第8話 進軍

 リムアーノの秘書ファーナ・リバイストアはリムアーノより一つ下で22歳。年齢より少し上に感じさせるのは老けているのではなく、その知的な容姿故であろう。


 知的に見えるだけでなく、実際に聡明である。ニッキーウェイ侯爵家の書類作業の八割は彼女がやっているという評判である。ファーナがいるからこそ、リムアーノ・ニッキーウェイが最高責任者としての職責に集中できている。


「クリスは強いだけで美しくない。私は強くもなく美しくもない。賢いし美しいファーナは、女として羨ましい」


 ルヴィナの言葉に、ファーナが恐縮している。


「そ、そんなことはないですよ。ヴィルシュハーゼ伯爵の髪なんて天使のようなものじゃないですか」


「まあ、これだけはよく言われる」


 ルヴィナも髪に指をかけて、視線を向ける。


「それはそうと、私は何をすればよろしいのでしょうか?」


 ヴィルシュハーゼ隊は今、捕虜とした部隊を引き連れて前進していた。その後ろにホルカールとペルシュワカの部隊もついてきている。リムアーノは国境付近に撤退していた。


「これからイルーゼンの両部族と停戦する。その内容をきちんとしたものにしてほしい」


「……もちろん構いませんが、それはクリスティーヌ様でも?」


「クリスは賢いが育ちが悪い。喧嘩で片目をなくすくらい。だからきちんとした停戦協定が書けない」


「こら、ルー」


 睨むクリスティーヌを見て、ファーナが笑う。


「私も育ちは悪いですよ。最下層階級の出身ですから」


「驚いた。これは意外……」


 ルヴィナは心底驚いているようである。


 ミベルサ大陸においてホスフェ以外の国では貴族が存在しているが、フェルディスはそれ以外の人間にも階級があり、区別されている。


「最下層の人は兵卒はなれるが、将校にはなれないと聞いたことがあるが」


 セウレラの疑問にファーナも同意する。


「はい。私が男なら、リムアーノ様の横にいることは認められなかったでしょうね」


「……なるほど」


 セウレラも頷いた。やっていることはともかく、立場としてはリムアーノの情婦のような形なのであろう。


「実際にそういう関係はあるのかな?」


「おい、こら、爺さん」


 そういうことをずけずけと聞くのはいかがなものか。レファールが剣の鞘で頭を叩く。セウレラは不満そうに。


「全く、レファールは本当に固いのう……」


 セウレラの言葉に、ファーナが違う形で反応した。


「レファール? えっ、もしかして、ナイヴァルのレファール・セグメント将軍?」


「うん……?」


「爺さん、あんた、性懲りもなくまたやってしまったわね……」


 クリスティーヌが怒りを通り越して呆れたような顔をしていた。


「この爺さんを連れてナイヴァルに戻る予定で、思い切り不法入国したということで、しばらく預かっていたのよ。帰すつもりではあるのだけど、今回の一件を知ってしまったものなので、戦闘が終わるまでは連れてきているというわけ。ヴィルシュハーゼの戦力にしたわけではないから……」


 ファーナに頭を下げる。


「あまり公には、しないでいただきたく……」


 そうでなくても警戒されているヴィルシュハーゼ家である。仮にこっそりレファール・セグメントやセウレラ・カムナノッシを引き連れていることが知られれば、更にいらない憶測を呼びかねない。


「……私の立場的にリムアーノ様にはお伝えするしかないのですが、そこから先には広まらないようにはお約束をいたします」


「ハッハッハ、娘、大分この隊の雰囲気になじんできたようだの。わしのボケも無駄ではなかったわ」


 セウレラが愉快そうに笑い、レファールとクリスティーヌが険しい視線を向ける。「だからといって、わざわざ教えなくていいことまで教えることはないだろう」、「ないわよね」と文句を言いながら。




 二日もすると、クリスティーヌとファーナはすっかり意気投合してしまっており、部隊の先頭に立って色々な話をしている。そこに時折ルヴィナが入るが、元々口数が多くはないので、クリスティーヌと話す時とそう変わるわけではない。


 レファール達はスーテル・ヴィルシュハーゼと並んで二列目あたりにいた。「ルヴィナの父がアクバル、祖父がジャハーン、曾祖父ファユーンの弟が私だ」という自己紹介に最初は驚いたものの。


「伯爵なのでな、庶子なんていくらでもある。兄ファユーンと私は50も離れているから、その曽孫との歳の差もこのくらいなのだ。アクバルよりも若いからな」


「自分がヴィルシュハーゼの総帥だったら、みたいなことは考えないんですか?」


「おお、随分大胆なことを聞いてくるな。私はどちらかというと自分が強いことにこだわりがあるからな。あの子のようなことはできんよ」


「なるほど……」


 ルヴィナがレビェーデに対して評していたことを思い出す。


(レビェーデとは完全に違うから、自分と同じことをしても勝てないと言っていたな)


「ただまあ、あの子がアクバルの娘で良かったと思うよ。あの性格で、他のところの子だったら、何もできなかったのではないかと思うからな」


「ああ、確かに……」


 音楽にしても、部隊の作り方にしても、彼女が伯爵の娘だからこそできたことである。仮にファーナと立場が逆だったとしたら、ファーナは伯爵の娘の役割を多少出来ただろうが、ルヴィナにはファーナのようなことはほとんどできなかったに違いない。



 前方に視線を移すと、ファーナがクリスティーヌにこれから先のことについて話をしていた。


「さっきも言いましたけれど、私は最下層出身ですので、それこそ子供の頃は奴隷同然のような状態でしたし、成長した後どんな扱いをされても文句を言えないような状態でした。幸運にもリムアーノ様に拾っていただけて、今にいたるわけですが……」


 憂鬱そうな表情を前に向ける。これからカナージュに連れられ、商品のように扱われるかもしれないアタマナのことを考えているのであろう。


「何とかできるのなら何とかしてあげたいわけだけどねぇ」


 クリスティーヌが後ろの方を向いた。本隊に引き連れられている降伏した面々の顔も一様に不安そうなものである。


「リムアーノ様も同じことを言われていましたね」


 ファーナがルヴィナをチラリと見た。いつもの無表情に近い顔で、手短に話をする。


「……みんなが望むかは分からない。でも、相手に話すことは決めている」


「どのようなお話でしょうか?」


「それは言えない。これは総大将の専権事項。不必要に共有はしない」


 クリスティーヌもファーナも、ルヴィナのしっかりとした口調にうつむいた。どちらかもなく、後ろからついてくるイルーゼン兵の方に視線を向ける。


 最悪の場合、彼らと再戦することになるのだろうか。そう考えているのであろう。


 レファールにとっても他人事ではない。


 重々しい雰囲気の中、軍は更に進んで行った。

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