第3話 アクバルの思惑
ブネーの中心部から離れたところに、アクバル・ヴィルシュハーゼの療養施設があった。
その屋敷の主アクバルは40歳になったばかり。かつてはフェルディスでも理想的な男性像と言われる小太りの体格であったが、それから数年心身衰弱にかかっていたこともあり、現在は痩せぎすの体となっている。精神的にも落ち着きを欠いているようでしきりと貧乏ゆすりをしていた。
その正面に同じく痩身の男が座っていた。ジュール・ミースラー、マハティーラの参謀の一人である。
「で、マハティーラ様は何と?」
「はい。カナージュから20人の諜報員を向かわせているとのことです」
「20人? 少なくないか?」
「ヴィルシュハーゼ伯爵、人数が多ければいいというものではありません。一度に大勢の見慣れない者が来れば誰もが怪しみ、警戒が強くなる可能性がございます。私としましては、20人でも多すぎて不安がございます」
「そうかもしれないが……」
不安そうなアクバルに、幼児に諭すようにジュールがゆっくりとした口調で話す。
「何、我々の目的は大掛かりなものではありません。あくまでスーテル・ヴィルシュハーゼ、グッジェン・ベルウッダ、クリスティーヌ・オクセルの三人の暗殺です。前二者はフェルディスでも知られた勇者ではございますが、複数での闇討ちには耐えられるものではありますまい」
「うむ……」
「この三人がいなくなれば、ルヴィナ様も意気消沈し、そのまま近場の子爵や男爵との婚姻話を受けざるを得なくなるでしょう」
「そうだな。その後、私が復帰できるというわけだな」
「はい。マハティーラ様の方では復帰後のパーティーの計画もしっかり練っておられます。心を強くお持ちください」
ジュールの話し方に乗ってきたのか、アクバルの表情が明るくなる。
「分かった。全て任せますぞ」
「はい。それでは、私は一旦カナージュに戻りますので」
ジュールは恭しく頭を下げて、部屋を出た。そのまま屋敷を出たところで後ろを見て、唾を吐く。
「全く……、いい歳をして、自分で何も決められないやつの復帰を手伝うことになるとはな」
侮蔑するような口調で吐き捨て、馬を預けてある厩舎へと向かった。
屋敷の中で、アクバルはブツブツとつぶやき続けていた。
「ルヴィナも生意気だが、あの二人はもっと許せん……」
あの二人というのはスーテルとグッジェンのことである。
「あいつらが……、あいつらが……」
アクバルの思考は二年前まで遡っていた。
二年半ほど前、ブネー近郊の村では盗賊団の襲撃が相次いでいた。
盗賊団と言うのは正確ではない。実体はカナージュで不祥事を起こした部隊数百人が逃亡しながら暴れまわっているものであった。元正規軍ということもあり、迂闊に手を出すには危険な存在という認識であった。
盗賊団は移動しがてら、ヴィルシュハーゼ伯爵家にイルーゼンまでの逃亡資金を要求してきた。もし、支払わなければ近隣の村を更に焼き討ちにするという脅迫もつけて。
アクバルは言われた通りの資金を支払うことを決めた。
「奴らを鎮圧するとなると、千人程度の動員が必要となる。それならば奴らの言い値を支払った方が安い」
これに反対したのが当時14歳だったルヴィナである。
「私は反対。彼らに金を渡しても、彼らはただ使うだけ。なくなればまた金を要求してくる。多少の金はかかっても鎮圧すべき」
14の娘がはっきり宣言した。それだけならともかく。
「私もルヴィナの言い分が正しいと思います。グッジェンはどうだ?」
「もちろん姫様に賛成です」
スーテルとグッジェンまでがルヴィナに賛成した。これで他の者達も一斉にルヴィナに従うことになった。それだけでなく。
「父上は千人と言っているが、そこまでの兵力が必要とは思わない。二百人いれば大丈夫」
と兵力にまでケチをつけてきた。これまたスーテルとグッジェンが賛成し、アクバルは完全に立場がなくなった。
「後悔しても知らんぞ!」
結局、憤然としてそう言い放ち、会議室を後にした。
盗賊は数百人で逃亡中という話であった。
元正規軍の相手に対して二百人で勝てるはずがない。若い娘が指揮官など、どのような目に遭うか分からない。身の程知らずの愚か者どもめ、痛い目に遭えばいいのだ。
そう思っていたアクバルは、数日後、自分の軍勢より多い捕虜を連れ帰ってきた娘一行の姿を見て愕然となった。
「元正規軍であっても規律を守らず追い出された面々。怖がることはない。それにカナージュを出てからずっと逃亡しながら好き勝手していた。そんな連中が自らを律して訓練をしたり修練したりしていたとはとても思えない。そう思っていたけれど、我々の想定よりも弱かった」
被害は数名の負傷者のみで死者すら出さない完勝ぶりであった。
以降、娘は街の英雄として、新しい領主として皆に受け入れられた。
逆に正しいことを進言したはずの父親は「唾棄すべき臆病者」として政治的に完全に抹殺された。全員から無視されることで意気消沈し、それに伴い体調も悪化した。スーテルらが主体となって、程なく離れた別邸に隔離同然で過ごすこととなった。
「おのれ……」
それからの屈辱の日々を思い出すだけで怒りが蘇る。
それを和らげてくれたのが、カナージュから派遣された看護師のズィーナ・ハンサンであった。皇妃シーリーンとマハティーラ姉弟の遠縁にあたる彼女の介護を受けて日々を過ごしているうちに体調は回復し、そうなると体力を持て余してすることをした結果、男児も生まれた。
(せめてルヴィナの後にするくらいなら構わぬものだろうに)
スーテルに、男児をルヴィナの後継にするように要請したところ、「今後ルヴィナ様にご子息が生まれることもありますし、勝手にそのようなことを決めることはできません」とけんもほろろに断られたのである。
(自分が強いということで、わしを軽く見ている。あいつらを始末しなければ、ブネーに平穏は来ない)
アクバルはそう確信した。以前のことにしても14歳の娘が「盗賊団は逃げているから訓練もしていない」などと分析できるはずがない。スーテルやグッジェンが娘をコントロールして、自分達のやりやすいようにやっているのだと考えたのである。
そこでズィーナを通じてマハティーラに「ヴィルシュハーゼ伯爵家が一部の者に壟断されているので助けていただきたい」という支援要請を出したところ、「ヴィルシュハーゼ伯爵家には頭に乗っているところがあり、復帰を支援する」という確約を貰ったのである。
そうして送られてきたのがジュールであった。どことなく暗いイメージがある若者であるが、頭は冴えているらしい。スーテル、グッジェン、クリスティーヌの三人を暗殺するべく計画を立ててくれていた。
(あの三人がいなくなれば……)
ジュールの言う通り、ルヴィナが一線を引いてくれれば近くの子爵に嫁入りさせることができる。周辺との縁が強くなり、マハティーラとの信頼関係も厚くなる。
それがブネーのためである。アクバルはそう思っていた。
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