第11話 聖女の鉄槌③
翌16日、シェラビー・カルーグが数人の供を連れてバシアンへとやってきた。
ミーシャは大聖堂に呼び出して失態を詫びる。表向きには病死と発表しているが、スメドアからもメリスフェール本人からも聞けるシェラビーにはそんな建前を押し通すことはできない。また、仮にどのような経緯があったとしても、ネイド・サーディヤがメリスフェールに対して処女権を行使しようとしていた事実は確かであろう。
「この度は、枢機卿がとんだことをしでかしました。総主教としても、親族の一人としても慚愧に堪えず、お詫びいたします」
「……とんでもありません。今時処女権などというものが存在していたということには驚きましたが、不運にも枢機卿は亡くなられたということ。死者に鞭うつような真似は誰もしたくないでしょう。また、スメドアから聞きましたが、総主教にはメリスフェールの安心のために腐心いただいたということで感謝しております」
「……」
「しかし、枢機卿に欠員が出たとなりますと、新しい者を選任しなければなりませんな。果たして、それに値する者が現在のナイヴァルにおりますでしょうか」
そう持ってきたか、ミーシャは舌打ちした。
「……カルーグ枢機卿には思い当たる候補がおりますか?」
「そうですな……。国家に対する功績という点ではレファール・セグメントが最有力候補ではないかと思います」
「私もそう思います」
シェラビーがそう言ってくることは想定していた。また、これが実現することによってシェラビーとレファールという強力なタッグがナイヴァル中枢まで食い込んでくるということも事実である。
(しかも、父さんがいなくなったことでメリスフェールを通じて、コルネーに対する影響力まで行使できるようになった。これでネオーペ枢機卿に対する配慮なんかもいらなくなるでしょうし、ヨハンナと離婚してシルヴィアと結婚ということになるんでしょうね)
完敗である。
しかし、レファールが枢機卿になるということはミーシャにとって最悪というわけではない。
(レファールはシェラビーの味方ではあるけれど、あたし達と敵対しているわけではない。手綱が取れる自信はないけど、うまく持っていけば緩衝材として使うことはできるはず……)
いずれにしても、レファールを枢機卿に任命することについて、最有力の二人の方針は固まった。
レファールとセウレラはそんな状況を知る由もなく、バシアンから南に一日ほどの距離にある小さな村で休んでいた。
この村で二人は、ネイド・サーディヤ枢機卿が病死したという情報を知らされる。
「ネイド枢機卿が!?」
レファールはセウレラを見た。
「うむ。十中八九、暗殺されたのであろう」
「……」
レファールにも異議はない。
「バシアンに急ぐか?」
本来なら一日くらい休もうと考えていた。しかし、バシアンの状況はかなり大変なことになっていそうである。善は急げとするべきか。
「それも一手ではあるが、今の状況で我々が入ると、更におかしなことになる可能性もあるかもしれない。どうなっているのか確認した方がいいだろう」
「……それもそうか。シェラビー様が先に入っただろうし、そこで更なる事件が起こることもありえるわけだし」
疲れもあるし、無理にバシアンに行く必要はない。そう考え直して、その日は村で泊まることにした。
結果的に、その選択は幸いした。
夜。
レファールは宿の部屋で剣の手入れをしていた。ここよりもう少し南の村で作られたもので今にも棺桶に入りそうなよぼよぼの老人が「この剣は非常に斬れますゆえ是非将軍に」と渡されたものである。
扉が小さくノックされた。
「爺さんか?」
「私、ネイド・サーディヤ枢機卿の部下だった者です」
「ネイド枢機卿の?」
レファールは首を傾げたが、ひとまず扉を開いた。
入ってきた男には見覚えがあった。コレアルでも一緒だったし、バシアンでも二回ほどネイドとともに居合わせたことがある。
「確かニーゴイ・オズヘルだったかな?」
「覚えていただき、ありがとうございます」
「私に何の用だ?」
「はい、バシアンでの陰謀について、レファール様に知っていただきたく参りました」
「私がここにいるとどうして知った?」
「向かっているという情報は聞いておりましたので、ここにいれば会えるだろうと思って待っておりました」
話そのものに矛盾はなさそうだ。レファールはそう考えて、中に招き入れる。
「陰謀というが、どういう陰謀なのだ?」
「はい。ネイド・サーディヤ枢機卿は病死ではありません。メリスフェール・ファーロットに暗殺されたのでございます」
「何!?」
暗殺されたという言葉には驚きはない。しかし、暗殺者の名前にはあまりにも違和感があった。
「おまえ、正気か? メリスフェールは12歳だぞ。ネイド枢機卿は私より長身で体格も悪くない。どうやったらメリスフェールが枢機卿を暗殺できるのだ?」
「はい。処女権を利用したのでございます」
「処女権? また随分と不愉快な言葉が出てきたな」
「どうかお鎮めください。私はネイド様の側近として情報を取り持っていたのですが、スメドア・カルーグと話をしている際に、その話を持ち出されました。花嫁コンテストで優勝した見返りに、彼女の処女権を行使してはいかがかと? 私はそれをネイド様に伝えまして、養女縁組の後に執り行おうという話になりました」
「おい、ちょっと待て」
話を急ごうとするニーゴイをレファールが止める。
「おまえの話だと、次期コルネー王妃に対して処女権を行使しようとしていたことになる。そんな重大な事柄を、ネイド枢機卿はそんなあっさり認めたということなのか?」
「は、はい……」
「私もネイド枢機卿のことは多少知っているが、そこまで女好きという感はなかった。仮に私がそのような提案をスメドア様から受ければ、驚いて本人にも確認するだろう。そういうことを一切しなかったというのか?」
ニーゴイの表情に焦りの色が浮かんだ。
レファールはそれを見て、大方を察した。
「……それで、何が望みなんだ?」
「枢機卿が暗殺され、総主教からも叱責を受けまして身を寄せるところがありません。私は情報の管理や調整などには自信がございますので、レファール様の下でお使いいただければと」
「……分かった。そうした話をしていると部屋が暑く感じる。少し外に出て話をしよう」
ニーゴイが分かりましたと部屋を出る。レファールは剣を手に取ってそれに続いた。
宿の庭に出て、手ごろな岩を見つけて座らせると、レファールは口を開いた。
「何かしらの陰謀があったらしいということは分かった。ただ、それでもメリスフェールがネイド枢機卿を暗殺するのは無理ではないか?」
「部屋に誰かを潜ませたりしていたのでしょう」
「なるほどね。しかし、それらの危険性がないのを確認するのがおまえの役目ではなかったのか?」
「それは……」
「いつものことだから大丈夫と思っていたのか?」
「は、はい……」
「そうか、いつものことか。だからいきなり処女権とか言われても当たり前のように受けていたわけだな」
ニーゴイが「ハッ」と声をあげた。
「……十七聖女事件の際に、総主教の母親の周りにはロクな者がいなかったと聞いたが、それは父親も同じだったということなんだろうな」
おまえみたいなどうしようもない奴が、と言わんばかりの冷淡な視線をニーゴイに向ける。その時点でようやく、ニーゴイはレファールが外に誘った真意を悟ったらしい。「うわああ」と悲鳴のような声をあげて逃げようとする。
「逃がすか!」
レファールは踏み込んで剣を突き付けた。声にならない声があがり、ニーゴイは地面に倒れ伏す。
「ついでに言っておくが、メリスフェールはひょっとしたら私の妻になるかもしれない女性でもある。おまえはそういう女性の名誉を傷つけることを安易に言い放っているということを理解していたのか? ということで、何も聞かなかったことにしておくよ。ネイド枢機卿は病死ということだ」
驚いたのか、あるいは死ぬ直前の痙攣か、ニーゴイの目は大きく見開き、そのまま光を失った。
「……また、随分と拙速にやってしまったものだな」
上から声がした。振り向くと、二階の窓からセウレラが顔を出している。一部始終を見ていたらしいが、別に非難するとかそういう様子ではない。
「こいつを放置してあれこれ言いふらさせてしまうのは、総主教にもシェラビー様にも、死んだネイド枢機卿にも迷惑な話だろうからな。斬り捨ては好まないが、やむをえないと思った」
「それについては何も言うつもりはないが、バシアンに行くのは更に先に伸びそうだな」
セウレラがニヤッと笑った。レファールも苦笑する。
理由があるとはいえ、殺人行為である。これを無視してバシアンに行くわけにはいかないだろう。サンウマ・トリフタの英雄レファール・セグメントを処罰するようなことはないであろうが、事件を処理するために一日二日は村に残る必要があるであろう。
「こちらは爺さんのせいで、フェルディス・イルーゼン旅行までさせられたんだ。それと相殺ということにしてくれよ」
「良かろう。ちなみにその男、そなたに取り入ろうとして一のことを十に話していた節もある。多分、真実も十に一であろう」
「……爺さん、私は何も聞いていないから一も十もないよ」
「おっと、そうだった。失敬した」
セウレラは「それでいい」というような笑みを浮かべて、窓を閉めた。レファールはニーゴイの死体を見下ろし、この件について衛兵に報告に行こうとして、剣をまだ拭いていなかったことに気づく。
「ほう……。突き刺したのにほとんど汚れがない。確かにいい剣なのかもしれないな」
剣を振って血を払って、確認し、思わず場違いな言葉が洩れてしまった。
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