第8話 ワー・シプラス②
「いくら何でも早すぎるでしょ!」
クレーベト・イルコーゼが苛立ちを隠さずに叫んだ。
勝つとは思っていないが、いくら何でも早すぎる。
「ジュストの役立たずめ…」
怒りの矛先は始まるや否や戦線離脱してしまったジュストの騎兵隊に向けられる。数日前、「あんな奴ら全滅してしまえばいいのに」と言っていたことはすっかり記憶の彼方に消え去っていた。
十分ほどでレファール隊の攻撃も受けるようになってしまった。こうなってしまうともう対抗しようもない。
「このあたりが潮時ね。下がるわよ!」
戦闘開始から三十分もしないうちに右翼は壊滅状態ともいうべき状態に陥っていた。
この状態に待ったをかけたのは、最後尾にいたビルライフ・デカイトであった。
「何やってんだよ!」
戦闘が始まるや否や大混乱となった右翼の部隊に、単純に激怒した。そして、わがまま放題に育った性格そのままの対応をとった。
「下がった奴らを撃ち殺せ!」
「…えっ? 味方を、ですか?」
「全く戦おうとしない味方など、敵より質が悪いわ! 手柄にしてしまえ!」
「手柄? えっ、味方を討って…手柄?」
近衛部隊は一瞬混乱したが、単純に「手柄」という言葉の魔力は効いた。目の前の潰走している味方を討ち取っても手柄として恩賞が出るのだ。元々今回の兵士は生活苦の人間が多い。目の前に突如ぶら下がった人参に躍起になった。
「討ち取れ!」
ビルライフ隊は逃げてきたダイコラ、クレーベト隊に猛然と攻撃を始めた。
「味方を攻撃するって何のつもりよ!?」
クレーベトが愕然となる。しかし、遠くから「逃げる味方は片っ端から撃ち倒せ!」という声が聞こえてくるに及び、今回総大将として掲げた人物の非人間ぶりを理解する。
「…畜生。あのボンボン、戦場に来る前に殺しておくべきだったわ」
聞かれれば問答無用で処刑されそうな言葉を口にし、次いで後ろを確認する。グラエン隊が追撃で若干隊列が乱れていた。逆襲をするにはチャンスでもある。
「背後の味方は狂っている! コルネー軍に立ち向かえ!」
ほぼ同じタイミングでダイコラ隊も反転した。味方に討ち取られるよりは、敵に討ち取られる方がまだマシだという論理で、ヤケクソ気味の反撃に出たのである。
「うわっ! まさか反転してくるとは」
グラエンは相手が突然反転してきたことに動転した。ただ動転しただけで被害自体は少ないが、追撃に意識が向いてしまい、若干隊列が乱れたことで出さなくていい被害が出てしまったことは事実である。
「…くっそ、レファールの奴は落ち着いてやがるな」
隣のレファール隊に視線を移すと、追撃はしていたが隊列の乱れはない。そのため、ダイコラ隊の反転にも冷静に対処していた。
「相手もヤケッパチで我武者羅に来ているから、すぐにバテるだろう。慌てる必要はない」
視線を自軍の右側へと向けた。
国王アダワルとエルシスはゆっくりと前進しており、まだ接敵していない。
「…落ち着いて相手の疲れを待つか。後方のビルライフ隊からも視線を外さないようにしないとな」
「やればできるじゃねえかよ。しかし、それでもこっちが押されているじゃねえか」
ビルライフが戦況を把握して苛立たし気に地面をけり上げる。
「騎兵はどこに行ったんだ!?」
「逃げていったようですね…」
「役立たずめ。戻ってきたら全員処刑してやる。ダイコラもクレーベトも全く役に立たないじゃねえか。何でこうも役立たずしかいないのだ」
「…そもそも、誰が有能なのかあまり分かりませんので」
副官についている男がおずおずと申し出た。
「だったら試験でもすればいいんだろうが! 使えない奴はみんな斬っちまえ! 畜生、親父も親父だ。天主なんて持ち上げられていて、部下のことを全く見てやがらねぇ。俺が取って代わった方がいいんじゃねえか」
ビルライフはイライラを隠すこともなく当たり散らす。
「とにかく、下がる味方はどんどん討ってしまえ!」
ひとまず、その矛先を逃げる味方にぶつけることにした。
「フォクゼーレの連中は本当に理解しがたいことをするな…」
同士討ちを始めた相手を見て、レファールが呆れたようにつぶやいた。しかし、それで相手側に一本筋が入ったのも事実である。元々、無駄にいた人数を共食いすることで少ししゃきっとした。レファールにはそんな風に映った。
「相手は味方から討たれるのを恐れて死に物狂いになっている。ここは無理して立ち向かうことはない。一回、相手の鋭意をくじいて、疲れた頃を見計らって反撃すればいい。味方の右側は遅れているわけだしな」
そう言って、レファールは指示を出す。
「落ち着いて百メートルほど後退するぞ」
「分かりました」
レファールの指示に部隊は落ち着いて下がり始めた。
グラエンの部隊も下がり、一回戦線は膠着する。
ただし、レファールとグラエンの部隊は余裕をもって戦っているのに対して、フォクゼーレ軍は無理を押しての戦いが続いている。時間の経過とともにコルネー側に天秤が傾いていくことは火を見るよりも明らかであった。
また、右翼側も意気盛んなコルネー軍に対して、フォクゼーレ軍はこちらもまたビルライフが無理矢理動かしているから戦っているようなところがある。
また、当のビルライフもそのことを理解していた。
「右も左も役立たずばかりじゃねえかよ。真面目に戦う気があったのか、後で徹底的に調べねえと」
「……」
「おい、おまえ。何か知っているそぶりの顔をしたな」
副官の一人をビルライフが呼び止めた。
「い、いえ…」
「分かった。最前線に行ってこい」
剣を抜いて追い立てようとしたところ、副官は慌てて頭を横に振った。
「…実は……」
「…なるほど。そういうことか。道理で弱すぎると思った。親父の野郎、陰険な手を使ってくれるじゃねえか」
そう言って、敵の方に視線を移す。
「役立たずばかりしかいないっていうことは、勝てないということだな。そいつは仕方ない。ただ、だから逃げたいと言っても相手が『はい。そうですか』というわけにもいかないだろう。何とかしたいところだが、何か手はねえのか?」
「に、逃げるだけなら今すぐに逃げればいいのでは?」
副官自身、今すぐに逃げたいというような顔をしていた。
「それじゃダメだ。負けた責任を取らされてしまう」
一人だけ逃げ帰っても、捕まって処刑されてしまうのがオチである。全軍は無理にしても、少なくとも二万程度の兵を連れ帰る必要があるが、それを支える物資もない。物資を持っているのはコルネー軍ということになるが、これだけ戦況が不利になってしまうと奪うことも難しい。
「…無理か。コルネーの靴を舐めて復讐の機会を狙うしかないか…」
忌々しい。そう言わんばかりにビルライフは舌打ちをした。
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