第10話 ワー・シプラス④

 ジュスト・ヴァンランの率いる騎兵達は、馬が足下を気にして走っているうちに、どこを進んでいるのか分からなくなってきた。


 気づくと、北と南が逆になっていることは、太陽の方向から分かってきた。


「俺達だけで南に進んでコルネーに行ってもどうしようもない。戻らなければ」


 そう指示を出すものの、どこにいるのかが分からない。とにかく北に向かうしかなかった。幸いなことに足下の様子は大分マシになっていて、馬達も気分よく走っている。


 進んでいるうちに喧噪が前から聞こえてきた。


 更に進んでいるうちに、それがどうやら戦闘の音であることに気づく。


「あれは…」


 目の前にコルネー軍の旗を掲げた大きな部隊が見えてきた。とはいっても、相手の背中しか見えない。どうやら、戦場を大きく迂回して、相手の背後から接近してしまったらしいことに気づいた。前方の部隊がどこの部隊かは分からないが、最初に戦場離脱をしてしまった埋め合わせをするには好機である。


 ジュストは周りの者と顔を見合わせる。全員が力強く頷いた。


 およそ500メートルの距離まで近づくと、全員馬を降りた。元々不良馬ばかりであり、それが戦場を遥か走り回っていたのである。単純に体力の限界であることを乗っている側は理解していた。この状態で敵陣に突っ込ませても、馬も乗り手も負傷するかもしれない。それならば降りて戦った方がいい。


 それぞれが武器を抜く。


「よし、行くぞ!」


 ジュストの力強い声が相手にも届く。振り向いた敵が一様に仰天していた。いつの間に背後に回られたのか。一体どこの部隊なのか。驚愕した顔がそう物語っていた。



 ジュストの騎兵隊は、フォクゼーレ軍の中では例外的に練度の高い面々が揃っている。


 また、ここに来るまでの間、不良馬とともにそれぞれが知恵を振り絞りたどりついてきた経験をしていた。フォクゼーレの他の部隊にはない、助け合うという精神、利他的な精神が培われていた。また、戦場を離脱してしまった負い目もあるので非常に士気が高い。


 この部隊が、コルネー国王アダワル・コルネート率いる二万の部隊の背後から襲い掛かったのである。


 数の差は大きい。しかし、勢いはそれを逆転するに余りあるものであった。ワー・シプラスの緩斜面がジュスト隊に勢いをつけている。


 しかも、馬から降りたことにより、振り返る兵士達にはジュスト達の歩兵隊に、更に騎兵隊までついているような錯覚をも与えてしまったのである。




「陛下、陛下! 大変でございます! 背後から敵襲が!」


 程なく、アダワルのところに近衛兵が駆け込んできた。


「何だと?」


 全く予想していなかったことであり、アダワルの思考が完全に止まる。皮肉な事に後方に下がっていたために、背後から攻撃を受けた時、より危険が近い状況となった。


「敵はものすごい勢いでございます。このままでは…!」


 従者の言葉にアダワルも逃げる方が賢いという思いが先だった。


「よし、馬を持ってこい!」


 逃げることは確定した。


 しかし、何処に?



 ジュストの部隊からも馬に乗って逃げようとする豪華な鎧を来た人物がいる様子は見えていた。


「誰かは知らないが…」


 兵団長の一人アエリム・コーションが投げ槍を取り出し、相手めがけて投げつける。練習中でも比類なき距離を誇っていた右腕からの手槍が鋭い弾道を描いて相手を目指す。


 相手は逃げることに専念していたようで、槍には全く気づいていない。高く上がった放物線に従い、槍が落下していく。


「あっ!」


 と誰かが叫ぶ間もなく、槍は正確に相手の背中の右側に突き刺さった。


「陛下!」


 という声が向こうの方から聞こえてきた。


(…陛下?)


 ジュストはその時、自分達が強襲した相手の正体に気づいた。


 敵国の国王アダワル・コルネートであることに。



「陛下!」


 呼びかける従者にアダワル・コルネートは血を吐くのみで返事を返せない。


「大変だ! 陛下が、陛下が!」


 助けを叫ぶが、前と後ろに敵を抱えた状態である。満足な反応はかえってこない。そうこうしているうちにアダワルの痙攣が弱くなってくる。


「陛下! しっかりしてくだされ!」




 隣で戦っていたエルシス・レマールの視界の端に乱れて動く友軍の姿が映った。


 何があったのか。振り向いたエルシスは後ろから攻撃を受けているアダワル隊の姿を確認して仰天した。


「おい、後方にいる連中、陛下を助けに行くぞ!」


 エルシスはすぐに後方で待機していた部隊をまとめて左側へと動きを開始する。



「これはまずい」


 ジュストも別の隊が自分達をターゲットとするべく動き始めている様子に気づいた。


 相手の総大将・国王アダワルの状況ははっきりと確認できないが、重傷を負わせたことは間違いない。これ以上攻撃にかまけていると、逆に自分達が逃げることができなくなる可能性がある。


「引き上げるぞ!」


 ジュストは戦闘離脱を決意し、部隊に呼びかけた。素早く反応して、全員臨戦態勢を維持したままに後退していく。


 ジュスト隊は無我夢中で敵陣に食い込んでいたが、どうやら三百メートルほど切り込んでいたらしく、待機している馬との距離もその程度あった。


 相手の攻撃にも警戒していたが、どうやら国王の状況が芳しくないらしく、そうした余裕はないらしい。敵からの妨害のないまま馬のところに後退をし、そのまま馬に乗る。


「全員動けるか?」


 との確認に、一斉に「いつでも行けます」という声があがる。


「ならば、敵を迂回して本陣の方に戻るぞ。多少お叱りはあるかもしれないが、何とかなるだろう」


 ジュスト隊はまたも戦場を迂回する形で動く。他の部隊を攻撃する余裕はない。そう判断してのことであった。



 騎兵隊が逃げ出したのを見て、エルシスは追撃しようとしたが、いかに不良馬が多いとはいえ馬と人間の足では差にならない。


 エルシスは舌打ちをしたが、その時に国王隊の異変に気付く。


「…どうしたというのだ? まさか…」


 その瞬間、兵士達が左右に開いた。その奥に豪華な赤いマントを羽織った男が横になっており、全く動かない。


「…冗談だよな」


 エルシスの言葉に近衛隊の数人が目を伏せた。「これならむしろ最前線にいた方が良かった…」というような嗚咽の声が聞こえてくる。


 確かにそうだったかもしれない。エルシスは思った。最前線に国王が出るのを良しとすることはとてもできないが、結果的にはアダワルが後方に控えてしまったため、真後ろからの奇襲でやられてしまったのであるから。


 その瞬間、西の方から歓声があがったのが聞こえた。遠くの方で、フォクゼーレ軍が総崩れとなり、レファールとグラエン隊が追撃を開始した様子が見えてきた。




 ビルライフ隊は撤退しようとする味方に対しては激しく攻撃していたものの、いざ自分達が攻撃を受けると驚くくらいに脆く、一時間もしないうちに潰走する羽目になった。レナイト・コフレの騎兵隊はしばらく追撃をし、それにより更に大きな被害を与えることに成功したが、ビルライフ・デカイトを捕らえることはかなわなかった。



 ワー・シプラスの戦闘自体はコルネーの圧勝という形で終わった。


 しかし、コルネーの側には国王の戦死という痛い代償が待っていた。



最終戦況図

https://kakuyomu.jp/users/kawanohate/news/16816927862094262141

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