第8話 高山の隠者達②

「疲れた…」


 山を登り始めて三時間、レファールは後ろにグラエンの情けない声を聞きながら登っていた。


「もう少し頑張ってくださいよ。ナイヴァルで特殊作戦を指揮するとなりますと、こんなものじゃすまないですよ」


 そう言って激励するレファールだが、一方で二年前には山に隠れる時にボーザ達に助けられていたことを思い出していた。それからどの程度鍛えられたのかは分からないが、当時の自分と今のエルシスが似たような環境で過ごしていることを考えれば、成長したのだろうかとも実感する。


「ああ…」


 馬車の中では一人前に睨んでいたが、今や疲労に打ちのめされたのであろう、完全に負け犬の目つきになっている。レファールがいなければ間違いなく逃げ帰っているだろう。「こいつに馬鹿にされたくない」という最後の矜持が何とかグラエンの足を動かしていた。


「こ、この先に集落は見えるか?」


 グラエンが喘ぎながら尋ねてきた。


 レファールはしばらく先までを眺めるが、それらしいものはない。フェザートから貰った地図の通りに進んでいるのであれば、あと一日くらいかかるだろうが、地図が正確であるという保証もない。


 ただ、登るのに四苦八苦しているが、今、歩いている道は獣道ではなく、誰か人間の作った道である。この先に何もないということはないであろう。伝説の山の部族・ドワーフ族が地中に潜っているのでもない限りは。


(見えないと言うと、帰るとか言い出すかもしれないな…)


 正直、ここまで来ると、レファールにとっても足手まといなのだが、置いていって後で文句を言われるのも面倒な話である。


「うーむ、あと半日くらいの距離にそれらしいものがあるようにも見えます」


「本当か?」


 目標ができたことで、グラエンは少しだけ意欲を取り戻したようである。レファールは内心で舌を出しながら、「もう少し早く歩いてくださいよ」と促した。



 まだ一日以上かかると思っていたが、適当なことでも口に出してみるものである。


 夕方を回る頃には、薄暗闇の中に火の灯りが見えてきた。


「レファール、見えてきたぞ。おぉ…」


 グラエンが感極まったかのような声を出す。馬車に乗っていた間の敵対的な態度はどこに行ったのか、長年の親友であるかのように「もう少しだな、頑張ろう」と足も早まる。


(…もっとも、相手がどう迎えてくれるのかも分からないんだがな…)


 道こそあるとはいえ、これだけの山奥に住むということは、あまり平地の人間とは会いたくないはずである。そこにポンと訪問していった場合、下手すると喧嘩沙汰になりかねない。だから警戒心が必要なはずであるが、疲れ切ったグラエンには集落のベッドのことしか頭にないのであろう。


(もう少し人選をフェザート大臣に見てもらえばよかった)


 そんな思いも頭をよぎる。



 一時間ほど歩くうちに、集落が見えてきた。


 小さな家らしきものが五つほどある。ということは、いたとしても20人ほどの集落であろう。


「早く中に行こう」


 ほいほいと中に行こうとするグラエンを制止する。


「落ち着いてください。相手は我々のことを全く知らないのですから、慎重に行くべきです」


 グラエンが不貞腐れたような顔を向けた。


「慎重に…って、どうするんだ?」


「いや、まあ、丁寧に挨拶をして行く、みたいな…」


「それくらいのことは私も理解している」


 グラエンはそう言うと、レファールを突き飛ばして中へと向かった。そのまま近くにある家の扉を軽く叩く。


「すみません、山の下側から来た者ですが…」


(怪しいことこのうえないな…)


 もちろん、そう名乗るしかないのであるが、いきなり押しかけて「山の下から来た」では相手にとっても怪しいことこのうえない。


「何用だ?」


 扉が開くことなく、声が聞こえた。高齢者のようである。


「コルネー王国のフェザート・クリュゲール海軍大臣から、この地に何人かの人間が住んでいるということで調査するように命じられて、来た」


 レファールは苦笑する。グラエンの言う通りなのだが、こんなことを言われたら、場合によっては敵と認定されても不思議はない。


「…どういうことだ? 我々はここに来てから何もしておらぬが?」


「南の方にあるセルキーセ村という小村がナイヴァルに降伏していて、プロクブルが襲撃されたという話があります。隣国から軍事目的で派遣されたことはないと思っておりますが、一応話を聞かせていただけないでしょうか?」


 グラエンに任せていれば、一年経っても入れてもらえそうにない。扉に近づいて代わりに答えた。


 しばらくの沈黙の後、扉が開いた。


 中から顔を出したのは、声から想定された通りの高齢の男であった。髪も髭も真っ白で、どことなくドワーフを連想させられる。


「全く…。こんな山奥まで調査員を派遣してくるとはコルネーも暇なことだ」


 男は毒づきながらも、中に案内した。山中の建物だけあって、丸太を組み合わせた以外はさしたるものもない。暖炉も必要最小限のものである。


「大変ですね。こんなところで暮らすのは…」


 レファールの言葉に男は無言である。


「…ナイヴァルから来られたのですか?」


 二つ目の質問には、少し思案したうえで頷いた。


「元々はイルーゼンにいた」


「近くの建物にいる人達も?」


「…彼らはナイヴァルから来た。イルーゼンから来たのは私だけだ」


「つまり、イルーゼンからナイヴァル、更にコルネーへと来たわけですね。どうして、また?」


「そこまで言わないと、我々が密偵ではないと信じてもらえないのか?」


 明らかに不愉快そうな視線を向けられた。


「そういうわけではないのですが、一応、聞いてはおきたいので」


「……」


 老人はレファールに睨みつけるような視線を向けた。レファールは受けて立つ。グラエンは暖炉の近くで寝そべっていた。


「…イルーゼンを追い出されたのは息子の病気のせいだ」


「息子の病気?」


「ああ、息子の病気をイルーゼンやフォクゼーレで公にしてはならぬという理由でナイヴァルに放り出されたが、ナイヴァルはナイヴァルで、息子のことを知りたがっていたので面倒になった。そこで、偶々コルネーに追放された大司教の面々にくっついてきたというわけだ」


「コルネーに追放された大司教。そんな人物がいたのですか…」


 レファールは意外に思ったが、ナイヴァルのことを知るようになって二年である。現在の枢機卿や大司教については知っているが、それ以前がどうであったかについては何も知らない。


(こういうところがミーシャにしてもネイド枢機卿にしても不満、ということなのだろうな…)


 その時、唐突にグラエンが振り返った。


「…確かに、コルネーまで来ればイルーゼンの人物のことなどどうでもいいだろうな。ご老人、差し仕えなければお名前をいただけぬか?」


 先程まで寝そべっていたのだが興味をもったのであろう、正座して老人に尋ねる。


「こんな老人の名前なんて聞いてどうするんだ。まあいい。わしはレヴィン・スブロナという」


「レヴィン・スブロナ…」


 レファールには全く聞き覚えのない名前である。


 知っているかと、グラエンの顔を見た。


 顔が真っ青になっている。


「も、もしかして…息子の名前は…ミーツェン?」


「あっ!」


 グラエンの言葉にレファールもハッとなるのみならず、思わず叫び声をあげた。


「…よう知っておるのう」


 老人はぶっきらぼうに認めた。


 レファールは再度グラエンの顔を見た。脂汗が浮かんでいるが、それは自分もそうであろう。


(ミーツェン・スブロナ…。本当にいる人物だったのか…)

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