第4話 聖女への道

 その夜。


 大聖堂の食堂でミーシャとメリスフェールが卓を挟んでいた。


「優勝、おめでとう」


 ミーシャがそう言って、自ら茶葉を取り出す。


「これはね、たった一袋しかない秘蔵のお茶なのよ。まあ、貴女が妹になる祝いかしら」


「ありがとうございます。でも、出来レースですよね……」


 メリスフェールも化粧を落として、あどけない顔に照れ笑いを浮かべている。


「出来レースではあるけれど、コルネー王妃を決めるための勝負で、当のコルネー王が一番望む立場になったんだから、当然といえば当然じゃない? どう、次期コルネー王妃に決まった気分は?」


「正直、何もありません……。本当なのかなって」


「そうよねぇ。私の場合も、生まれながらにそういう立場ではあったのだけれど、いざ貴女が総主教ですとか言われた時には『何なの、それ。美味しいの?』とか思ったわ」


 ミーシャは自分のグラスにはワインを注いで、メリスフェールのグラスと合わせる。


「私も、そちらの方が……」


「何を言っているのよ。子供はダメよ」


「……ぶー」


 メリスフェールが頬を膨らませて抗議する。その仕草は完全に12歳の子供のもので数時間前に場を圧倒していた神秘的な美女と同一人物とはとても思えない。


「明日は父さんのところに行って養女の縁組について話をしてきてちょうだい」


「はい。何か大変なことがあるのでしょうか?」


「多分、書類を作ってそれで終わりだと思うけど……」


 自分とは無縁なことであったので、何をするのかということはよく分からない。とはいえ、スメドアもいることだし、変なことはしないであろう。


「あ、そういえば何かしら聖女認定もするんだったっけ?」


「聖女ですか?」


「そう。その方がコルネーに対して箔がつくでしょ」


「でも、私は何もしていないのですが」


「何もしていなくとも総主教になっている女もここにいるんだから、深く考える必要はないわよ」


「そういうものですか」


「そういうものよ。ま、堅い話はこれくらいにして、食事の後は久しぶりにカードでもしましょうか。少しは強くなったかしら?」


 ミーシャの言葉に、メリスフェールが「もちろんです!」と強気な笑みを浮かべた。



 翌朝、メリスフェールは起床すると、スメドアの迎えを受けてミーシャの指示通りにネイドの屋敷へと向かった。


「はふ……」


 欠伸をしていると、スメドアがけげんな顔をする。


「寝不足か?」


「昨晩、総主教様とカードゲームをしていて……。あの人狡いのよ。神の代理人のくせしてイカサマしてくるんだから」


「……そうなのか」


「そうなのよ。スメドア様も気を付けた方がいいわよ。そういえばシェラビー様はいつ来るの?」


「多分二日後だろう。エルミーズに回ってから来るらしいからな」


「あ、そうか。お母さんと姉さんはいないのか。シェラビー様だけ来ても面白くないなぁ……」


「そういうことを言われると、兄が悲しむぞ」


「どうして?」


「年寄り扱いされていると思われるから」


「それは私から見たら年寄りじゃない。シェラビー様をお兄さんと見るのは無理があるわ」


 12歳と30歳。


 親子と言っても言い過ぎではない年齢差が厳然と横たわっている。



 ネイドの屋敷に赴き、しばらく待っているとネイドだけでなくクンファも現れた。二人とも正装はしているが、顔に赤みが差しており、微かに酒の臭いが漂っている。昨晩、二人で相当に酒を飲んでいたらしい。


(総主教様もそうだけど、みんな飲みすぎなんじゃないの?)


「メリスフェール・ファーロット殿。改めて、貴女が花嫁候補として選ばれたことに祝福の意を表します」


 クンファに言われて、メリスフェールは困惑しながら礼を言うが。


(選ばれたって、あんたがものすごく押して選ばれたわけだし、祝福も何もあるのかしら……)


 どこか腑に落ちない思いを抱く。


「それでメリスフェール嬢」


 今度はネイドに呼びかけられ、「はい」と応じる。


「養女になる手続自体は、単純なものですので、三日後に大聖堂に来ていただければその場で簡単に行えます。ただ、もう一つやっていただきたいこととして、医療院に行っていただけないでしょうか?」


「医療院?」


「はい。そこに難病の子供達が何人かいますので、助けていただきたい」


 何気ない言葉に、メリスフェールが「えっ」と驚く。


「助けるって言われましても、私にはそんな知識も能力もないのですが……?」


「ああ、大丈夫です。貴女にも助けられる人達ですから。場所は家の者に案内させます」


「は、はあ……」


 さっぱり分からないが、ひとまずメリスフェールは家の者についていき、医療院へと向かった。



 生命や病気などについては全てユマド神の思し召し……


 というのが、ナイヴァルの建前ではあるが、もちろん何らの医療行為も施さないというものではない。バシアン市内には医療院と呼ばれる治療を行う施設が存在している。


 とはいえ、基本的にはユマド神の恩寵であるので。


「神に祈りましょう」


 治療というよりは、祈祷のような行為ばかりが行われている。


(これで治ったら苦労しないわね……)


 中に入って、呆れた様子で祈祷の様子を眺めていると、修道女が数人の子供を連れてきた。全員メリスフェールよりかなり年下である。おそらく最年長でも八、九歳くらいであろう。


(うん? みんな元気そうじゃない)


 祈祷を行われている患者と比べると、目の前に連れられた子供達は元気そのものである。


「メリスフェール様、この者達は揃って体調を崩しておりまして」


 言われてみれば、子供達は時々、咳をしている。完全に健康というわけではないらしい。


「風邪なんじゃないの? 美味しいスープ飲んで寝れば治るんじゃないかしら?」


 メリスフェールが真面目に答えると、後ろからゴツンと頭を叩かれる。


「痛い……あ、スメドア様」


「おまえな、そんな身もふたもないことを言ってどうする?」


「あ、あぁ……」


 メリスフェールはこれがある種の茶番であることを悟る。


(私が祈って、多分彼らが治るから、それをもって聖女にするということなの。うっわぁ)


 奇跡でも何でもないと思いながらも、やらないと帰れないことも明らかである。メリスフェールは不承不承、「貴方の病が治りますように」と一人一人に祈りを捧げる。


「ありがとうございました」


 修道女が頭を下げて子供達を連れて下がっていく。


「こんなので聖女になれるのなら、みんな聖女になれるんじゃないかしら」


「まあまあ」


「建物をもう少し綺麗にした方がいいんじゃない? 衛生状態を良くするというのは重要だって昔聞いたけれど」


「……そんな余裕がないのだろう?」


「コルネー王妃を選ぶ茶番は派手にやるのに? お母さんはこういう事態を知っているのかな。女性に限らず、こういうことをする人にもっとしっかりしたことを教えた方がいいのかも……」


「そうだな。そう思うなら、今後勉強すればいい。とりあえず今日は終わりだ。明日、彼らが治れば晴れて聖女様になれる」


「聖女様って随分安いのね……」


 自嘲するように言った。



 翌日、子供達が全員健康を取り戻したという報告をメリスフェールは大聖堂のベッドの中で聞いた。


「大丈夫? スメドアも寝込んでいるし二人とも見事に伝染されたみたいねぇ……」


 心配そうにミーシャが覗き込む。メリスフェールは二度ほど咳をして。


「……多分、明日になれば大丈夫だと思います。ケホ」


「子供達を助けるために、自ら病気を引き受ける世に稀に見る犠牲精神。この者こそ聖女にふさわしい。多分当初の予定以上に素晴らしい推薦文になるでしょうね……」


「……それより、医療院では口を布で覆うようにしてほしいです。ゴホ」


 メリスフェールは心の底からそう思った。

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