第10話 聖女の鉄槌②
部屋に飛び込んだミーシャの目に入ったのは、まずはわなわなと震えているメリスフェールの姿であった。激しく動いたのであろう、服の皺はすごいことになっているが、まだ何かをされたわけではないようである。
ベッドから遠く離れたところでネイド・サーディヤが仰向けに倒れており、スメドアが近づいて声をかけていた。
「……ダメです」
スメドアが首を左右に振った。微動すらしない様子を見るとこと切れているのかもしれない。ミーシャは父が服を着ていることだけ確認して、それ以降は無視していた。万一、何も着ていない状態であれば、自らトドメを刺しに行ったかもしれないとも思う。
「メリスフェール、大丈夫?」
「は、はい……」
震え、かつ掠れた声が漏れた。
「私、私……」
両手も震えていた。その掌に視線を落とす。
ミーシャはその頭を抱き寄せて、髪の毛を撫でる。
「大丈夫よ、貴女は悪くないわ……」
父親の安否が気にならないわけではなかったが、この時、ミーシャが感じていたのはメリスフェールへの共感だけであった。
一時間後。
ミーシャは広間で報告を受けていた。メリスフェールは自分の寝室まで連れてきて、寝させている。いくら何でも人が死んでいる部屋でゆっくりはできないであろう。
「……どうやら、強い力で押されてしまい、その時に頭を強打した模様です」
「でしょうね……」
「あの細身の体で、枢機卿の頭を強打させるくらいに押し飛ばせたかどうかは、これから調査いたします」
「それは自分の貞操を全力で守ろうとすれば、押し飛ばすことくらいは出来るんじゃない? 運が悪かったのよ」
調査するなどと無粋なことを言う衛兵に、ミーシャは軽い苛立ちを感じた。自分も含めた女性全員が馬鹿にされたような気分になる。
「……ついでにニーゴイを呼んできなさい」
ミーシャは有無を言わさぬ口調で言った。
ニーゴイはすぐにやってきた。
「……一体いつから、やっていたわけ?」
何を、とは言わないが、ニーゴイも何を聞かれているか分からないほどの愚か者ではない。平伏している全身を小刻みに震わせながら説明を始める。
「……テレーズ様が亡くなられて程なく、でございます。と申しましても、最初のうちは枢機卿自らなされたというわけではなく、その、立場もあることですし……」
「見返りを受けたい連中から自ら申し出があった。それを受けているうちに当然と思うようになっていったわけね。道理で再婚とかしようともしなかったわけね」
不思議には思っていた。父が政治的立場をより強化したいのなら、他の枢機卿の関係者の女性と再婚すればいいのにと。それをしてしまえば、権利の行使が新しい妻に対する裏切りになるのだと分かれば納得はいくが、彼に対する嫌悪感は増すのみである。
「今回はどうなのよ?」
「……」
「ネイド枢機卿は死んだのよ。今更隠し立てする義理があるの?」
「……はい。そういうものがあると提案をして、一応受け入れられたとのことでしたので」
「相手が12歳だということも考えずに?」
「……それはその、け、形式的な場合もありまして、例えば添い寝で終わるとか……」
「添い寝で終わらせる誓約書でもあるわけ?」
厳しく睨みつけると、ニーゴイはたちまち縮こまる。
溜息が出た。溜息しか出ない。
「……もういいわ。出ていって頂戴」
「あの、私めは今後どうなるのでしょうか?」
「そんなこと、あたしの知ったことじゃないわ。別の誰かに追従でもしていなさい。見ているだけで頭に来るから早く出て行ってくれる?」
呼んでおいて腹が立つも自分勝手な物言いだとは思ったが、それを訂正したり、謝罪したりするつもりにはなれない。
ミーシャはニーゴイを部屋から追い出すと、侍女のマリヤムを呼んだ。
「コルネー王には、メリスフェールは風邪をこじらせてしまったと伝えて、しばらく待ってもらうように伝えて。ネイド・サーディヤについては自殺したことにでもしておいて」
「じ、自殺ですか?」
唯一神の僕たる人間は自殺を禁止されている。ましてや枢機卿がそんなことをしたとなると前代未聞である。
「そうよ。何か悪い?」
「……お言葉ですが、そんな発表をしてしまいますと詮索される恐れがございます。お怒りは分かりますが、ここは病死ということになさらないと」
「あぁ、確かにそうね……」
ミーシャもここではマリヤムの言葉に理を見出した。
「分かった。病名は医師と相談して決めてちょうだい」
「大変な事になりましたね」
「大変どころじゃないわよ。枢機卿の代わりを決めないといけない、そうでなくても圧倒的に不利な情勢になったのにシェラビーにも情報を伝えて理解してもらわないといけなくて負い目を背負うことは確実。総主教としてはかつてないほどの大ピンチだけど、それでもメリスフェールのことを考えるとねぇ……」
そこに先ほど出て行った衛兵が入ってきた。
「一応報告したいのですが……」
「どうぞ」
「はい。突き飛ばされた際に滑って転倒し、そのままユマド神の胸像で強打したことによるものだと思われます」
「胸像?」
「はい。近くに転がっておりました」
「……分かったわ。ご苦労様。引き続き何か分かったことがあったら教えてもらえる? ただ、あたしは午後出かけているから、できればまとめて明日にしてもらえるかしら」
「分かりました」
衛兵は出て行った。ミーシャはマリヤムにも「ちょっと一人にしてくれる?」と頼んで退出させた。
一人になったミーシャは部屋を見渡した。隅の方にユマド神を象った胸像がある。バシアンではそれなりの部屋には大体この手の胸像があった。
(押し飛ばされて床で頭を強打したのならともかく、胸像まで行くかしら……?)
仮にそんなに近くにあったのなら、養女縁組の手続中に違和感を覚えたはずである。ということは、胸像は当たり前の場所にあったのではないか。
(父さんはシェラビーが来ることに合わせていて警護を固めていた。でも、養女縁組だと警護兵をぞろぞろ連れてくるわけにもいかないし、ましてや処女権の行使なんてなると猶更だ。事実、あたしもスメドアも出されたわけだし……)
ネイドを暗殺しようとしていたのであれば、願ってもない機会であっただろう。
胸像に近づいて持ち上げようとしてみる。かなり厳しいが、出来ないことはない。
(メリスフェールは多分私より非力だから、これを扱うのは無理ね。ただ、鍛えた男なら不可能ではない……。書棚の影、ベッドの下、隠れるところはいくらでもあるし、まさかこんな手続の前に部屋の家探しなんてことするはずもない。メリスフェールの「嫌です!」という悲鳴が拒絶でなく、合図なのだとしたら……)
無防備なネイドを背後から胸像で強打した後、下手人は窓から逃げていく。急いで逃げたとなるとそれなりの音がしたかもしれないが、何せあの時は自分達もバタバタとしていたし、扉に先に到着したのはスメドアであった。その気になれば、後から来た自分の視界を塞ぐこともできなくはない。
そこまで考えて、ミーシャは苦笑する。
(……考えすぎね。そんなことあるはずがないわ)
それに。
続けて思う。
それが事実ならメリスフェールもそのことを知っていたことになる。かなりの確率で成功しただろうが、失敗して自らの貞操を失う危険性も大いにあったことになる。
不確実な計画のために自分の運命を全て賭ける。特別不自由な思いを受けたわけでもないはずの12歳の少女にそんなことができるであろうか。
(あたしにはとても出来ないことだわ。どの道証拠も出てこないでしょうし……)
何が事実かは分からない。
ただ一つ、明らかなことはある。
「……父さん、貴方を卑劣だと言うのは、我慢するわ。ただ、愚かだった。あの子には貴方が手を出せるような子ではなかった。それなのに手を出したから、怒りの鉄槌を受けることになったのよ」
そう呟いて、椅子に腰かける。
一体何度目になるだろうか、また溜息が出た。
後にこの事件はミーシャの要請により『聖女の鉄槌事件』と記録されることになった。
彼女がどんな思いを込めてそう命名したかについては語られていない。
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