第8話 憑依と邂逅

 その夜、フグィの酒場にセルフェイとアムグンの姿があった。


 アムグンは「どうして私と?」と疑問を隠さないが、それをラドリエルに頼んでついてきてもらった。「それは占ってくださいよ」と嘯きながら。


「ラドリエルさんの知り合いとは大体飲んだんで、アムグンさんの話も聞きたかったんですよ」


 と言いながら、ワインを勧める。


「それは何とも光栄なことだが、私は酒には弱くてね……」


 アムグンは尚も不可解な顔をして付き合っていた。



 酒に弱いというアムグンの言葉は本当だったらしい。三十分もしないうちにテーブルに突っ伏して眠ってしまった。


(見込み違いだったかな……。何か面白いことを言ってくれるような気がしていたんだけれど……)


 彼の色々と不可解な話について細かく聞いていれば、何かしら分かることがあるのではないかと踏んでいたセルフェイにとっては計算違いであった。これではあまり酒に強くない年上の男を呼び出して、ただ酔い潰しただけになってしまう。それはニアリッチ家のポリシーに反することであり、父に知られようものなら禁酒という彼にとって極めて重い罰が待っている。


「大丈夫?」


 突っ伏しているアムグンに声をかける。仮に寝たままの場合、近くの誰かに手伝ってもらわないといけないなと考えていた時。


『はい。大丈夫です』


 突然、鈴のような少女の声が返ってきた。


「うわああああっ!?」


 セルフェイは仰天して、ひっくり返り、尻餅をついた。椅子がガシャンと倒れる音が響き渡り、周囲の者が「どうしたんだ?」と声をかけてくるが、「だ、大丈夫。ちょっと酔ったみたい」と答えるとそれ以上の追及はなかった。


 セルフェイは辺りを見渡すが、場に少女はおろか女性がいない。


「今、女の子の声がしたような気がしたけれど……」


『えっ、私、女の子に見えない?』


 と更に声が返ってきた。セルフェイはいよいよ分からなくなってくる。


「あれ、生まれて初めて酔っぱらったのかな?」


 両目の間、鼻のあたりを押さえてみるが、当然ながら景色は変わらない。


『ごめんなさい。私も初めてなのでよく分からないのだけれど、私自身は離れたところにいて、意識だけが貴方の前にいるんだと思います』


(意識だけが目の前……)


 訳が分からないが、酒に酔っぱらったものの意識が飛んでいる人は幾度となく見たことがある。意識と実体が剥離することもありうるとは思った。


(つまり、どこか別のところにいる女の子が酔っぱらったのかどうかは別として、アムグンさんのところに飛んできたのかもしれない)


 かつて遠距離を一瞬で移動したこともあるアムグンである。何しからの不思議な力を呼び寄せやすい体質であることは十分考えられた。


(待てよ……)


 そこにある推測を加えると、幾つかの謎が氷解してくる。


「そうか。この人はある種のターゲットになっていたのか……」


『ターゲット?』


 セルフェイは「こちらの話です」とばかりに両手を振った。


「まずお互いに整理しましょう。お姉さんは幾つ?」


『10歳』


 無邪気な答えにセルフェイは頭を机に打ち付ける。


「歳下だったのね……。というか、君、10歳でこんなことやっているの!?」


『あ、いえ、初めてです』


(一体、どこの化物なんだろう……この子は)


 セルフェイは内心唖然となる。思ったつもりのことが口をついていることも気が付かない。


 ひとまず相手の正体を知りたいと思う。もっとも、回答したとしても、セルフェイには確認する術もないのであるが。


「僕は12歳。名前はセルフェイ・ニアリッチ。君は?」


『エリーティア・ティリアーネ・カナリスです』


「エリーティア……?」


 どこかで聞いたことのある名前であった。


「ああ、確かアクルクア大陸のどこかの王女様の名前だったっけ」


『あれ、ということは、貴方のいる場所はアクルクアではないのですか? あ、ちなみに日付はいつですか?』


「日付? 770年の6月28日ですよ」


『ということは、時間は同じか……』


 ぽつりと恐ろしい独り言が聞こえてきた。


(この人、時間まで超えるつもりだったのか?)


 セルフェイの考えに気づいたか、相手が慌てたように答える。


『あ、ごめんなさい。私も初めてだから、どこにどう意識が飛んだのか分からないの。ただ、ここが光っていたから降りてきただけで、正直、全然分からないんです』


「全然分からないのに、よく降りるつもりになりましたよね? 自分が誰に憑依しているか分かります?」


『分からない。私、憑依しているんですか?』


 相手は本当に分からないかのように答えた。


「自分の手とか見えないですか?」


『見えないです』


「僕の手は見えますよね? あそこの人は?」


 どうやら、エリーティアの意識には乗り移っているアムグンの存在のみが見えないらしい。


「僕はある人とお酒を飲んでいて、そのある人は今酔い潰れたんですよ。そこに貴女が入ってきたみたいな話ですが、そういうことは分かっていなかったみたいですね」


『ええ、本を読んでやってみたのだけれど、場所・時間全てが意識と繋がっているということで、真っ白な世界が広がっていた中、赤い光が見えたから降りてきたら、ここでした』


「それって、同じようなことを別の人がすることはできますよね?」


『うーん。原理は同じだと思いますので、できるとは思います。でも、他の人に憑依するとは思いませんでした。今後はしないようにします』


「そうですね。そうした方がいいと思います」


『それでは、失礼しますね。あっ……』


「どうしたのですか?」


『ちなみに、ここはどこですか?』


「ホスフェって分かります? ミベルサ大陸の。ホスフェの南部にあるフグィって街の酒場ですよ」


『えっ、セルフェイって12歳なのに酒場にいるんですか?』


「余計なお世話です」


『はーい。失礼しました』


 少女の声が消えた。再び、アムグンが寝ているだけの状況となる。



 セルフェイがまず考えたのは、このことをラドリエルやレファールに伝えるかどうかであった。


(そんな話を信じてもらえるかな? 別の大陸の王女が憑依したなんていう話。ただ、この人はそういう目印として使われていた人なんだろうなぁ)


 一人が出来るということは、別の人間も出来るということである。エリーティアという少女と同じことをできる者を抱えている陣営であれば、アムグンを使って色々な情報を得ることができたであろう。


(占い師だと、移動していても全く不思議に思われることはない……)


 まず思いつく存在として、父の主人であるミーツェン・スブロナがいる。


(敵軍が攻めてきた時に都合よく毎回霧が発生しているのはおかしいし、彼女と同じことをミーツェン様ができる可能性は普通にある)


 しかし、それでもセルフェイの直感が指し示すミーツェンではない。


(……僕もそうだけど、みんな、彼に起きたことを謎と捉えすぎていて、単純な事実を忘れていた。そもそも、彼はあの時、何故プロクブルにいたのだ? 何故、レビェーデやサラーヴィーと近いところにいたのだ? 何故プロクブルでナイヴァルが勝利した時点で消えたのだ? そして、何故、ホスフェ沖に現れ、今、フグィにいるのだ?)


 再度考える。


 このことをラドリエルやレファールに伝えるべきか、と。

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