第7話 ワー・シプラス①

 8月30日、2日続いた雨も上がり、フォクゼーレ軍も戦場近くにたどり着いた。


「お~、向こうにコルネー軍がいるねぇ」


 ジュストの目にも、コンパクトにまとまったコルネー軍の陣容が見えてくる。フォクゼーレ軍6万9000に対して、コルネー軍はその半分に少し足りないくらいか。


 もっとも、倍以上の数の差があるとはいえ、勝てる見込みはほとんどないことは将官以上のほぼ全員が知っていることであったが。


「しかし、足下が酷いな」


 便宜的に副将に任命したカイン・クリスタンバルが渋い顔をする。彼の言を待つまでもなく戦場となる場所は相当足場が悪く、水たまりが浮いている箇所も少なくない。元々足下に不安のある馬も多い。まともに走れるのか不安になった。




 北に布陣するフォクゼーレ軍は、ビルライフ天太子が三万近い本隊を指揮しており、その前にクレーベト・イルコーゼ、モズティン・ダイコラ、ヨッシ・ボークオ、トミー・ヤザミの四人が歩兵九千ずつを指揮していた。最右翼と最左翼にジュスト・ヴァンランとルンク・ガロータが騎兵千五百ずつを指揮していた。




 南に布陣するコルネー軍は、両翼にレナイト・コフレ、カラヌ・ビエが騎兵隊二千ずつを指揮しており、向かって左からレファール・セグメント、グラエン・ランコーン、アダワル・コルネート、エルシス・レマールという並びとなっている。国王アダワルは八千、残りは七千ずつの歩兵を指揮していた。


 数ではフォクゼーレが圧倒しているが、練度その他においてはコルネーが明らかに上である。


布陣図その①

https://kakuyomu.jp/users/kawanohate/news/16816927862017664270


 30日の朝に対峙した両軍は、それぞれ正面の敵を見据える。


 そんな中、国王アダワルが陣で叫んでいた。


「者共、この戦いに勝利するぞ!」


 特に凝った演説でもないが、国王自らの鼓舞ということで兵士達の意気は上がる。


「我々も続くぞ!」


 グラエンとエルシスが続き、レファールも鼓舞をかける。コルネー軍の意気が大いにあがるが、それが意外な形で反応した。



「うわ! こら、落ち着け!」


 ジュスト隊の副将カインの乗馬が眼前のコルネー軍の鼓舞の威圧感に怯えてしまい、遥か右の方に走り出してしまった。これを見た他の馬がそちらの方向に走るのかと勘違いして、指示を受けるまでもなく走り出す。


「こ、こら、待つのだ!」


 ジュストの馬もまた続いてしまっていた。何とか制御しようとするが、戦場となりそうな中央部分よりも西側の方が足場は良くなっている。当然ながら馬は走りやすい場所を走るから、どんどん戦場から離れていくように走ってしまっていた。


 ワー・シプラスの戦いは、ジュスト率いる騎兵隊の暴走によって幕を開けたのである。



 更には横の騎馬隊が動き出したことで、ダイコラ隊も勝手に前進を始めた。


「こら、待たんか!」


 隊長のダイコラが叫ぶが、周りが動くと自分も動かなければいけないという意識が働くのだろう、兵士達は前進を止めることはない。


「話が違うではないか。我々が捨てるはずだったのに…」


 ダイコラが恨みがましく戦場を離脱していったジュスト隊に毒づく。


 しかも、ダイコラ隊の前進を見たクレーベト隊も勝手に前進を始めた。当然、「待ちなさい!」というクレーベトの命令はここでも無視されている。


 しかも。


「うわ、足下悪いな…」


 と、めいめいが足下の悪さを気にするあまり、真っすぐ歩くことがない。


 その結果として。



「何だ、あいつら?」


 と正面にいるレファールとグラエンが目を見張る。眼前の敵軍が前進をしてきているのであるが、どちらも右に行ったり左に行ったりと蛇行しているのであった。


「あいつら、まっすぐ前進も出来ないのか?」


 レファールは呆れたように前方に目をやり、すぐに後ろを見た。


「敵は水たまりが怖くて真っすぐ進めないらしい! 一気に打ち破るぞ!」


 部隊に命令を出し、急遽前進を開始した。



「あれ、レファールの奴、仕掛けが早いな…。まあ、あんな相手だとそうなるか」


 同じく前方の不甲斐ない敵を相手にどうしようかと考えていたグラエンも、レファールの行動を見て前進を決意した。


 それに伴い、レナイト・コフレ子爵率いる騎兵隊も動き出す。正面にいたジュストの騎兵隊が戦場を離脱してしまったので、必然、狙いは正面のダイコラ隊となる。



「ちょっと待て! 歩兵だけでもやばそうなのに、騎兵まで向かってくるのか!?」


 レファール隊のみならず、レナイトの騎兵隊からも狙われることになったダイコラは泡を食ったように叫び、慌てて隣のクレーベト隊に支援を要請するが、クレーベト隊も前進がままならないような状態であるから。


「救援なんかできるわけないでしょ! 自分で何とかしなさい!」


 と救援要請の使者が一喝されてしまう始末であった。


「何とかしろと言ってもだな…」


 目の前では自らの部隊が勝手に右と左、二手に分かれようとしていた。敵を包囲しようと二手に分かれているのではない。まっすぐ進めずに隊が左右に割れようとしているのである。


(仕方ない。右側の部隊は見捨てて左だけで何とか防衛をしよう)


 ダイコラはそう決心し、左側の部隊に移動して叫ぶ。


「お前達、前進は一旦止めて盾を構えろ!」


 大声を張り上げると、「おお!」と散発的な声があがり、これまた散発的に兵士達が盾を構える。あまりにバラバラなので、とてもではないが隊の防御は期待できそうにない。


「お前達、何をしているんだ! 盾を構えろ!」


 ダイコラが再度声を張り上げるが、盾を構えていない兵士達は困惑した様子で後ろの方に視線を移す。


(まさか重いから、置いてきたというのか!?)


 まっすぐ進まないうえに装備まで勝手に置いてくるというのは想定外であった。いくら逃げることが前提とはいえ、これはひど過ぎる。


 ダイコラが苛立ちから叫ぼうとしたその瞬間、既にレファール隊が間近に迫ってきていた。



 トリフタ城での戦いでも不甲斐ないフォクゼーレ軍を目の当たりにしていたレファールであったが、今回はそれ以上に不甲斐ないという思いを抱いた。


 前回は背後からの攻撃や挟撃、更には食糧事情の問題といった要素があったが、今回はそうしたことはないはずなのであるが、相手の半分は接触すると同時に霧散してしまった。鎧袖一触とはまさにこのことと言っていいが、レファールの率いている部隊はそこまでの精鋭ではない。単に相手が弱すぎるのである。


 残りの半分は一応受け止めてはいるが、盾を構えているのも半数程度で攻めるつもりなのか、守るつもりなのかもはっきりしない。


(こいつら、戦う気あるのか?)


 来る途中の情報で、たいしたことはないと聞いていたが、その予想すら上回るほどの弱さである。


(ひょっとしたら、相手の罠なのではないか?)


 気分よく攻めさせて、どこかに伏兵でも仕掛けているのではないか。そう考えてしまうほどであった。




「これではもう、どうにもならんわ!」


 戦闘開始から五分もしないうちに、ダイコラは匙を投げた。


「ここまで酷いのなら装備品など用意しなくてもいいだろう!」


 そう毒づいて、ダイコラは用意させた馬に乗り、後方へと逃げ回っていった。

 残された部隊が壊滅をするまで、二十分もかからなかった。

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