第9話 聖女の鉄槌①
3月14日、夜。
「総主教、ネイド枢機卿より言伝です」
書斎でミーシャが読書をしていると、侍女のマリヤムが入ってきた。
「明日の朝7時から、メリスフェール様の部屋にて養女縁組の手続を行うので、家族として来てほしいとのことです」
ミーシャは「了解」と頷いてから、首を傾げる。
「……何でメリスフェールの部屋でやるの? 大聖堂でやればいいじゃない」
「風邪がまだ治っていないということでございます」
「あぁ、なるほど」
一昨日の様子を見た限りだと回復には向かっていそうだったが、そこで自分がレファールと婚約宣言をするらしいというショッキングな出来事を知ってしまったこともある。
(花嫁選びもストレスだろうし、色々疲れたんでしょうね)
ミーシャは納得し、朝早くからやるのなら、なるべく早く寝た方がいいでしょうねということで寝室へと向かった。
翌朝。
ミーシャは早めに起きて、所定の時刻にメリスフェールの部屋の前に着いた。
そこにはスメドアがいて、ネイド・サーディヤにその側近のニーゴイ・オズヘルの姿もある。付き添っているのは一人だけであるらしい。
(最近、警護が二、三人ついていた気がするけれど、さすがにこういう時までは連れてこないか……)
気軽に考えながら、父親に声をかける。珍しく顔に笑みが浮かんでいる。
「おはよう。ネイド枢機卿、何か楽しそうね?」
「そうか? まあ、娘がもう一人増えるんだ、嬉しくないわけはないさ」
「……なるほど」
そんなものなのか。ミーシャは半信半疑だが一々問いただすつもりもないので、相槌を打つ。
四人で部屋の中に入ると、メリスフェールは一応正装に着替えてはいるがベッドの中にいて、半身を起こしている状態であった。
「おはようございます。よろしくお願いします」
「メリスフェール、大丈夫なの?」
楽しそうなネイドとは対照的にメリスフェールの顔は蒼ざめており、辛そうにも見えた。しかし、それがかえって儚げな雰囲気を醸し出している。正装のローブの上に見える肩のラインなども含めてとても12歳とは思えない色気が漂っていた。
(メリスフェールって実はサリュフネーテと双子なんじゃないかしら。何かの必要があって年齢誤魔化しているようにしか見えない……)
思わずそんなことを考えている間に、メリスフェールが弱々しく返事をした。
「大丈夫です。私のせいで日程を遅らせたくないですし」
「どうせクンファが連れて帰るわけでもないのだし、一日二日くらいいいじゃんじゃないの?」
と思ったことを口に出したミーシャは、ニーゴイから睨まれる。発言が奔放過ぎるということであろうか。
手続自体は特に変わるものはない。書類を出して、それぞれがサインをし、最後にミーシャが総主教という立場で祝福をする。
「これで貴女は妹になるわけね」
そう言って微笑みかけると、メリスフェールもうっすらと微笑む。
「……本当に大丈夫なの? 妹になったばかりで重病とか勘弁してよ」
「大丈夫です……」
再度言うので、ミーシャもそれ以上は何も言わない。
「それでは、私と彼女とで話があるので、他の皆さんは退室いただけるかな?」
ネイドが言った。ミーシャが「うん?」と首を傾げる。
「何を話すの?」
「今後のこととか色々だよ」
「それこそ明日以降でもいいんじゃないの……?」
「総主教様、大丈夫です」
メリスフェールが承諾したので、ミーシャもそれ以上は反論できなくなる。
「しんどかったら、気にしないで言いなさいよ」
と言い残して、部屋を出た。スメドア、ニーゴイの二人も続く。
歩きながらも、尚、ミーシャは首を傾げる。
「しんどそうだし、明日にしてあげればいいのに。義父であって、夫になるわけでもないんだしさ。そう思わない?」
二人に尋ねると、スメドアは「そうですね」と頷いた。
「そ、そうですね……。ハハハハ」
ニーゴイが乾いた笑い声をあげた。あからさまに不審な態度である。
「何か怪しいわね。何を話しているか知っているわけ?」
「……そ、それはその……」
明らかに知っている。しかもニーゴイの様子を見ると、知られたくないことであることも間違いない。
「スメドア、メリスフェールの部屋に戻るわよ」
ニーゴイは自分から話すつもりはなさそうなので、スメドアとともに戻ろうとする。ニーゴイが慌てて止めに入った。
「その……、つまり、処女権の行使を……」
「……は?」
ミーシャの目は点になった。
初夜権とも処女権とも呼ばれるものについて、ミーシャももちろん概念は知っていた。
地域や国によって多少の差はあるが、婚姻前の女性の処女を一定の地位にある者が奪うという仕組みはどこにでもあるらしい。大抵はそうした女性の節目の時期、成人になった日、婚姻の前などに行われることになる。
ナイヴァルでは枢機卿、大司教などがそうした行為をすることで女性の霊性が高まるという噂もある。もちろん、後者についてミーシャは全く同意するつもりがないが。
地方でそうした風習があるらしいということは知っていた。自らの父も地方の農民出身である。そうしたことを不思議と思わないのかもしれない。
ならば仕方ない。そんな発想には決してならない。
「……冗談じゃないわよ!」
ミーシャは人生で最大とも言える嫌悪感をもった。ニーゴイを蹴っ飛ばし、反転して部屋に走る。
「スメドア!」
父がそんなことに及ぼうとしていた場合、自分一人では体力で勝てないかもしれない。スメドアの力が必要であった。
「は、はいっ!」
ミーシャはメリスフェールの顔が蒼かった理由を理解した。同時に昨夜、のんびり寝てしまった自分に腹が立った。何が苦しいのか明日のことなどをどうしてしっかり確認しなかったのか。
明日という言葉を思い出した時、今回の件を明日に伸ばさなかった理由も理解した。明日になるとシェラビー・カルーグがバシアンに来るからだ。事後承諾も怪しいが、事前承諾をあの男相手に取るのは不可能であろう。
(あの馬鹿! 私が16歳になるまで結婚時期を伸ばしたのを何だと思っているのよ!)
内心で自分の父親を馬鹿呼ばわりしたが、この瞬間にミーシャが抱いた憎悪はそんなものでは済まない。自分より年下の、しかも養女縁組をしたばかりの相手に対してそんなことをするなんて正気の沙汰ではない。仮に手に武器を持っていたら、それで半殺しくらいまでは厭わないであろう。
「嫌です!」
その時、メリスフェールの部屋から悲鳴のような声があがった。直後鈍い音とうめき声のようなものが聞こえる。
「メリスフェール!?」
主筋の娘の悲鳴を聞いて、スメドアが速度をあげた。戦場で鍛えているだけのこともあり、ミーシャはたちまち追い抜かれる。その勢いのままスメドアが部屋の扉を開いて中に飛び込んだ。
「メリスフェール、大丈夫!?」
ミーシャも続いて部屋へと飛び込んだ。
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