第2話 金色の娘②

 フェルディス北部にあるブネーは人口8万。

 フェルディス帝国においては大きな街ではない。

 首都カナージュから80キロ程度の距離ということもあり、カナージュの一部というような認識でいる者も多い。


 その中心部にある屋敷に、一頭の馬が走りこんでくる。その背中には長身の女が乗っていた。近づくと、まず何より右目の眼帯が目立つ。


 女は軽やかな足取りで屋敷に入り、廊下を奥へと向かった。しばらく歩くとピアノの音色が耳を心地よくさせる。チェンバロは一般的に置かれてあることが多いが、数年前に初めて作られたというピアノはミベルサ大陸全土を見ても二、三台しか存在ない。その一台がここにあった。


「ルー、入るわよ」


 扉を叩いて、女が中に入った。それと同時にピアノの音が止まる。


 ピアノに向き合っていた少女が振り返った。何よりも目を引くのは鮮やかな金色の長髪である。しかし、その素晴らしい髪と比べると顔立ちには暗さが目立つ。緑色の瞳は濁っているように見えるし、何よりも表情に生気がない。


 髪以外については取り立ててパッとしたところのない少女、彼女を目にしたほぼ全ての者がそういう印象を抱くであろう。


 この少女がルヴィナ・ヴィルシュハーゼ、次期ヴィルシュハーゼ伯爵であった。


「ホスフェ国境への参加を命じられたらしいわね」


 部屋に入ったクリスティーヌの問いかけにルヴィナは無言で頷いた。


「……どうするの? ついていくの?」


「向こうは私に興味を持っている。変な言い訳は通用しない。スーテルにグッジェンもいる。戦力的にも魅力なのだろう……」


「そうよねぇ。大将軍様としては、あの二人は欲しいわよね」


 スーテルとグッジェンは共にヴィルシュハーゼ家の部隊長である。どちらも国内の武芸大会では上位の常連であり、個々人として高い評価を受けていた。


「大将軍はスーテルに親近感がある。私が無能なら。スーテルを当主に据えようとするはず……」


 また、ルヴィナにとって、スーテルは曾祖叔父にあたる。ヴィルシュハーゼ一門では最年長であり、病弱の父アクバルの代わりに表舞台に立つことも多い。


 ブローブを含めて、軍の上層部が、病弱なアクバル、得体のしれないルヴィナより、スーテルに当主になってほしいと考えるのは自然な話であった。


「……それは看過できない事態。行くしかない」


「あたしはどうすればいい?」


「クリスもついてきてもらう。気になることは教えてほしい」


「了解」


 クリスティーヌ・オクセルは一つしかない目でウィンクを向けた。



 次の日、カナージュからの正式な参戦要請の使節がやってきた。ルヴィナはその場で承諾の返事をし、指示通りに2000人の部隊を参戦させることにも応じる。


 使者を返すと、父のアクバルの部屋に向かった。


 間もなく40歳になるというアクバルは、本来ならばヴィルシュハーゼ家の支柱とならなければならない存在であるが、数年前からしばしば大病を患っており、それで精神的にも参ってしまっており、一年の半分以上を病床で過ごしている。


 ルヴィナが訪れた時、アクバルはベッドの上で寝ているようであった。ルヴィナは眠っている父に冷ややかな視線を送る。仮にじっくりと彼女を見ているものがいたら、そこに嫌悪感や軽蔑といった感情が入り混じっていることが分かるであろう。


 医師と召使はアクバルを起こそうとするが、ルヴィナは止めた。


「いらない。起きたら、ルヴィナは戦に行ったと言っておいてほしい」


 短く言い切り、そのまま部屋を出る。


 部屋を出たルヴィナは全く関心を向ける様子もなく、早速部隊の選抜に取り掛かった。




 カナージュにあるブローブの私邸には、この日もリムアーノが訪れていた。


 進軍路などを確認している間に、ルヴィナからの返事がもたらされる。


「参戦するようですな」


 返事を読む様子で分かったのであろう、リムアーノは穏やかな表情で尋ねる。


「うむ。全て問題ないということだ」


「本人の能力の程は知れませんが、ヴィルシュハーゼ家にはスーテルやグッジェンといった剛の者がおりますから、部隊としては頼りになるでしょう」


「……」


「どうかされましたか?」


「……この二か月ほどの間に、ブネー近郊で盗賊団が二つほど潰されたらしい」


「ほう。とすると、あの娘が姉の仇討ちをなしたというところでしょうか?」


「うむ。仇討ちだろうな……」


 ブローブの表情が歪む。リムアーノが「どうしました?」と問いただすと。


「ここから先は他言するなよ」


「……? 分かりました」


「盗賊共は全員処刑されたのはもちろんだが、降伏した者も含めて全員木に縛りつけられて、生きながら鷹や狼の餌にされてしまったらしい」


「……本当ですか?」


「直接見たわけではないが、漏れ伝わる話ではそういうことらしい」


「……大将軍が不気味と言われていたのは、そういうところですか」


「ああ」


「とはいえ、やり過ぎかもしれませんが、盗賊もあまり大きなことは言えますまい。事実彼女の姉を殺したということもあれば……」


「それがだな……」


 ブローブの表情が更にもう一段、暗くなる。リムアーノが苦笑を浮かべた。


「まだ何かおありですか?」


「……あの娘の姉を殺したのは、どうもマハティーラ様らしいのだ」


「何ですって?」


「マハティーラ様が時々ならず者らと共に狼藉をしているという話は聞いたことがあるだろう?」


「それは、まあ……。時々城下で若い女を襲っているらしいということは…。しかし……、いかにマハティーラ様とはいえ、貴族の娘に対してそのようなことをしますかな?」


「ややこしいことに、姉はアクバルの娘ではないのだ。いわゆる異父姉というやつで、ヴィルシュハーゼ家の血筋は受け継いでいない。平民扱い、城下で普通に暮らしていたらしい」


 ブローブの暗い言葉に、リムアーノの表情も沈む。


「マハティーラ様がいつものように狼藉を働いていて、その結果としてあの娘の姉を殺してしまい、モルファ皇妃が盗賊の仕業ということに仕立てたと?」


「そういうことだ」


「それを、あの娘は知っているのですか?」


「そこまでは分からん。知っているとすれば、苛烈な復讐心がマハティーラ様に向く恐れもある」


「……生きながら獣の餌にさせたというのは尋常ではないですからな。ただ、仮にそうだとした場合、大将軍はどうされるおつもりですか?」


 リムアーノの表情には「それなら、それでいいのではないか」というようなものも浮かんでいる。


 三年前まではフェルディスの政務は全てにおいて順調であった。それがモルファとマハティーラの登場によりにわかに怪しくなってきている。仮にヴィルシュハーゼ家の娘が恨みを晴らすためにこの二人を排除するのなら悪いことではない。


「私なら、敢えて伝えるようなことはしませんけれど、ね。おっと、これは他言願いますよ」


「分かっておるわ。マハティーラ様だけであれば、わしも介入するつもりはないが、モルファ様のこともあるからのう」


「大将軍は仕えるようになって長いのかもしれませんが、私にはそれも含めて、というところもありますけどね」


「そうかもしれんな。わしは陛下との付き合いも長いゆえ…」


 ブローブの声には、力がない。耳を澄まさないと聞き取れないような小さな声であった。

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