第5話 ジュストの騎兵隊
大陸歴769年の8月4日。フォクゼーレ軍の将軍達がヨン・パオを出発し、南のリノックへと向かった。兵力についてはリノック周辺で集め、そのまま南下をするという計画となっている。
それに先立つこと10日、ジュスト・ヴァンランが騎兵1500を率いて南下を開始していた。
騎兵を率いるということであれば、街道である限り速やかに進めるのであるが、今回に関してはそうもいかない。
「またか…」
ジュストは一時間に一度の周期で全軍を止めて、馬の面倒を見させていた。
今回集まった騎兵…すなわち乗る側については、ヨン・パオの正規軍であり練度の期待できる者達である。だから、ジュストにとっては心躍る話であったが、騎兵につきものの馬が病気持ちの馬…分かりやすく言えば不良品扱いされている馬ばかりだったのである。蹄にヒビがあったり、少し走るだけで脚が腫れたりしていて、まともな進軍も期待できない。
と言って、馬を捨てていくこともできない。いや、ひょっとしたら上層部はそういうことを期待して預けているのかもしれないが、騎兵達も馬があってこその自分達ということを理解しているから、少々問題があろうともパートナーを置いていくようなことはできない。
かくして、ジュスト達は馬のケアのために停止している時間も長いことから、後から出発した将軍達に途中で追い抜かれ、それ以降ものろのろとした進軍を繰り返して、どうにかこうにか二〇日かけてリノックに到達した。
その鈍重な進軍すらも時機が夏ということもあり、平地の草原に馬のエサとなる草がたっぷりと生えていたからこそ可能であった。もし、冬であれば食べ物となる草もなく、本当に馬を捨てていくしかなかった者も少なからずいたであろう。
「…全く、お前達が悪いというわけではないのにな」
ジュストは自らが乗る予定の馬の首を撫でる。この馬に限らず、当初は「こんな痩せた馬が走れるのか?」と思うくらいの状況であった。皮肉なことに、のんびり進軍していてその間に草を豊富に食べていたこともあり、大分体格も良くなってきたのであるが。
一方、リノックではフォクゼーレ軍の徴兵が終わり、ある程度の訓練も進んでいた。
もっとも、徴兵条件からして『コルネー軍の根拠地を落とした後、金貨50枚』というものである。負けた場合やコルネー領まで進めなかった時のことは何も書いていない。
それでも、この前年からの不作傾向もあって、応募してきた者は多い。6万を超す大軍があっという間に編成されていた。
これを指揮するのはビルライフ・デカイトである。23歳。天主ジェダーマ・デカイトの三男で、これまで表立った実績は何もない。もっとも、五人いる天主の息子に何かしらの功績をあげたものはおらず、特に問題があるというわけでもなかった。
「作戦としてはどうなっているのだ?」
ビルライフがクレーベト・イルコーゼを呼び出した。
「はい。八万ほどの大軍で相手を圧殺するがごとく進むだけでございます」
「それで勝てるのか?」
「勝てます」
「ならばよい。しかし、軍ということもあって仕方ないが、女も酒も少ないのう」
クレーベトは一瞬眉をひそめたが、女も酒もないのは事実である。女に関してはクレーベトをはじめ、幹部クラスには5人ほどいるが、100人ほどいる中での5人であるから当然少ない。
「リノックで収穫できぬものか?」
「…今年は天候も悪く、不作でございますゆえ」
クレーベトの答えに、ビルライフは如実に不機嫌な表情となり、「つまらんのう」と言い始める。
「エスキロダを占領すれば、全て自由にございますれば」
「…そうかもしれぬが、随分先の話だのう」
ビルライフは不平をこぼし、そのままベッドに横になった。
ビルライフの滞在している宿を抜け出したクレーベトに、30過ぎの男が近づいてきた。
「どうだった? 天太子は?」
クレーベトの同僚であるモズティン・ダイコラであった。
「酒と女がないってぼやいていたわ」
呆れたように肩をすくめる。ダイコラも苦笑した。
「そいつは酷いな」
「天主の愛人に手出しして、廃棄物として捨てられるだけだという立場を理解していないようね」
クレーベトの言葉に、ダイコラが目を見張る。
「えっ、そういう理由なのか?」
「そうよ。近衛隊という名前の貧民もろとも戦場に置いてこればいいだけ。あんたも逃げるタイミングはきちんと見ておきなさいよ。コルネー軍に勝てるはずがないのだから」
「ああ、それは理解しているけれど、しかし、天太子も戦死させるのか」
「その方が、ヨン・パオの民衆も感動するでしょ。天太子がフォクゼーレのために殉死したのだという話になれば」
その上で志願兵を募れば、三度目ではコルネーに勝てる。宰相イスキース・ゾデックをはじめとしたフォクゼーレ上層はそう考えていた。
ダイコラが懐疑的な視線を向ける。
「ひょっとしたらさ、俺もおまえも捨てられる立場なんじゃないか?」
「そうかもしれないわね。でも、だからこそ生き延びないといけないのよ」
「まあ、そうだな…。ところであんたの可愛い部下はどうするんだ? 頑張って騎兵隊を維持しているみたいだが」
「あんなに馬鹿正直というか、生真面目だとは思わなかったわ。不良馬ばかりなのだからとっとと置いてこれば良いだけなのに」
クレーベトが侮蔑するような視線を向けた。
実際のところ、騎兵隊を編成したのはクレーベトである。騎兵隊編成予算として受け取った額の大半を着服し、残りの僅かな資金で不良馬ばかり買い付けてジュストに渡していたのであった。
どうせ負け戦であるから、馬も真面目に揃える必要などない。途中で捨ててきた方が、むしろ馬も幸せであったろう。
「ジュストはいい奴なんだけど、フォクゼーレで生きていける人間ではないわね」
「全くだ。確か布陣では俺の更に右側に配置されるはずだ。放置しておくが、後で文句を言わんでくれよ」
「構わないわよ。むしろ全滅してくれた方が葬儀とかも開かずに済むわけだし」
そうなれば、葬儀費用も着服できる。
「その時は俺にも取り分をくれよな」
「任せておきなさい」
二人はその場で大笑いをした。
そこから二キロほど離れた町の外の広場でジュストが1500人と共に酒盛りを開いていた。
「正直、私の目からしても、どうしようもない戦いではあるが、何とか生き残ろう」
ジュストの冴えない挨拶とともに騎兵達が一斉に乾杯をして、これまたお世辞にもご馳走とは言えない貧相な食事で盛り上がっている。
遠くから見ていると、現実の見えない愚か者の大騒ぎに見えなくもない。事実、フォクゼーレ軍の将校の中には騒ぎを聞きつけて近づき、冷ややかな視線を送る者もいた。
しかしながら、ヨン・パオからリノックまでかけつけるまでの苦労や、不良扱いされた馬と共にお互い知恵を振り絞ってたどりついた1500人の中には間違いなく強い絆が生まれていた。
この絆が、後々までフォクゼーレを支えていくことになると知る者は、当人達も含めてこの時点ではいなかった。
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