第5話 好きなエピソード

 10日ほどをサーンチクラムで過ごし、ホルカールもやってきたことでフェルディス軍は出発した。


 セウレラによると、相手はアワング族とコンガマ族の部隊一万人ほどが集結しているらしい。フェルディス軍が三万五千であることを考えれば寡兵に過ぎるので近隣のハエイル族、クシー族にも支援を求め、四千人ほどの増援を得ることになっていた。これでもフェルディス軍の半分以下ではあるが。


「既に仕掛けは上々。安心してもらいたい」


 と余裕の様子である。


 計画の高さにかけてはここまでの様子を見ても確かであるので、レファールも信じることにしていたが。


「ちょっと爺さん!」


 叫びながらやってきたのはクリスティーヌ・オクセルである。セウレラを見ると眦を上げるが、睨まれた方は不思議そうな視線を返しているだけである。


「娘、どうした?」


「どうしたもこうしたもないわよ! ルーがブローブ将軍の娘であるとか、ニッキーウェイ侯爵と婚約中であるとか触れ回っているんですって!?」


「うむ。それが何か問題があるか?」


「安易にそういう噂を広めて、カナージュに伝わったらどうするつもりなのよ?」


「ふむ……」


 セウレラが顎に手をあてて思索する。


「今更考えるんじゃない! せめて了承くらいもらってからやってちょうだいよ!」


「クリス」


 クリスティーヌの怒鳴り声が聞こえたのであろう。ルヴィナが歩いてきた。


「あ、ルー、この爺さんが……」


「聞こえていた。何らかの噂を流さないと相手も信用しない。あらかじめ確認しなかったこちらが悪い。今からニッキーウェイ侯に伝えてきてほしい」


「えぇぇ? あたしが伝えるの!?」


「適任はクリスか曾祖叔父さん(スーテル)。今、ここにいるのはクリスだけ」


「……うおぉぉ、胃が、胃が痛い」


 クリスティーヌはお腹を抱えながらも、馬にまたがり、リムアーノの陣へと向かっていった。



 様子を見ていたレファールは苦笑するしかないが、ふとルヴィナと視線が合った。いつものように感情の薄い表情で近づいてくる。


「レファール将軍、頼みがある」


「はて、何でしょうか?」


「前線に向かう兵を率いてもらいたい」


 他愛無い様子で言われたので、「いいですよ」と答えそうになり、レファールは目を丸くして「えっ!?」と叫ぶ。


「私がヴィルシュハーゼの兵を?」


「私はこれまで負けたことがない。私達の兵も同じだ。だからうまく偽装退却ができるか不安がある。それができるのは」


「セルキーセ村で降伏……負けた経験のある私の方がいいと?」


 ルヴィナははっきりと頷く。何やら自分が負けた経験があることを馬鹿にされているような気もしてきたが、それ以上に。


「いや、しかし、私、フェルディスの軍属でもないのに指揮とっていいんですか?」


「問題ない。将軍は半年前に降伏したレビェーデ・ジェーナスとサラーヴィー・フォートラントに部隊を預けてフォクゼーレ軍に勝利を収めた。私はそのエピソードが好きだ。同じことをしたい」


「むっ……」


 自分の話を持ち出され、レファールは言葉に詰まる。


「それにリムアーノ達は、私の指揮を見たいと考えている。だから、それを逸らすためにも別人が指揮をとるのが望ましい」


「それをやって大負けしたらどうなるんです?」


「退却したら後は私が引き継ぐ。将軍には退却するまでだけをお願いしたい」


「……分かりました。しかし、まさか私のやり方がこんなところまで伝わっているとは」


「ある程度の経緯は調べれば伝わる。ミーツェン・スブロナのエピソードも好きだが、レファールの話も好きだ」


「それはどうも……」


 話を合わせるが、ミーツェン・スブロナのエピソードと言われても分からない。代わりにレビェーデの名前が出たので、彼の話題に触れる。


「そういえばレビェーデも伯爵に勝ちたいと訓練を頑張っていますよ」


「訓練?」


 ルヴィナがけげんな顔をした。


「彼が訓練などしても無駄。私に勝つには王にでもなるしかない」


「王? どこかの王になるということですか?」


「そう。彼と私が戦場で将軍として激突する。彼が私に勝てるはずがない」


「い、言い切るんですね」


 確かにそういう想像しかできないが、レビェーデのことをよく知り、頼ってきた身として断言されるのは悔しい部分もある。


「だが、レビェーデは私と違って個人として強い。彼が率いれば羊もまあまあの強さになる。私の部隊は簡単には補充が効かない。だから何十度も戦えば最終的には彼が勝つ。だから私に勝ちたいなら彼はいくらでも兵を動員できる立場になるしかない。目指す方向を間違えている」


「いや、レビェーデは一発勝負で伯爵に勝ちたいと言っているわけなので」


「獅子が鯱に勝ちたいなら陸で戦うべき。海の中で勝てるはずがない。勝ち方はいくらでもある。私の得意な方向でのみ考えるのは理解に苦しむ」


「……今度伝えておきます」


 ルヴィナの圧倒的な自信は崩れ無そうもないし、その自信を覆す手段もなさそうに思えた。



「爺さん、爺さん」


 ルヴィナと別れた後、レファールはセウレラを捕まえる。


「何だ? というより、そなた、私に対する敬意が薄れてきていないか?」


「え、そ、そうですかね……」


 レファールは誤魔化し笑いを浮かべた。


「それより、ヴィルシュハーゼ伯爵の言っていたミーツェン・スブロナの話って何なのか分かります?」


「何だ? 知らないのか?」


「私はコルネーで育っているんですよ。イルーゼンは遠いですし、名前は知っていますが、具体的に何をしたのかまでは情報がありませんでしたね」


「だったら教えてやろう。ミーツェン・スブロナはアレウト族の大黒柱というべき存在だが、九年くらい前か、アレウト族とフォクゼーレと険悪な関係になり、アレウト族にとっては受け入れられない要求をされたらしい。もしフォクゼーレに刃向かうと、長期に渡って戦闘が続く可能性がある。フォクゼーレのみならず周囲に親フォクゼーレの部族も多いからな」


「寒いと活動できないことを考えるとかなり不利ですね」


「寒いと活動できない?」


「あ、それはこちらの話ということで。それで?」


「ミーツェンはフォクゼーレや他の部族にこう告げた。『シルキフカルは総攻撃を受けたとしても二年間耐えられる。それまでにかかるフォクゼーレや諸部族の軍費は金貨二百万枚をくだらないだろう。それだけの金を我が部族のために使うつもりがあるのなら殺し合いに使うのは無意味である。私が有効活用するので、金貨二百万枚でシルキフカルを含めたアレウト族の領地を売ろう』と」


「領地を売る? 金貨二百万枚で?」


 驚いたものの、それが高いのか安いのかが分からない。


「当然誰も真に受けず、フォクゼーレはそのまま攻め込んだ。シルキフカルは二年どころか五年経ってもビクともしなかったし、フォクゼーレが費やした戦費は六百万枚分くらいになったらしい。もっとも、元々ミーツェンが二百万枚で売ってやると公言していたこともあり、それを越えたあたりから如実にやる気がなくなっていったらしいな。ズルズルと投じているだけの状態になってしまっている」


「……しかし、私も金貨十万枚という身代金つけられたことがありますが、自分達が住んでいるところを売るというのは無茶苦茶ですね」


「無茶苦茶ではなかろう。二年間は耐えられるといっても、それで受けるアレウト側の損失も少なくはない。それなら必要な分だけさっさと貰って、いかようにでも条件をつけて作り直すというのもありではないか? そうした自信と計算高さに関する話なのだ。まあ、こんな話を持ち出されてではそうですかと払う者もいないだろうがな。そういう意味では非常識な話とはいえる」


(この爺さんには言われたくないだろうなぁ……)


 と思いながらも、それを口にすることはなかった。

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