中です。ナイヴァルに叩かれるなら、それはそれでありじゃないですか?」


「そうか」


「こんなことを言うから、イルーゼンが国家になれないのだとミーツェン様ならおっしゃるのでしょうけれど、私にとってはそんなものですよ。それより」


「それより?」


「バシアンやサンウマの酒場もあらかた行きつくしてしまいました。そろそろ旅立ちの時が来ました」


「ああ、まあ、確かにもう9か月ほど経っているか」


 ほぼ毎日酒場に行っているし、一日で二軒、三軒と行っている時もある。確かにほぼ行きつくしているであろう。


「今度はどこに行くのだ?」


「そうですねぇ。エルミーズに寄って、そこからホスフェに行くことにしますかね。多分ホスフェで一年か二年かけて、その後はフェルディスでしょうか」


「そうか。ここでお別れということだな」


「そうですね。当面、お別れになりそうです。縁があればまたお会いしたいですけれどね」


「そうだな」


 レファールは笑って右手を差し出した。セルフェイも頷いて応じる。


 握手をし、セルフェイはそのまま、軽い足取りで次の場所、次の酒場へと向かっていった。



 セルフェイと別れたレファール自身も次の日にはバシアンを出発する。


 朝、セウレラと待ち合わせをし、二人して馬車に乗りこんだ。ひとまずイルーゼンとの国境までは馬車で移動をし、そこからは徒歩で向かうことになる。


「今回の戦役、うまくいくだろうか? どう思う?」


「分からん。我々次第ではないか?」


 セウレラの返事は頼りない。


「我々がシルキフカルの兵力を惹きつけることができれば、南部イルーゼンにシェラビーと互角に戦える者はいないだろう。それができなければ、ミーツェン相手に敵地で戦うのは簡単ではないと言えそうだ」


「そうだよな……」


「浮かぬ顔だな?」


「正直、枢機卿の中でも新人だから意見を言えなかったが、ひょっとしたら総主教の方が正しいのかもしれない、と思ったりもするからな」


「それはないだろう」


 セウレラが即座に否定した。


「……総主教の部下とは思えない言葉だな?」


「誰の部下であるかということと、今後の予測とは別だからな。シェラビー・カルーグが政治的に強いということは総主教の立場からすると良くはないが、ナイヴァルの立場として今イルーゼンに攻め込むのは仕方がない」


「フェルディスとの関係でということか?」


「それもあるし、フォクゼーレのこともある」


「フォクゼーレ?」


「現在、ビルライフ・デカイトを中心に軍の再編をしているという。権力も安定せぬし、軍も滅茶苦茶だが、国力という点では圧倒的なところだ。仮にフォクゼーレ軍が国力通りの力を発揮するようになったら、コルネーもナイヴァルも苦しい。それも踏まえて、ナイヴァルはイルーゼンを確保し、迎え撃てる体勢を作っておくべきだと考える」


「なるほど……。正直、爺さんがそこまで前向きだとは思わなかった。総主教には説明したのか?」


 ミーシャが出兵に反対していたことを思い出し、尋ねてみる。


「もちろん説明している」


「ということは、総主教は爺さんの意見を聞いたうえで、尚、反対したと」


「いや、私が反対するように勧めた」


「……爺さん、あんた、何がしたいんだよ?」


「総主教の立場を考えたうえでのことだ。どうせシェラビーがやりたいと言う以上、そなたも反対はしないし可決されるに決まっている。そのうえで、総主教の立場を考えてみるとどうなる? まず、今回の戦いに勝ったとして」


「うーん。別に今と大きく変わるところはないんじゃないかな?」


 シェラビーの力は更に強くなるだろうし、他の枢機卿も賛成したことで見返りを受けることにはなるだろう。


 では、反対した総主教の立場が悪くなるか?


 もちろん、発言力が多少弱くなるだろうが、だからといってシェラビーも他の枢機卿も「反対したからミーシャを追放しよう」などということまでは至らないはずだ。


「では、今回の遠征に失敗した場合はどうだ?」


「その場合はシェラビー様の権威が下がるし、枢機卿連も賛成していたから下がる。総主教は逆に上がる」


「その通りだ。更に、最悪今回の敗戦がきっかけでナイヴァルが弱体化したとしても、総主教の立場には貢献することになる」


「ああ、フェルディスやフォクゼーレがナイヴァルまで来たとしても、完全に支配下に置くよりは平和的な総主教を傀儡にして占領しようということになるわけか」


「その通り。つまり、総主教個人の立場的には反対しておいた方がいいわけだ」


「爺さんも色々と考えているわけだな」


 単純に正しいと思えることと、総主教の立場を別にして、双方にとって損にならない方向に持って行くというセウレラの視点には素直に感心する。


「当然だ。ようやくそなたも私の凄さを理解したようだな」


「あっ」


「おぉっ!?」


 セウレラが「どうだ」とばかり胸を張った瞬間に、馬車が旋回し、セウレラが前のめりになって向かい側の椅子に頭から衝突した。


「い、いつつつ……」


(何だろうね、このおっちょこちょいぶりは……)


 どこか締まらないセウレラに「彼らしさ」を感じたが、もちろんそれを口にすることはない。


「ヒパンコ族は以前フォクゼーレにもそそのかされて、シルキフカルを攻撃して敗退したらしい。ということは、ミーツェン・スブロナに恨みを持っているのだろうけれど、フォクゼーレではなくナイヴァルの言うことを聞いてくれるかな?」


「痛ててて……、そのために色々な目録を預かってきたのだろう?」


 セウレラが頭を押さえながら、レファールの持っている目録を指さした。


「まあ、確かに」


 三年半に及ぶハルメリカとの交易で入手した貴重品などの目録であった。


 少し勿体ないのではないかとも思うが、シェラビーにとってはそういうことも踏まえて用意したものらしい。「全部出して構わんぞ」と言われている。


「ここの連中にとっては金品や貴重品が支配の象徴であるからな。フォクゼーレか、ナイヴァルかというよりも、そういうものをどれだけ出してくれるかが重要だ。成否については心配することがない。痛てて」


「地図を見る限り、国境近くのところまで、治療できるところがなさそうだが……」


 レファールは窓から顔を覗かせたが、全く集落は見当たらなかった。

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