第2話 ミーシャとシェラビー

 バシアンの大聖堂。


 来訪者の名前を聞いたミーシャ・サーディヤが目を見開いた。


「シェラビーが来ているの?」


「はい。面会を求められていますが」


「……断る理由はないし、通すしかないでしょ。でも、何をしに来たのかしら?」


 ここしばらくナイヴァルは国内も国外も落ち着いている。国外の落ち着きにはコルネーとフォクゼーレが対立しているというのが最大の原因であるが。


 であるだけに、シェラビーが何をしたいのか、ミーシャには想像もつかない。


 しばらくすると、シェラビーが入ってきた。大聖堂に来るということで、枢機卿服と大きな四角い帽子を被っている。


「枢機卿、帽子を変えた方がいいんじゃないかしら?」


「……は? 帽子?」


 シェラビーもこの切り出し方は意外だったらしく、視線を上にあげるが、当然ながら自分の被っている帽子を見ることはできない。


「他の枢機卿はそうでもないのだけどね。貴方は長身だけど顔は小さいから、大きな枢機卿帽が変な形で目立っているように見えるのよね」


「……そういう指摘は初めてですな。検討しておきましょう」


「前置きはこのくらいで、何の用?」


「……レファールがイダリスを連れてきました」


「イダリス? イダリスって誰?」


「十七聖女事件で追放された大司教です」


「……またえらく古い話が出てきたわね」


 ミーシャが渋い顔となる。


「私もよく知らないのよ。言い訳というわけではないけれど、当時は完全に子供だったし、うるさい面々がいきなりいなくなった記憶しかないわ」


「実は私もよく分かりません。当時はまだ枢機卿として地歩を固めていた……と言えば聞こえはいいですが、実態はサンウマで遊んでいましたからな」


「枢機卿の無頼な話も気にはなるけれど、それなら何で気にするの? 知らないことが暴露されるのがまずいのかしら?」


「知らないことゆえに、予想外のことが起こりうるかもしれないという危惧はあります。あと、イダリスが戻ってくることで、ネオーペ枢機卿がセウレラ・カムナノッシの復帰を要請してくる可能性も」


「セウレラ?」


「当時、ネイド・サーディヤ枢機卿はじめ、ほとんどの者が警戒していたネオーペ枢機卿の懐刀です」


「ああ、それは貴方にとっては都合が悪そうね」


 シェラビーとルベンスは政略結婚を締結している間柄とはいえ、路線がかなり違うのでいつ争いを始めてもおかしくはない。幸い、シェラビーがレファールという優秀な片腕を確保して余裕を持てるようになったため大人しくなっているが、セウレラがルベンスの下に戻ってくるとその余裕がなくなる恐れがある。


「そういう側面もありますが、セウレラについて総主教にあれこれ言うつもりはありません。先ほども申しましたが、何分大昔の事件ですし、私も総主教も絡むところはないわけですが、明るみになることで不測の事態を招く可能性はありますので、資料などがあれば閲覧したい」


「貴方も意外と細かいことを気にするのね」


 嫌味っぽく言ってみたところ、シェラビーは冷笑を浮かべる。


「例えば、ネイド・サーディヤ枢機卿が絡んでいたとなると、総主教としてはどうなりますか? ご自分の母親の死に対して、父親が関与していたことになりますが」


「むむっ」


 ミーシャの顔がひきつる。


「……イダリスはそう言っておりました。ただ、裏付けるものがありませんのでこれを取り扱うつもりはありませんが」


「分かったわ。調査させておく」


 藪蛇という言葉もあるが、確かに今後事件のことを蒸し返す者が出てきた場合に、最低限の知識と準備がないと、思わぬ処置をせねばならなくなるかもしれない。ミーシャは資料を探索させることを認めた。



 シェラビーの要求を認めたので、これで終わりかと思ったが、まだ立ち上がる素振りを見せない。


「もう一つありまして」


「まだあるの?」


「ホスフェのことです。先だってのホスフェ・フェルディス間の戦い以降、オトゥケンイェルの面々を中心に反ナイヴァルの空気が広まっているという話を受けています」


「…それは聞いているけれど、どうすればいいわけ? まさかホスフェに圧力をかけるつもりなの?」


 それは賢明ではないと、ミーシャは思った。


 ホスフェとの関係はアクルクアとの交易の面で非常に重要である。ホスフェ沿岸の通行を認めないとなった場合、航行が難しいからだ。


「ホスフェ全体に圧力をかける真似はいたしません。ただ、沿岸の領主に対して便宜を図る必要はあると考えております。その点のご了承をいただきたく」


「それはあたしが了承しなくても、貴方の方でやるんじゃないの?」


 アクルクアとの交易についてミーシャは何も関与していない。シェラビーがサンウマで勝手にやっているのである。今更、ホスフェの沿岸対策のことを聞かれても困るという思いがあった。


「フグィはスメドアと友好的ですが、センギリは必ずしもそうでないので、私個人であるかということと総主教の承認もあるかということで選択肢が変わってきますので」


「そんなものなのね。でも、それを私が了承するメリットはあるの?」


「ありますとも。うまく行かなくなって、ホスフェとナイヴァルが戦端を切り開いた場合どうなりますか?」


「……選択の余地はないというわけね」


 ミーシャは溜息をついた。


 ホスフェとの関係が悪化した場合に、シェラビーが対コルネーでやったことを再度行うことは十分にありうる。いや、現時点でフォクゼーレとの関係が良くなっている以上、むしろそうした方がシェラビーにとっては得とも言える。ホスフェ軍がそれほどのものでもないということはリヒラテラで実証されてしまった。


(シェラビーのことだから、フェルディスと話をつけてホスフェを挟撃する可能性だってあるだろうしね……)


 一般的にはホスフェを巡り、ナイヴァルとフェルディスが対立しているという認識であるが、ナイヴァルとフェルディス自体は対立しているわけではない。むしろ、ホスフェを仲良く分配にかかるということだってありうる。


 しかし、この場合、得をするのはシェラビーだけであり、そこにレファールがシェラビー一味として絡みでもしたら、ますますシェラビーの勢力が突出することになる。それはミーシャにとっては望ましいことではない。


 もちろん、シェラビーが負けたら、それはそれでホスフェの敵意がナイヴァルに向けられることになるから、やはりミーシャには何の得もない。つまり、友好路線で行くということをミーシャとしては約束せざるをえないのである。



 結果として。


「あー、腹が立つ!」


 シェラビーに言われるがまま満額回答を与えて帰してしまい、ミーシャは八つ当たりで自らの椅子を蹴っ飛ばす。


「他の面々が動かないうちにシェラビーの一人勝ちになってしまうわ。父さんもルベンスも頼りにならないし……」


 と文句を言ったところで、一人の名前が頭に浮かぶ。


「……ちょっと、誰かいる!?」


 ミーシャは近侍の者を呼び出した。


「頼みたいことが二つあるわ。まずは十七聖女事件の資料を持って来なさい」


「十七聖女事件ですか?」


「そうよ。全部はないかもしれないけれど、全く何もないということはないでしょ?」


「分かりました」


「それはおおっぴらにやっていいわ。あと、もう一つ。こっちは隠密にやってちょうだい」


「何でしょうか?」


 けげんな顔をする従者に、ミーシャは声を落とした。


「セウレラ・カムナノッシの消息を探してちょうだい。もし、連れてこられるようならバシアンに連れてきてほしいの」

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