第9話 高山の隠者達③
ミーツェン・スブロナ。
イルーゼン地方・アレウト族の男という風に聞いている。詳しいことは知られていないが、数年前に二十歳だったという話を聞くのでレファールよりは十歳程度年上ということになであろうか。
アレウト族というのは十年前まで、イルーゼン国内でもほとんど知られていない部族だったという。それがこの十年間で飛躍的に発展し、現在はその根拠地シルキフカルを中心に西部に広い領域を有しているという。
その立役者がミーツェン・スブロナという将軍であることが広く知れ渡っていた。
この男の指揮する軍はイルーゼン内の部族対立はもちろんのこと、フォクゼーレからの遠征兵にも連戦連勝を続けているのだという。
もっとも、あまりに出来過ぎた話なので、アレウト族の誇大宣伝なのではないかという説も根強い。イルーゼン自体が遠い国であるうえにその一部族である。現実のものとして捉える向きは少ない。実際、レファールが彼についての話を聞いた際も相手は「話半分」というような様子であった。
コルネーに住む者にとっては、さながら『伝説の名将』とも言えるような存在である。
そのミーツェン・スブロナの父親と名乗る男が目の前にいる。
「ミーツェンの戦いが誇張でないとしたら、おまえのサンウマ・トリフタでの活躍は近年では二番目に格下げになるんじゃないか?」
「かもしれませんね」
グラエンが意地の悪い顔で問いかけてきたが、レファールにとっては特に気にするところではない。
「ミーツェンの病気というものは何なんですか?」
ミーツェン・スブロナが伝説の存在でないとすると、二つの疑問が出てくる。そこまで強いのなら、何故、もっと領土を拡大しないのかということ。もう一つは、何故、自らがアレウトの族長にならないのかということである。恐らくはそれが病気と関係しているのであろう。
(そんな重要なことを教えてくれるかな?)
問いかけてからそんなことを思ったが、いともあっさりと答えが返ってきた。
「…ある寒さ以上になると、活動ができなくなるのじゃ」
「…へっ?」
「寒くなると、活動量が低下して、一定以上の寒さとなると眠ったまま動けなくなる。そういう体質の持ち主だということがバレるとまずいということだ」
「そんなことがありうるのか?」
動物の中には寒くなると活動ができなくなり、冬眠するような者がいるということはもちろん知っている。しかし、人間にもそういう体質をもつ者がいることは聞いたことがない。
しかし、確かに頷ける話ではある。
イルーゼンは森林地帯も多いが、全体的には高地にあるため寒冷な気候になる時もあるだろう。となると、ミーツェンが活動できない時期が出てくる。そんな将軍が部族の大黒柱である以上、広げられる勢力範囲には限界があるし、当然トップと取って代わることもできない。
「攻めてきた時は、アレウトも必死で燃料を探して、暖かい環境をつくる。しかし、討って出るには燃料が足りないということか」
グラエンがつぶやいて、ポンと手を叩く。
「それだったら、コルネーでなら思う存分活躍できるんじゃないか?」
「…そうかもしれませんが、どうやって連れてくるんです?」
レファールもそのくらいのことは考えたが、アレウトの面々にとって命綱である存在を易々と離すはずがないだろう。
「ミーツェンを連れてくるために攻め込んで本人の迎撃を受けるなんて笑い話にもなりませんよ」
レファールが小声で注意すると、グラエンも小さく唸る。
「…それもそうか」
「それより、お父さんの方も、ミーツェンほどではないかもしれませんが、結構優れているかもしれませんよ」
「なるほど。レヴィン殿、そなたも兵法などをなしているのだろうか?」
レヴィンはグラエンの問いかけに、しかめ面を向けた。
「かつてしていたこともあったが、もう十五年くらいはしていないな。息子の代わりなどにはなれんぞ」
「どうする?」
「私に振らないでくださいよ」
自分で考えろ。そう反論したくもなる。
「人が欲しいのであれば、二つ向こうにいる元大司教殿に頼んだ方がいいのではないか? あの人はわしが見ても、相当な人物だからな」
「相当な人物…」
レヴィンの言葉にレファールは引っ掛かる何かを感じた。
(相当な人物ともなれば、シェラビー様にしても、ミーシャ様にしても放っておかないと思うのだが…)
だが、ナイヴァルに以前いた人物から事情を聞くということは、自分にとって意味があることかもしれないとレファールは思いなおす。
「ナイヴァルの大司教ともなると、色々話が合わない可能性もあるかもしれないからな~。どうだろう、レヴィン殿。イルーゼンのことも教えていただきたいし、コレアルまで来ていただけないだろうか?」
グラエンはレヴィンの説得を続けている。
この間に、とばかりにレファールはそそくさと抜け出して、二つ向こうの家へと向かうことにした。
おそらくは追放されて逃げてきたであろう者達の集合である。家としてはたいしたものではないが、当人達の努力もあるのだろう。どこか魂のようなものを感じさせる家でもあった。
レファールは軽くノックをした。
「…すみません。入り口近くにあるレヴィン・スブロナさんから紹介されて、お話だけでもさせていただければと思いまして、参りました」
そう声をかけると、しばらくして「少し待ちたまえ」という落ち着いた声がし、ややあって扉が開く。
「こんなところまでやってくるとは、物好きもいたものだな」
と語る男はレヴィン同様に、年は六十を過ぎているだろう。白い長い髭と長髪が印象的な人物であった。おそらく、伸ばそうと思って伸ばしているというより、切り整える環境にないからという理由であろうが。
「今はナイヴァルもコルネーも人材を探しているのですよ」
「ナイヴァル?」
「はい。私はコルネー人ですが、現在はナイヴァルのミーシャ・サーディヤ総主教の側近という立場です」
「ほう。ミーシャ・サーディヤ…。彼女が総主教になったのか」
老人は遠くを見るような視線を東に向ける。
「私が追放を命じられた時には、まだ幼い娘であったが、きちんと総主教職が務まっているのかどうか…」
「総主教らしい重さとか荘厳さはないですけれど、割と優れた総主教でいるのではないかとは思いますが…」
「ふむ…」
老人がレファールを上から下まで見回す。
「まあ、こういう者を側近にしているのなら、心配はいらないか」
「貴方は何者なのですか? あ、失礼。私はレファール・セグメントと申しまして、2年前にコルネーからナイヴァルに鞍替えを余儀なくされまして、以降仕えております」
ミーシャの子供の頃しか知らないとなると、ブロクブルやサンウマ・トリフタのことも知らないはずである。わざわざ伝えることでもないので、手短に自己紹介をした。
「…私はイダリス・グリムチという」
「差し仕えなければ追放の経緯というのを教えていただいてもよろしいでしょうか?」
レファールの言葉にイダリスは苦笑した。
「そんなことを知ってもどうしようもなかろう。私は権力闘争で負けてここまで来た身なのだ」
「いいえ、どうにでもなります。先ほど申しました通り、私はミーシャ様の側近でございます。そして、私はミーシャ様からも他の枢機卿からも、切れるけれども意思のない剣のような男と見られております」
「切れるけれど、意思のない剣。ふむ…」
イダリスはしばらく考えて、合点が入ったとばかりに頷いた。
「ミーシャ様の側近が何故コルネーの山奥に来るのか不思議だったが、意思を探す過程、ということか」
「はい。つまり」
「追放された事情によっては、私にそなたの意思を任せてもよい。そう思っているわけだな。しかし、仮に私が嘘をついたらどうなる?」
「それは戻れば分かることでありましょう。また、仮に嘘だったとしても、それが皆にとって都合のいい嘘であれば従うこともやぶさかではありません」
イダリスは笑った。心底楽しそうな笑いであった。
「面白い男だ。分かった、話すとしよう…」
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