第4話 五十歩百歩

 コルネーの陸軍大臣ムーノ・アークの事務所はひっくり返るような大忙しであった。


 今回も、海軍は動かないということでフェザートは動かないことになっている。いや、正確には仮に陸で負けた場合には、海路ヨン・パオ方面を目指すような形で準備をしている。従って、コルネー軍の迎撃準備は陸からのみとなっており、軍編成で猫も手も借りたいほどの忙しさとなっていた。


「レファール、おまえ、騎馬隊と歩兵隊とどちらを率いたい?」


 朝から会計所との往復を繰り返しているグラエンが尋ねてくる。


 レファールは苦笑するしかない。コルネー出身であるとはいえ、今の自分は完全に外国の人間である。外国人であるはずなのだが、コルネーからは指揮官の一人として計算されているらしい。


「どちらでも構いませんよ」


「たいした自信だな?」


「いや、どちらが得意とかそういうのがないだけで、あまり期待されすぎても困るのですが」


「何を言っているのだ、サンウマ・トリフタの英雄が。まあいい。どちらでもいいというのなら歩兵隊を率いてもらおうか。騎兵隊はコフレ子爵に頼むとしよう」


 グラエンの何気ない言葉にレファールが驚いた。


「えっ、エルテュート殿が指揮をとるのですか?」


「まさか。夫のレナイトの方に決まっているだろう。陸軍の中でも馬術にもっとも秀でているからな」


「あ、なるほど…」


 レファールも頷き、同時に思う。


(昔、衛士隊にでも入れば女の子にモテるかもしれないと思ったけれど、衛士隊に入っても生まれによる差というものを克服するのは難しかったのかもしれないな。そう考えると、ある意味いいタイミングでセルキーセ村に行ったということになるのだろうか)



 少しばかり考え事をしていると、騒々しい足音とともに一人の伝令が入ってきた。


「大臣! 大変です」


 伝令がムーノのそばに駆け込んで、何やら耳打ちした。ムーノは当初「この忙しいのに」と億劫な顔をしていたが、みるみる顔が紅潮していく。


「何だと!?」


 事務所の全員が思わず振り返るほどの大声が出た。見るとこめかみに青筋が立っている。


「陛下が指揮をとる!? 誰がそのようなデマを流布しているのだ?」


「それが…王宮の方から」


 副官が手紙をムーノに渡す。開いているうちに、紅かった顔が一転して蒼白になっていく。


「ちょっとここを頼む。レファール、ついてこい!」


「は、はい?」


 突然呼ばれて慌てて付き従う。


「どういうことなんです?」


「私が聞きたいわ! フォクゼーレを舐めているとしか思えん!」


 陸軍事務所の馬車に乗りこみ、王宮を目指す。


(よくよく考えれば、王宮の中に入るのは初めてだな…)


 こちらに来てからというもの、フェザートのところで活動していたので王宮には挨拶には行けていなかった。


 少年の頃は、立派な軍人となりこの中に入るつもりで勉強してきたこともある。予期せぬ形での初出廷となったが、感慨深いものがあった。


 とはいえ、中で落ち着いてはいられない。ムーノに付き従う形で王の間へと急ぐ。


「陛下!」


「おお、ムーノ。どうした?」


 国王アダワルは落ち着き払った様子である。


「どうしたも、こうしたもありません。参戦するというのは本気でございますか!?」


「フォクゼーレは皇帝の息子が出ると聞く。ならば、こちらも士気の維持のために私が出るべきであろう」


 フォクゼーレ元首の正式名称は"天主"であるが、他国でその名称を使うものはほとんどいない。当然、コルネーでも全員が"皇帝"と呼んでいる。


「ふざけるのも大概にしてください!」


 40歳の国王アダワルに対して、19歳のムーノ・アークが怒鳴る姿は、ある意味滑稽ではある。


「ふざけているのはそちらであろう」


「…は?」


 予期せぬ言葉にムーノは目を丸くした。


「軍がクンファを優先しようとしている話、私が知らぬと思ったのか?」


「クンファ殿下を…?」


 ムーノは何も分かっていないようで、後ろにいるレファールに「何のことだ?」という顔を向ける。


 とはいえ、レファールもコルネーの事情など分かるはずもない。頼るような視線を向けられてもいい迷惑なだけである。


「最高指揮官の権限は大臣ではなく、国王であるわしにある。お前達が差し出がましい口を挟んでくるではない」


 堂々と言い放つ国王を前に、ムーノは明らかな動揺を見せるばかりであった。




 王宮を出て、急いで海軍大臣の事務所に向かう。


 ムーノにとって、国王の発言は完全に寝耳に水であったらしい。となると、その理由を知っているのはもう一人の軍大臣・フェザートしかありえない。


 同時に、レファールはムーノ・アークがどうして自分を連れてきたのかということも理解した。フェザートに対するには自分がいた方がいいと思ったのであろう。


「海軍大臣殿!」


 部屋に入るなりムーノが叫んだ。フェザートが顔をあげる。


「陛下のことについてご存じか?」


「うむ。先ほど聞いた」


「陛下は、クンファ殿下に対する対抗意識を有していたようだが、海軍大臣殿に心当たりはないか?」


「ある」


「…一体何をされていたのだ?」


「国王に何かあった場合、クンファ殿下がいつでも国王の任に耐えられるよう、色々教育をしていた」


「…おそらく、陛下はそれを自分に対する挑戦と受け止めているぞ」


「まあ、そう受け止めてもらっても構わない」


 フェザートがあっさりと首肯し、ムーノは「何?」と声を荒げる。


「それは…反逆ではないか!?」


 今度はフェザートがムッとなった。


「その言い方は聞き捨てならないな。陛下は40になるというのに子供がおらず、また、政治に対する関心も薄い。いつ何があってもいいように準備をしておくのは当然ではないか? どう思う? レファール」


「えっ、私ですか?」


 大臣同士の論陣だと思っていたのに、いきなり振られてしまい、レファールは少なからず慌ててしまう。


「今の話は聞いていただろう? 陛下は40だが子供がいない。仮に来年生まれたとしても成人になるまで15年かかる。その間に19歳のクンファ殿下に待機していただくのは当然ではないか?」


「まあ、そう言われるとそうではありますが…」


 レファールはナイヴァルのことを考えた。


 ナイヴァルでは色々主導権争いもなされているが、ミーシャが総主教であることには誰も異論をはさんでいない。


(ミーシャはまだ17だから、年齢という点では不安な点はないが、それでも万一ということがある。そういう場合、また流星なり何なりに頼るということなのだろうか?)


 そうなると非常にまどろっこしいような気がした。


「何が起こるか分かりませんし、準備をしておくのは必要なのかもしれませんね」


「そうは言っても、それで対抗意識を持って危険な目に遭われたのでは本末転倒ではないか」


「それもそうですが…」


 と答えるものの、ムーノの言葉に引っ掛かるものがあることも確かである。


(とはいえ、王だからと全く安全なところにいるのもおかしなことではないのだろうか。コルネーで最も強い立場にあるのに、責任あることを一つもしないということも)


 そう思ったもののそれを口にすることはなかった。



 結局、国王アダワルが参戦するということは翌日正式決定し、コルネー軍においてもにわかに緊張した雰囲気を帯びてくることになった。

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