第10話 高山の隠者達③

「私が追放されたのは9年前だ」


「…ということは、ミーシャ様は8歳の時ですね」


「そうなるかな。そうか。確かにそうなるな」


 イダリス・グリムチはバシアンの宗教学校で学び、更にそこの教授を15年間務めていたという。その経歴を買われて、単なる農民の娘であるミーシャを教育することになった。


「シェラビー・カルーグ様は当時、枢機卿だったのですか?」


「うむ。彼は16歳で枢機卿位についていた」


 とはいえ、イダリスの追放にシェラビーは全く関与していないらしい。


「ことはミーシャ様の母親テレーズ様にある」


(そういえばミーシャ様の母親というのは本人からもネイド枢機卿からも、全く聞いたことがないな)


 ミーシャの母テレーズは若きネイドともども善良な夫婦だったらしい。


「はっきり言ってしまうと、流星の落ちた地域に複数の該当者がいることなどザラにある。そういう時に決め手となるのは有力者の関係者であるか、あるいは両親が御しやすい人物であるかどうかということだ」


 ネイドとテレーズは有力者との繋がりはないが、後者に該当すると思われた。だから娘が総主教候補となり、父は無学の37歳の身分でありながら枢機卿となったのである。


「しかし、テレーズ様が次第に地元の仲間を優遇するように圧力をかけてきたのだ」


 イダリスの表情が暗くなる。


 テレーズは地元の仲間すなわち農民の妻達を厚遇するように働きかけた。テレーズ側の事情としては、突然バシアンの上流階級に混ぜられても話がついていけない。だから、話し相手などかつての友達を近くに置きたかったということがあるらしい。


「そこで、仲間の女達が奇跡を起こしたり、関与したりしたとして聖女に任命しようとしたわけだ」


 神の奇跡を目の当たりにしたりあるいはそれを実現した女性が聖女に任命されればバシアンの中央教会に暮らす待遇を得る。奇跡を目の当たりにした、とか、実現したなどの認定は大司教以上の者三人が認定すればいい。


「将来のことを考えて、テレーズ様に従った大司教もそれなりにいたということだ。後ろめたいことをしている者も大勢いるわけだし」


 当初は親友のリージュを指名したようだが、一人がそういう美味しい目を見れば他の仲間達も自分も入れてほしいということになる。


「気づいたら、一年で十七人も聖女に認定されることになった。バシアンに戻ったらミーシャ様に十七聖女について聞いてみるといい。おそらく軽蔑するように笑われるであろう」


「それにはイダリス殿も関与されていたのですか?」


「まさか。私は総主教の教育係をしていたのだ。そのような軽薄なことができるはずがない」


 イダリスはふうと溜息をついた。


「この十七聖女が大きな問題を起こした。十年前だ」


「何をしたのです?」


「ルベンス・ネオーペ枢機卿を知っているか?」


「もちろん知っております」


 シェラビーと対立している派閥では最大の存在。知らないはずがない。


「枢機卿の妻アイーシャ様が十七聖女の一人と作法を巡って対立したのだ。どうも大聖堂に農作業の服を着てきた聖女がいたようでの」


「…大聖堂が大農場の井戸端みたいになってしまっていたわけですね」


「その通り。アイーシャ様が注意をしたところ、十七聖女が人数を頼みにやりこめてしまったらしい。しかも、付近にいた市民もそれほど詳しいことを知るわけではないから、十七人の聖女が言う以上はそちらが正しいと思ったのだろう。アイーシャ様は正しい注意をしたのに大恥をかくことになってしまった」


「それは気の毒ですね…」


 レファールにとってルベンス・ネオーペはあまり好きな人物ではないが、その話は素直に気の毒だと思った。


「アイーシャ様にとっては気の毒どころではなかった。あまりの恥辱に、屋敷に戻ると侍女に悲痛な遺言をして、そのまま自害されてしまったのだ」


「うわ…。それはネオーペ枢機卿もお怒りになるでしょう」


「…話が長くなりそうだ。釣りでもしながら続きをしようか」


 イダリスは外を見て、部屋の奥にたてかけてある釣り竿を手にした。確かに話が長くなりそうである。レファールも付き従うことにした。




 山を更に少し登ったところに川が流れていた。非常に美しい流れの清流で、魚が泳いでいる様もはっきりと見える。


 イダリスは釣り糸を垂らした。レファールは少し後ろに座る。


「ネオーペ枢機卿は当然のように激怒したが、何せ相手は十七聖女だ。人数が多すぎる。そこで参謀のセウレラ・カムナノッシを通じて、私に相談に来た。このセウレラというのが中々できる男でな。いや、出来過ぎると言った方がいいか。彼は既に復讐のための案を練っていた。私も十七聖女には反感を抱いていたから、最終的にはそれに乗った」


「十七人をまとめてというのは大変ではないですか?」


「うむ。ただ、十七聖女に反感を抱いていたのは我々だけではない。いや、端的に言うとほぼ全員がそうだった。私とセウレラは、ネイド・サーディヤを味方に引き入れた」


「ネイド・サーディヤ枢機卿を!? しかし…」


 十七聖女を作ったのは、ミーシャの母テレーズである。つまり、ネイドの妻である。


「そのくらい十七聖女が酷かったということだ。彼の誘いで、十七聖女は聖地エオケンに巡礼に行くことになった」


「…バシアン以外にそんな聖地があったのですね」


「いや、でっち上げの聖地だ。そこに向かう途中、険しい山道を行くことになっていた。そこで馬車を崖に落として、終了というわけだ」


「うわ…。随分と荒っぽいですね」


「一応は聖女だからな。剣で刺し殺すわけにもいくまい。剣で刺し殺したのはテレーズ様と十七聖女を任命した大司教四人だ」


「…まあ、十七聖女が帰らなければテレーズ様が調査して陰謀が発覚するかもしれませんしね。しかし、それすらもネイド枢機卿は賛成したのですか?」


 十七聖女はともかくとして、自分の妻を暗殺することまで承諾していたとすれば相当なものである。


「…賛成した。奴も色々妻にバレたくないこともあったようだし。ただ、彼の食えないところは、賛成はしたが、それを娘には知られたくないという思いを抱いていたようだ。ようだ、と言うのはここから先は実際に聞いた話ではないからだ。私の推測に過ぎない」


「どのような推測を抱いているのですか?」


「まず、私とセウレラは直接相談した相手だったからネイド枢機卿にとっては都合が悪い。そこで、殺害犯人というわけではなく別の管理責任を問うて追放処分にすることにした」


「口封じというわけですか」


「私に関しては、な。セウレラに関してはとにかく切れる男だったから他の枢機卿も警戒していたという事情があった。彼をネオーペ枢機卿から切り離したいという思いはカルーグ家もアラマト家も持っていただろう」


「なるほど。他の者は、セウレラという参謀を追放してもらいたいと思っていた。そこにネイド枢機卿がイダリス殿もくっつけてうまくやったということですね。反論しなかったのですか?」


 イダリスは「無理だろう」とばかり両手を開いた。


「枢機卿全員にとって都合のいい話だったから無駄だというのも分かっていたし、あと、事実管理不行届は事実だったからな、仕方がない。あの時、ネオーペ枢機卿が復讐とはいえ立ち上がらなければ、それこそ十七聖女がミーシャ様まで抱き込んで大変なことになっていたかもしれないからな。当時若年だったシェラビー・カルーグ枢機卿が従うことになったりすれば、バシアンは完全に農民に牛耳られていたかもしれぬ」


(なるほど…。ネイド枢機卿が、私とシェラビー様の連合を警戒していたのは、かつて十七聖女が振り回していた過去があったからか)


 イダリスは釣りの名手らしい。話をしている間に、五匹くらいの魚を釣り上げていた。


「ま、そういうわけだ。これで、貴殿の意思となれるかな?」


「イダリス殿が望むのならば」


「うーむ…」


 魚籠の中を覗き、イダリスは思案する。釣りのことなのか、レファールについていくことなのか、あるいは両方とも思案しているのかは分からない。


「…ここでの暮らしも思ったほど悪くはないが、十年二十年後も続くのは厳しいというのもある。連れ戻してくれるのであれば、そうしてもらいたいのが正直なところだ」


 二、三分ほどしただろうか。イダリスはポツリと答えた。

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