第6話 開戦
布陣が終わって夕暮れ近く。
フェルディス軍の最後方、少し小高い場所からルヴィナ・ヴィルシュハーゼは全体を眺め渡していた。
「どう? 何かある?」
クリスティーヌが近づいて声をかけてきた。
「……あれ」
ルヴィナが奥のキャンプを指さした。
「何なの?」
「あの火……。かなりの量の食事を作っている」
「……言われてみればそうね」
キャンプが作られている塀のような中に赤い光が見えた。その上空の広い範囲にまで真っ黒い煙がもうもうと上がっている。
「今が夕方過ぎ。その時間から食事をあれだけ作るということは……」
「今晩、攻めてくるっていうこと?」
「……そう思う。だけど、火を使っているのはあの部隊だけ」
「あそこで全員分を作っているとか?」
「それはない。他の部隊では二、三時間前に煙が上がっているのを見た」
「よく見ているわねぇ」
クリスティーヌは感心したように言い、全体を見回す。二、三時間前というと布陣のために移動をしていた時間帯である。その間も、敵陣の方をずっと見ていたのであろうか。
「とすると、他は早めに動き出してきて、あの部隊が最後に動くっていうこと?」
「そう考えるのが自然。だから、私達も準備しておく」
「……了解。しかし、対陣初日、一体どう仕掛けてくるのかしらね」
疑問を口にするクリスティーヌに対して、ルヴィナは首を左右に振った。
「それは相手側にいないと分からない。ただ」
「ただ?」
「……前言撤回。思い当たることはあるけど言っても仕方ないわ」
「総大将に伝えないの?」
ブローブは現時点でまだ指針を打ち立てていない。その前段階で攻撃を受けることはあまり想定していないはずである。
「…時間がない。中途半端に伝わると、それぞれの部隊が違うことを始めてしまう。バラバラの醜い演奏を聞くくらいなら、仮に奇襲を受けたとしても、ブローブ将軍の対処能力を信じた方が無難。だけど…」
「だけど?」
ルヴィナの話し方は言葉がよく切れるうえに、「だが」や「しかし」と言った接続詞で終わることも多い。そのため、一々その真意を聞かなければいけないという点が話し相手としては面倒なところがある。
「あのキャンプ内の部隊の動きは注意が必要。だから、私は寝ることにしておく」
「寝ることにしておく?」
「私はあの部隊だけマークする。あれさえ止めれば、負けることはないと思うから」
「ああ…」
クリスティーヌはようやく意図を理解した。
「じゃ、ここにいる?」
ルヴィナは頷いた。クリスティーヌは下の方にいる陣地へと降りていく。禿げあがった頭が特徴的な巨漢の男がいた。グッジェン・ベルウッダ、ヴィルシュハーゼ家が誇る部隊長の一人である。
「クリス殿、伯爵は?」
「思うところがあって、ある部隊をマークするみたい。本陣からの指示は『寝ている』って理由で無視してほしいって」
「分かりました」
「あと、シンバル隊、五人ほど寝ずの番でよろしく」
「…今夜だと?」
「ルーはそう思っているみたい」
「分かりました」
グッジェンは素直に応じて持ち場へと戻っていった。
フェルディス軍の右翼。ティプー・ペルシュワカとマハルラ・ホルカールの部隊は堀から1キロほどの場所に配置されていた。
夕方の時間も更けてきて、視界がうっすらとなってくる。
「そろそろ見張りをしっかり立てておけよ」
陣の中からそんな声がした頃、誰かが声をあげた。
「おい。相手の騎兵隊が近づいてきていないか?」
目線を向ける。
確かに相手の騎兵が近づいてきていた。堀のギリギリのところあたりまでだろうか、前進してきている。
堀と堀の間には数人が歩けるくらいの脇道がある。また、堀の端から街道から抜けてくることもありうる。
もしかしたら、そうした強襲があるのだろうか。
両部隊の見張りがそう思った瞬間。
騎兵隊はまっすぐ前進を開始した。
さすがのレビェーデも下にずっと視線を向けていた。
陣地の前には堀が掘られて、水が敷き詰められていた。その上に堀と知られないよう絨毯が置かれており、その上に土がかぶせられている。
そういう認識でいた。
しかし、自分の目の前の絨毯の下だけは堀がないと言う。
「なので、相手がぎりぎり見えるくらいの時間帯に、まっすぐ進んでしまってください。相手が『何で?』って思っている間にガンガン暴れてしまってください」
ノルベルファールンの指示書には、そう書かれていたのである。少しだけ顔を見たが、とても作戦などを立てられるような人間には見えなかった。
しかし、手紙を読んだ今、その向こうに茶目っ気のある顔で笑っているノルベルファールンの表情が浮かんでくる。
絨毯の上に到達した。
シュールガが、力強く地面を蹴った。
「お、おい! あいつら堀を越えてくるぞ、どうなっているんだ!?」
両部隊がパニックになり、慌てて司令官の二人に連絡をしに行く。しかし、騎兵の接近は早い。司令官の二人に情報が届いた二分後には既にレビェーデとサラーヴィー、更に数人が早くも敵陣に到達していた。
両部隊はそれぞれ一万以上を超える大部隊ではあるが、警戒されていないところで正面突撃を受けたことで完全に動揺しきっていた。しかも歩兵に対して騎馬が勢いをつけて進んできているのである、それだけでも耐えきるのが難しいうえに、相手の指揮官はレビェーデ・ジェーナスとサラーヴィー・フォートラント。トリフタの戦いでナイヴァルを勝利に導いた主戦級である。
これらの悪条件が重なっていて、尚、受けきれるものはミベルサどころか世界中を探してもまずいないであろう。
「話が違うぞ!」
ペルシュワカ隊、ホルカール隊は瞬く間に蹴散らされ、程なく逃走を開始した。ブローブの調査を信頼していたがゆえに、その報告と違う事態に対応の限界を超えてしまっていた。
もっとも、逃げると言ってもどこに逃げるのか。
後背にいるリムアーノ・ニッキーウェイ部隊の背後に回るしかない。
若いとはいえ、リムアーノはブローブの副将格である。こういう事態でも何とかしてくれるという期待はあった。
もちろん、任される方にとっては溜まったものではないのであるが。
リムアーノのところに情報が伝えられた時には、既にペルシュワカ、ホルカールの両部隊は壊滅寸前の状況にあった。
奇襲を受けたとはいっても、その壊滅までの時間があまりにも早い。
リムアーノは二人に文句を言いたくもなったが、言ったとして事態が改善されるわけでもない。
「ええい、文句は後だ! 今はとにかく相手の突撃を食い止めよ!」
そう指示を出し、自らも前の方へと向かっていった。
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