第5話 ルヴィナとトルペラ

 2月9日。


 ルヴィナはいつものように屋敷でピアノを弾いていた。


「ルー、ルー!」


 クリスティーヌが騒ぎながら入ってくる。


「何かあったの?」


「ブラシオーヌ伯爵がルーに会いたいって」


 ルヴィナの手が止まる。


「ブラシオーヌ伯爵? 外務大臣が私に何を?」


「出てくるまで正座して待機しているとか言っているのよ。見ていて気が引けてくるから、会ってちょうだい」


「……分かった」


 ルヴィナは立ち上がり、応接室に向かおうとする。そこでクリスティーヌが日頃持っていない剣を持っていることに気が付いた。


「クリス、その剣は?」


「あ、ルーに渡してくれって」


「私に……?」


 ルヴィナは首を傾げた。剣と思ったが、持ってみるとレイピアのようである。


「……私が持つ護身用のものとしては長すぎるが」


 戦場では指揮棒と手綱以外握ることはない。もちろん、念のため護身用のダガーは持っているが、それに加えてレイピアまで持つつもりにはなれなかった。


「贈呈用というには装飾が少ないし、一体、何のつもりだろう?」


「知らないわよ。あの人、35だっけ? 見るからに頑固親父って感じだから、受け取れって出されると受け取るしかないでしょ」


 クリスティーヌの開き直ったような物言いに苦笑する。


「……本人に聞くしかないか」


 ルヴィナはレイピアを手にしたまま、応接室に入った。トルペラが直立して頭を下げる。


「ヴィルシュハーゼ伯、お忙しいところを申し訳ありませぬ」


「あ、外務大臣殿、もう少し気楽にお願いします」


 なるほどクリスティーヌが圧倒されたのが分かった。頑固一徹といったトルペラがこれだけビシッとした態度をされると、された側の方が緊張してしまう。


「……あと、レイピアをいただきましてありがとうございました」


「とんでもございませぬ。早速ですが、来訪の目的を伝えてよろしいでしょうか?」


 トルペラの問いかけに、ルヴィナは首を強く縦に振った。できればさっさと話をしてお引き取りいただきたいという思いが湧いてくる。


「私の一族の者がおるのですが、この者がマハティーラの下で参謀をしておりまして、な」


「マハティーラの?」


 なるべく平静を装おうとしていたが、自分の眉がつりあがったことをルヴィナは感じる。


「はい。それで、今回、つまらない策略を貴家に対してしようとしているとのことで、お伝えに参りました」


「……それはありがたい。わざわざ直接お越しかなくても良かったのに」


「いえ、この機にヴィルシュハーゼ伯爵代理にも一つ確認したいことがございまして」


「私に確認? ……?」


「この場には私とヴィルシュハーゼ伯爵代理しかおりません。何を話したとしても明るみになることはありません」


「……?」


 トルペラの視線が自身の右手に向かっていることに気づき、チラッと見た。先ほど預かったレイピアを手にしていているだけで、他には何もない。


 一瞬置いてルヴィナはギョッとなった。慌ててトルペラの顔を見るとそうでなくても融通の利かなさそうな顔が、更に真剣な色を帯びている。


(してやられた……)


 ルヴィナは天井を仰いだ。


 トルペラは敢えてルヴィナの懐に飛び込み、しかも武器まで渡しているのである。つまり、「気に入らないのならいつでも殺して構わない」という意思表示をしている。


 そこまでの覚悟を決めている相手に誤魔化しや偽りが通用するとは思えないし、もちろん、右手の剣を振るう覚悟もない。


(正直に答えるしかないか……)


 何とも面倒なことになったと考えたが、ひとまずトルペラを斬るつもりはないので、ルヴィナはレイピアを部屋の入り口にある瓶の中に突っ込んだ。「使うつもりはない」という意思表示を示して、席につく。



 トルペラが淡々とした様子で切り出してきた。


「ブローブ・リザーニが仄めかしておるところによると、ヴィルシュハーゼ伯爵代理はマハティーラ・ファールフ様に含むところがあるのだとか?」


「……はい。私の姉の死に何らかの責任があると思っています」


「では、そのことにより陛下に対しても含むところをお持ちですかな?」


「陛下とマハティーラは別人です。フェルディス帝室に対して邪念を抱くことなど、あろうはずがありません」


「しかし、貴殿は前年のイルーゼン遠征の帰りにも陛下と謁見しておりません。陛下に対して公式に忠誠を宣言したことはございませんな」


「……」


 確かにその通りである。また、フェルディス皇帝アルマバートを避けていることも事実であった。皇帝に対して特別変な意識があるというわけではないが、皇帝にとってマハティーラは皇妃の弟という存在である。従って、何かあった時には必然的にマハティーラの側につくだろうという思いがあり、その警戒感が足を遠ざけていたのである。


「……外務大臣殿の指摘はごもっともです。今回の件が解決し次第、カナージュに伺い、陛下に対する忠誠を宣言いたしましょう」


 とはいえ、疑いを招かれるのも本意ではない。皇帝に頭を下げること自体は抵抗がないし、従っておこうと考える。


「ヴィルシュハーゼ伯爵代理。何もそんなことをしてくれと希望しているのではありません。どう思っているのか、ということを知りたいだけです」


「……外務大臣殿は、私が陛下に仇なす存在であるとお考えか?」


 自然と渋い顔になった。そこまで疑われているのかという思いが過ぎる。


「危険性がある、とは思っております。仮に貴殿がその気になれば、フェルディスがかつての分裂状態になることも」


「……」


 ルヴィナはしばらく沈黙する。


 八十年くらい前、フェルディス帝国の影響力はカナージュ近郊だけにとどまり、他の地域が半独立状態でしょっちゅう戦闘が発生していたらしいことは、知識としては知っていた。この時代、人口は今の五分の一程度しかいなかったという。もちろん実数はそこまで少なくはないだろう。戦闘があまりにも多いので、兵として取られたり、軍費を負担したりすることが耐えられないので隠し子なり死人扱いになっていた人間が多かったということである。もちろん、盗賊や山賊になっていたものも多かったであろう。


「幸いにしてここ数十年、そのような悲しい時代とは無縁でおります。今後も、宰相、私、リザーニ伯がいて、その次の世代としてニッキーウェイ侯や貴殿が続いてくれれば尚数十年安泰でありましょう」


「外務大臣殿、間違いなく約束できることとしまして、私には大それた野心はありません。マハティーラに対し含むところはありますが、だからといって皇帝陛下に取って代わろうとかそのようなことは全く思っていませんし、自分の発言力を増すためにフェルディスを乱れたものにしたいとも思いません。すなわち、今のままであれば私が外務大臣殿にとって不都合な行動をとることはありません」


「ふむ」


「ただ、私自身が警戒されていることも事実です。警戒ならともかく、消されるような動きがあった場合にまで従うということはありません。その結果として、不幸な事態が伴おうとも、それはどうしようもない」


「ごもっともですな」


「私が約束できるのは、以上です。不満なら何なりと……」


「いいえ、積極的な敵意がないということで、安心いたしました」


 トルペラが笑顔を浮かべる。それだけで場の緊張感がほぐれて、呼吸がしやすくなったようにルヴィナは感じた。



 トルペラはそこから、ジュールから聞いたという計画を話し始めた。


「なるほど。スーテルとグッジェンに、クリスを……」


「一応ジュールも親戚でございますので、罰を軽微なものに済ませてやりたいと考えています。ですので、計画はそのまま進めさせて、ヴィルシュハーゼ伯爵代理の方で食い止めていただければ」


「承知しました。それでは先手を打って、やりやすいようにしておきましょう」


「先手を打つ?」


「はい」


 ルヴィナは笛を取り出してクリスティーヌを呼んだ。


「例の作戦を実行……」


「了解!」


 クリスティーヌが嬉々とした顔で応接室を出て行った。


「既に準備はしていたということですか」


「……ニッキーウェイ侯から何かすることは聞いていましたので」


「なるほど。どうやら私の助言はいらぬものであったと」


「そんなことはありません。外務大臣殿のおかげで、ニッキーウェイ候が間違いないということが分かりましたし、具体的な計画も分かりました」


 ついでに、今後、自分が行動していくうえでトルペラや宰相ヴィシュワ・スランヘーンを無視していくことが難しいことも理解できた。


 非常に精神が疲れたが、色々と有意義な話だったとルヴィナは思っていた。

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