第5話 盗み聞き

 その日の夜。


 半日寝込んでいたこともあり、メリスフェールは大分回復し、ベッドの上で半身を起こしていた。


(お腹空いた……)


 薄いスープしか飲んでいないこともあって、空腹感が募る。部屋を見渡したが食べられそうなものは何もない。


(下の食堂に行けば、何かあるかな……)


 メリスフェールは身を起こして、ローブを羽織って食堂へ向かう。


 廊下を歩いていると、ミーシャの私室から光が洩れていた。話し声が聞こえてくるところを見ると誰か来ているらしい。


(総主教様、夜にも誰かと話をしているなんて忙しいのね)


 と気楽に考え、特に関心もなく通り過ぎようとしたところで、ある単語に反応する。


(うん、今、レファールって言わなかった?)


 メリスフェールは扉の近くに静かに近づき、聞き耳を立てる。



 中から聞こえてくる声は、ミーシャにネイド、更にはルベンス・ネオーペがいた。


(ネオーペ枢機卿も来ていたんだ)


 しかし、花嫁コンテストにはネオーペの縁者らしいものは出ていなかった。一体何をしに来たのだろうか。


「それは無理でしょ」


 ミーシャが呆れたような声を出していた。


「無理ではないだろう。おまえの妹として来るものが婚約をするわけだ。同じタイミングで姉が婚約を発表したとしても何ら不思議はない」


 と語っているのはネイドである。


(妹は私のことよね。ということは、総主教も婚約?)


「あのさ……、私は総主教なのよ。総主教が結婚なんてするものではないでしょ?」


「しかし、過去を紐解けば妻子をもった総主教も若干名ですがおります。男女に差はないですし、総主教が夫をもつことも許されないわけではありません」


「そうだ。総主教にしてもユマド神に全てを捧げた敬虔な娘というわけでもなかろう」


 ネイドの言葉に、ミーシャが「それはそうだけどね」と溜息をついた。


「だけどレファールの同意もないのに、いきなり発表したら大変なことになるんじゃないかしら?」


「そこは神託があったということにすればいい」


「……風邪の子供を治して聖女で、神託で結婚……都合のいい話よね」


「今が好機なのだ。この機を逃さず、レファールの囲い込みをしなければ」


「そうです。何故かサリュフネーテとの婚約を発表していない、今のうちに動くしかありません。このままではこの国がシェラビーに飲み込まれるのは時間の問題です」


 ルベンスが熱い口調で語った。



 メリスフェールは唖然とした顔で聞いていた。


(総主教と、レファールが婚約……!? 姉さんはどうなるのよ?)


 と、このままここにいると外に出てきた三人に見つかる可能性があると考え、すぐに部屋へと戻ろうとし、思わず躓きそうになる。


(しまった!)


 床をつま先で蹴る音が響いた。実際にはそれほどの音でもなかったが、メリスフェールには大聖堂全体に聞こえたのではないかというくらいの大きな音に感じる。


(……)


 幸いにして、中から何も反応はない。メリスフェールは冷静に、冷静にと自分に言い聞かせながら、部屋へと駆け戻る。空腹感はどこかに消え去っていた。



 翌朝、前日半日寝込んでいたこともあり、メリスフェールはかなり早い時間に目が覚める。


 改めて昨日の話を考えてみた。


(ネイド・サーディヤとルベンス・ネオーペの二人が、総主教とレファールを婚約させようとしている……。私が養女になって、義妹が婚約するとなる以上、総主教もという形で、しかも何かしらの神託を持ってくる)


 自分が聖女になるらしい経緯を考えると、神託も茶番であることは分かっている。しかし、レファールが同じ感想を抱くかどうかは分からない。


(ナイヴァルのことに詳しくないレファールなら、そういうものだと受け入れてしまうかもしれない)


 あってはならないことだとばかり、首を左右に振る。


 そこに扉がノックされた。


「おっはよー」


 軽い口調でミーシャが入ってきた。


「お、大分良くなったみたいね。良かったわ。パンを持ってきたわよ。お腹空いているでしょ?」


「あ、ありがとうございます」


 メリスフェールは素直に手を出して、パンを受け取る。昨夜一気に消え失せた食欲も、食べ物を目にすると再び首を持ち上げてくる。


「本当はきちんと座って、と言いたいところだけど、治りかけとはいえ病人だし、そこで食べてもいいわよ。はい、お茶」


 ミーシャが上機嫌に勧めてくるお茶も受取り、一息に飲む。


「ところでメリスフェール」


「はい。何でしょう?」


「昨夜、私と父さん達の話、こっそり聞いていたでしょ?」


「えっ……」


 唐突に問われて、メリスフェールの目が点になった。一瞬、否定しないといけないと思ったが、すぐに考え直す。


「はい。聞くつもりでいたわけではないですが、食堂に向かう途中に」


「どう思う?」


「他の人がどう思うかは分かりません。だけど、私は反対です。姉さんが可哀相です」


「そうね。確かに」


「総主教は婚約するつもりなのですか?」


「二人の心配は分かるのよ。シェラビーはこの一年で更に強くなっているし、しかも、貴女のお母さんの施設を外交的に使いだしたこともあるのよね」


「お母さんの施設? エルミーズのことですか?」


「フェルディスとの間で、捕虜の女性を保護してもらうような話を決めたらしいのよね」


「フェルディス?」


「そう。リヒラテラの戦いで多少関係が悪化したとはいえ、ナイヴァルは基本的にはホスフェと協調路線を歩んできていたわけで、それを覆しかねない行為なのよ。しかも、これを主導したのがレファールとなると……」


「レファールが?」


 メリスフェールは驚いた。レファールがフェルディスに行っているということは聞いたことがなかったからである。


「そう。こうなると、レファールをシェラビーから離さなければいけない、となってくるのよね。この上サリュフネーテと結婚したらもう誰も止められなくなるわ」


「総主教、一つ聞いてもいいですか?」


「いいわよ」


「今回の件、コルネー王妃選定は”ついで”で、本当の目的はそれにかこつけて総主教とレファールが婚約することだったのですね?」


「ルベンスにとってはね。父さんは最初はそうじゃなかったとは思うけれど。私も二人がそう目論んでいたと知ったのは二日前だけどね。ネオーペがバシアンにいるとは思わなかったからびっくりしたわ」


「でも、ネイド・サーディヤがルベンス・ネオーペと組んでいるのは何故なのでしょう?」


 意図は分かったが、それはミーシャとネイドが協力すればできることである。ルベンス・ネオーペを引き込む必要はないのではないか。


「発案者がルベンス・ネオーペだからね。いや、正確には彼の軍師なのかな」


 ミーシャは「だから仕方ないのよ」とばかりに肩をすくめた。

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