第3話 ミーツェン・スブロナ①
イルーゼン北部のラリダハルで降りると、そこからアレウト族の中心地シルキフカルまでは十五日程度の徒歩での旅となる。
それまでの間、ボグダノ・ニアリッチは毎日のように昼から寝るまで酒を飲んでいる。しかも、まあまあ酔ってはいるのだが、何らかの醜態をさらすようなことは決してない。
ジュストは単純に凄い奴だと感心していたが、「尊敬できるかと言われると、微妙だな」という思いも抱いていた。
ラリダハルからの徒歩の間も、村々に寄っては酒を飲んでいる。もう、どこの村に立ち寄りどこで飲むかということを決めているらしい。誰とでも酒を飲んでは仲良くなっている。部族の対立が激しいのではないかと構えていたジュストだったが、常日頃から争っているのではないのか、ボグダノの人柄によるものか、困るようなことはなくシルキフカルまでたどりついた。
イルーゼンの集落はヨン・パオと比較するとあまりにも閑散としていた。城壁のようなものはなく、テントのようなものがただまとまっているだけである。しかし、シルキフカルだけは城壁のようなものがあった。城壁のようなもの、というのが正しい表現で、竹でできている代物である。
(この防御力でフォクゼーレ軍も含めた周辺部族から五年間無傷で守ってきたのか?)
フォクゼーレの城壁を当たり前のものとして見ているジュストからしてみると、守るつもりがないような場所にしか見えない。もちろん、山をいくつか越えなければならないし、森の中も幾つか通ってきている。複雑な地形の中にあることは間違いないのであるが。
「どのくらいの人がいるんだ?」
「うーん。付近の集落全部を含めれば五万くらいだったんじゃないかな。この街だけだと一万もいないだろう」
「付近の集落ってどのあたりにあるんだ?」
「半径百キロ圏内だな」
「ひ、百キロ?」
森や山などの入り組んだ地形で百キロも離れていては、来るだけで何日もかかるのではないだろうか。
「これでよくフォクゼーレ軍と戦えるな?」
感心すると同時に、自分の国の軍はそんなに弱いのかという逆の意味での驚きもある。
(サンウマ・トリフタやワー・シプラスの時のようなことばかりやっているということなんだろうな?)
それにここにたどり着くのも大変である。土地勘のあるボグダノと共にいるから楽に来られているのであるが、いなければもっと苦労したであろう。更にはこの周辺は霧がかかることも多いらしく、そうなったらお手上げでやる気をなくしてしまっているのであろう。
(さて、どうやってミーツェン・スブロナに面会を求めるべきか……)
シルキフカルの中に入って、ジュストはまずそのことを考える。
事実、フォクゼーレから来ているのであるから、そのまま堂々と主張してしまえばいいとも思えるが、これまでの経緯もあるので何かしら言われる可能性がある。ジュストはそれに対する決定権を何も持たないので、面倒なことになるという思いも強い。
そうした考えは杞憂に終わった。
「おお、ボグダノ。久しぶりだな。隣にいるのは誰だ?」
歩いていると不意に上から声をかけられた。見上げると、眼鏡をかけた男が二階の窓から見下ろしていた。
「司令殿、この男はフォクゼーレ軍の改革担当者のジュスト・ヴァンランという者です」
「何…!?」
驚いてボグダノを見る。ニヤッとした笑みを浮かべていた。
十分後、建物の一階で三人がテーブルを囲んでいた。
その間、ジュストはしげしげと男を見上げる。
(この男と喧嘩をしたら絶対に勝てないだろうな……)
身長は190を間違いなく超えているし、体重も100キロ前後あるだろう。すさまじく厚みのある筋肉が見えるが、鈍重という印象はなく、全身が鞠のように弾む動きをしている。
「悪く思うな、ジュスト殿。世界の酒場を歩き回っているというのは本当だが、そこで仕入れた情報などを司令に伝えるのも仕事なのだ」
ボグダノが宥めるように笑いながら、ジュストのグラスに酒を注いでいる。
「……つまり、ヨン・パオで俺のことを聞きつけ、イルーゼンに向かうということでついてきたということか?」
ジュストは舌を巻いた。確かに酒場などには兵士もよく集まるだろう。ビルライフが色々やろうとしていて、その下に自分がいるということも知られていたかもしれない。そんな中で、自分がイルーゼンに向かうという情報をどこかから聞いたのであろう。何のことはない。最初から監視されていたというわけである。
「司令殿……おっと、紹介が忘れていたな。この人がおまえの目的だろう、ミーツェン・スブロナ司令官だ」
「えっ!?」
ジュストは改めて長身巨躯の男を見た。ミーツェンは楽しそうな顔で頭を下げる。
「ミーツェン・スブロナです」
「は、はあ……」
知将と聞いていたが、とんでもない武闘派だ、ジュストはそう思った。
改めて話を始める。
「しかし、まさかボグダノがスパイとして派遣されているとは思いませんでした」
「スパイとして派遣……というほど大それたものでもありませんがね」
ミーツェンは肩をすくめる。
「私は故あって、この地を動くことができないのですが、アレウト族は元来旅好きな者が多い。旅に出て見知ったことを故郷に来て話をするだけの話です。例えば私や女王があれを調べてほしいと言うようなことはまずありません。アレウト族は正直者が多いのでこっそり何かを調べるということが苦手ですので」
「先ほど、この周辺にアレウト族が五万人くらいと言ったが、行商に出ている者も含めると八万人くらいにはなる」
ミーツェンの話に、ボグダノが補足をする。
「八万人……」
ということは、三万人ほどがシルキフカルの外にいて、それぞれ自分の周りの情報を伝えていることになる。
(だからフォクゼーレの情報は常に筒抜けというわけか)
自分も含めて、酒場などで話をすることも多いだろうし、世間話の中で出てくることも多いであろう。そうした情報が常に行き来されているというのは驚きであった。
「中々衝撃的な数字ですね」
「そうですか? フォクゼーレには数百万人という人口がいたのでは? 三万などたいした数字ではないでしょう。現在はおりませんが、去年までこんな遠方まで遥々三万人もの軍勢を派遣してきたではないですか。フォクゼーレには三百万人くらいの兵がいるのではないかと思うくらいです」
「……」
ミーツェンは豪快に笑った。
これもまたフォクゼーレ軍にとっては忘れたい話であるだろう。
「6年前、天主にシルキフカルを金貨850万枚で売っても構わないという風に言ったのは本当なのですか?」
「本当ですよ」
ミーツェンはこともなげに言う。
「フォクゼーレの兵士の年間給与が金貨50枚でそれが一万五千人来ると考えました。実際には三万でしたけれどね。で、装備品や食料などがその一.五倍はかかるでしょう。敵対部族の応援などで動く金も金貨百万枚相当はかかるでしょう。それでも二年くらいは持ちこたえる自信がありましたので、それだけの金があるのなら、我々が貰って色々と我々のいいように使えばわざわざ戦争しなくてもいいのではと思っただけです。フォクゼーレはシルキフカルにあるものを自由に使えるし、我々はそれ以外の形で発展できるしお互いに取っていい形だと思ったんですけれどね。値切り交渉すらせずに打ち切られたのは残念でした」
それだけの金貨があれば、もっといいものが作れたのですけれどねぇ。ミーツェンは溜息をつきながら言う。
「装備や食料は、おそらく同じくらいかあるいはもっと低いと思います」
ワー・シプラスの時を思い出して指摘すると、ミーツェンは「分かっています」と笑った。
「そこは多少の嫌がらせと吹っかけも入っていました。フォクゼーレ帝国ほどともなれば兵士の食料や装備にこれくらいお金をかけているのでしょう! とね。我々は、フォクゼーレを尊敬していますよ。だから多少上方修正してもいいですよね。子供がお母さんからお小遣いを余分に欲しい時はどうします? お母さん、今日は綺麗だねとか言うではないですか。それと似たようなものです」
「はあ……」
その感性は理解できない。ジュストはそう思った。
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