第7話 戦闘

 2月6日、フェルディス軍の視界の先にこちらに向かってくる集団の姿が見えてきた。


「イルーゼン軍ね。間違いないわ」


 クリスティーヌが唯一見える片目に望遠鏡を当てて確認している。


「それでは、伯爵。手はず通りに」


「……分かった」


 ルヴィナが前に進み出た。敵軍は警戒したのか、様子見をしようとしているのか、進軍を停止した。その軍に向かってルヴィナは大声をはりあげる。


「私はフェルディス軍総大将のルヴィナ・ヴィルシュハーゼである! 私に歯向かおうとするイルーゼンの愚か者共よ、今ならまだ遅くない、私達に降伏せよ!」


 少し後ろで聞いているレファールが驚く。


「あんな大きな声が出るんですね……」


 ボソボソと小声で喋っている姿しか見たことがないので、1キロ先でも届くのでないかというような大声は驚きであった。


「ルヴィナって会話は下手だけど、唄はまあまあ行けるのよ」


 クリスティーヌの声は、向こう側の怒りの声にかき消される。距離があるので向こうの声は聞こえないが、「何だ、あの女は?」、「生意気な奴め」というような怒声が混じっていた。直後には敵の先頭が直進してくる。


「愚か者め! わっ……?」


 敵軍に反応しようとしたルヴィナの馬が急に暴れだす。


「こら、暴れるな!」


 と叫ぶルヴィナを他所に馬は東へと暴走気味に走り出す。


「まずい! 追うわよ!」


 クリスティーヌが叫び、ヴィルシュハーゼ軍が暴れ馬に乗ったルヴィナの後を追う。そこに「逃がすな!」、「あの女を捕まえろ!」というイルーゼン軍の声が聞こえてくる。


「うまく行ったわね……」


 クリスティーヌが呆れたように笑った。


「馬の制御ミスっぽい動きに、痛い目に遭わされたことがあるのでね」


 ワー・シプラスの時を思い出し、レファールは苦笑した。




「始まりましたね」


 リムアーノの率いる部隊は戦場となる丘の南西側、少し離れたところに布陣していた。秘書のファーナ・リバイストアが帳簿などを抱えて様子を見ている。


「ああ、今回は本当に観戦だけで終わりそうだが」


 リムアーノは望遠鏡で様子を眺めながら答える。


「まあ、今回は戦いそのものというより、戦いが終わった後の方が大変かもしれないが、な」


「……アタマナをカナージュに連れていくことですね」


「そうだ。天下のフェルディス軍がやることか、とは思うが」


「彼女は従うのでしょうか?」


 ファーナの言葉にリムアーノはつまらなさそうに、「従うしかないだろう」と答える。


「例えば、この軍全体で反乱を起こしたとしても、カナージュの防衛軍に勝てるかという話だしな。内心はどうあろうと、従うしかないだろう」


「侯爵閣下はどうなのですか?」


 ファーナの言葉に目を見張った。


「ファーナ、おまえ、俺に皇帝の命令に歯向かってほしいと思っているのか?」


「い、いいえ。そのようなことは」


 そういう風に返答をされるとは思っていなかったのであろう。ファーナが心底慌てて否定する。


「……皇帝自身には大きな落ち度はないからな。未来は分からんが、今は無理だよ」


「はい」


「おお、もう終わりそうだな……」



 リムアーノの見ていた通り、勝敗が決するのに二時間もかからなかった。


 逃げたルヴィナを追いかけたイルーゼン軍は、相手が一人ということで完全に秩序を失ってしまい、丘のあたりまで縦長の隊列で追いかけていった。


 そこにホルカール隊、ペルシュワカ隊が丘の東西から出現し、振り返ったヴィルシュハーゼ隊も含めて三方から取り囲まれる。


「おまえ達に勝ち目はない。降伏を勧める」


 というルヴィナの呼びかけに、イルーゼン軍は「人さらい目的の連中に従えるかよ!」と抵抗したが。


「従わず全滅すれば、アタマナ姫をどうやって守る? 先に死ぬより、成り行きを見守って、そのうえで納得できないなら玉砕覚悟で抵抗することを勧める」


 このように再度呼びかけると、相手もトーンダウンする。歯向かいたくても完全に包囲されており、勝ち目がないことは明白ということもあり。


「分かった……。ひとまずついていくことにしよう」


「それが賢明。死んでも解決しない」


 満足そうに頷いて、ルヴィナはレファールに頭を下げる。


「将軍のおかげで非常にうまく行った。感謝する」


「いえいえ、伯爵の逃げ方が堂に入っていたから、相手が派手に騙されたのだと思います。ただ……」


 レファールが北西に視線を向けた。


「これから先のことについては、助言のしようがありません」


 ルヴィナに話して、セウレラの方を向いた。「爺さん、何かいい方法はないか?」という視線を向けるが、セウレラはお手あげだと言わんばかりに両手を開く。


「頼りにならないな……」


「馬鹿者が。そんなことまで解決できるなら、十年もナイヴァルを追放されておらぬわ」


 思わず出た文句に正論で返され、レファールは不貞腐れた顔をするだけであった。



 イルーゼン軍の武器を没収し、身柄を拘束する頃にはホルカール・ペルシュワカ両隊に加えてリムアーノ隊も合流をしていた。この間、四時間。戦闘行動にかかった時間のほぼ倍の時間が処理にかかっている。


 そうした報告を受けて記録をつけているファーナが、にこやかに顔をあげる。


「今回のホルカール様、ペルシュワカ様の活躍については大将軍にきちんとした形で報告したいと思います」


 両名が同時にガッツポーズをし、まずリムアーノに、次いでルヴィナに頭を下げる。


「伯爵のおかげで我々は名誉回復ができそうです。本当にありがとうございます」


「……気にすることはない。お互い助け合うのが大事」


「ヴィルシュハーゼ伯爵……あ、伯爵代理か。捕虜についてはどうする?」


 リムアーノの問いかけに。


「私が総大将。だから、私が管理する」


「承知した。自軍に組み込むのかな?」


 探るような問いかけを続けてくる。


「……彼らはイルーゼンの者達。ブネーまで連れて帰ってもお互いに苦労する。歯向かわないのなら帰す」


「ほう……」


 その言葉は予想していなかったようで、リムアーノの目が驚きで見開かれた。


「どうかされたか?」


「いや、てっきり連れ帰って兵として補充するつもりなのだろうと思っていたのだが、違うのかな?」


 再度念押しするように尋ねられるが、ルヴィナは再度頷いた。


「そんなことはしない。彼らも自分の部族・家族がある。心の無い者を戦わせることはできない」


「それはそうだが、この後のことを考えると部族・家族が我々に従ってくれるかどうかが不透明だと思うのだけれど、ね」


「……ニッキーウェイ候、一つ頼みがある」


「何だろうか?」


「副官殿をしばらく貸していただきたい」


 リムアーノが「うん?」と声をあげて、後ろにいるファーナを見た。ファーナも想像していなかったようで、けげんな顔をしている。


「当家には報告書などの作成がきちんとできる人間がいない」


「クリスティーヌ・オクセルがいるのでは?」


「クリスは私のサポート役。私は手間がかかる。クリスに報告書まで作っている時間はない」


「……どうする?」


 リムアーノは首を傾げながら、本人に確認する。ファーナもこういう状況で中々「嫌」とは言えないのであろう。明らかに気乗りしない様子ながらも、「異存はありません」と回答した。

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